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西丸震哉氏が訪れた昭和58年噴火後の三宅島

 西丸震哉「西丸式山遊記」にある岩塔ヶ原の記述の続き。

 西丸震哉氏が昭和58年噴火後の三宅島を訪れている。坪田に宿をとり、雄山や阿古の溶岩原などを巡っている。三七山、ひょうたん山ではイネ科の草、タデ、乾燥地に強い低木がまばらに生えはじめていることをみて、雨が多くて酸をある程度流してしまえば、20年で緑が進出してくることを指摘している。

 面白いと思ったのは地面が熱いという記述。一つ目は村営牧場。おそらく二男山であろう。

 足もとを枯木で掘ると、30cmくらいで真っ赤な礫となり、木が萌えてしまう。

 つまり足の下のほとんどは溶鉱炉の中みたいなもので、ほんのひと皮上に立っていることになる。

西丸震哉「西丸式山遊記」(中公文庫,2000)P.185
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↑二男山付近の火口(2014年春 - 三宅島・薄木粟辺の溶岩流より)

 もう1つは新鼻新山。

 その南、新鼻という岬あたりに新火山が噴出して、はじめは島だったそうだが陸続きとなり、外側が波で浸蝕されて半分なくなってしまった。火口壁がそのまま海に開いて、底に白っぽいウグイス色の湯がたまっている。山頂部はユゲを噴いて地面もほの暖かい。

西丸震哉「西丸式山遊記」(中公文庫,2000)P.186
150221nippana.jpg

↑新鼻新山の火口

 現在ではいずれも地面は暖かいと感じられない。地形図には逢ノ浜にも温泉マークが付いている。今でも掘り返せば暖かいと聞くが、私は暖かい場所を知らない。地熱が残っていれば青ヶ島のひんぎゃの塩みたいに観光名所になると思うのだが残念である。

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  1. 2017/08/02(水) 23:48:53|
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