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小笠原にみる領土の実効支配の過程 - 有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」6

 小笠原の項を読むと無人島が発見された後、どのような過程を経てある国の領土に編入されるのかがわかる。言い換えれば小笠原の歴史は各国の思惑に翻弄される過程を示している。有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」及び「週刊 日本の世界遺産 創刊号 小笠原諸島」から抜粋する。

1675徳川幕府による巡検、大日本の内と書いた杭を立てる
1823アメリカ捕鯨船母島にコッフィン島と命名
1827イギリス測量船ブロッサム号父島二見港に入港、イギリス領を宣言
1828ロシア軍艦セニャーヴィン号父島に来航、ロシア領を宣言
1830アメリカ人セーボレーら白人5人、ハワイ人20人が父島に入植
1853アメリカペリー提督、ナサニエル・セーボレーから土地を購入
1854イギリス政府は香港にてペリーに小笠原諸島がイギリス領であることを申し入れるが、ペリーも反論する
1861徳川幕府、ペリーの出版した航海日誌を読み外国人による小笠原諸島入植を知る
1862徳川幕府が八丈島から38名の島民を移住させるが、10ヶ月で引き返す
1873島民が自ら憲法を作成、ナサニエル・セーボレーを長官とする
1875帆船明治丸が父島二見港に入港、明治天皇の命により島情探査
1876明治政府、日本から移民を送り原住民の帰化を促す
1944本土への強制疎開
1945アメリカの統治下に置かれる
1946GHQ、欧米系島民のみ帰島を許可
1968小笠原諸島、日本に返還

 読むと意外と実効支配する国はその時代の状況に応じている。1875年の日本からの移民が現在日本の領土となる決定的な点だと思うが、著者はこのときアメリカとイギリスが反対しなかった理由として1873年に金融恐慌があったことなどを推測している。

 この年、アメリカは金融恐慌が起り、ニューヨーク取引所は閉鎖される有様で、ハワイより小さい島のことなど考える余裕もなかったのだろう。イギリスはヴィクトリア女王の時代で、スエズ運河の買収や、女王がインド皇帝を兼ねるなど赫々たるものがあったが、小笠原はインドやアフリカに較べて小さすぎた。アメリカさえ手を引くなら問題はないという判断だったのだろう。

有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」(集英社文庫,1984)P.329

 領土拡大の目論見と内政に余裕があることが条件であり、あとは他国とのせめぎ合いといったところだろうか。仮に月に容易に行けるようになったら同じようなことが繰り広げられるのだろうか。

 また昭和の時代にも小笠原周辺に外国船がサンゴを取りに来ていたそうだ。

 菊池さんの話は面白くてたまらないが、台湾のサンゴ漁船による被害は甚大で、漁礁は荒らされるし、海底が滅茶苦茶になる。第一、200カイリどころか領海内にも平気で入ってきて、こちらが追いかけると逃げてしまう。昭和54年10月10日から今年の1月26日までに確認された台湾のサンゴ漁船の数は延べで1326隻になる。すべて小笠原村周辺海域で操業していた。

有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」(集英社文庫,1984)P.340

 2014年には中国漁船が小笠原周辺で不法にサンゴを採っていたのが問題になった。資源のあるところは昔も今も変わらぬ問題を抱えていると改めて思う。

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