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中国と日本を股にかけて活動した王直 - 有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」3

 長崎県五島列島の歴史は深い。教科書に載らない、地方の歴史があることを知った。実に国境の島らしい。

 有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」には以下の話が載っていた。

  1. 遣唐使の南路に位置付けられており、804年の第12回には空海と最澄が福江島を訪れている。
  2. 中国人の商人、王直が種子島を訪れる前に福江島に滞在し、五島領主盛定公から一町を与えられて拠点の一つとしていた。
  3. 長崎にフランス人が大浦天主堂を建て、信仰を強めたキリシタンが神社寺院の習慣を拒否したため、明治になってキリシタン禁制が解かれても迫害の対象となった。

 特に2番目の王直の話は大河ドラマを見るような波乱の人生である。

 安徽省歙県の出身で明暦嘉靖19年(天文9、西暦1540)巨艦を造船し、明で貿易禁止になっていた硝石や綿糸を積み、広東を中心に日本、シャム、西洋諸国と往来した。

有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」(集英社文庫,1984)P.115

 原著のワクワク感を損なわぬよう全文引用したいところだが、長いので要約する。

 天文12年7月末、王直の船がマカオに碇泊し、西洋人を3人雇う。アモイに向かう途中、海賊船に襲撃された王直は戦いを繰り広げるものの、敗走する。難破して23日間も海上を漂流した後、ようやく種子島にたどり着く。王直は砂に字を書き五島へ連絡をとってほしいと願うが通じない。やがて雇ったポルトガル人の持つ鉄砲に興味を持った種子島領主時堯は鉄砲を学ばせてほしいと依頼する。鉄砲と火薬の製造法を教授した王直は食料・薪水を積み込み出航した。これが種子島銃の元である。

 その後の運命も波乱に満ちている。1555年(弘治一)明国海軍総督は王直帰順工作を始めるが、福江の領主18代純定は取り合わない。王直の邸宅に招かれた明の使節は国賊の一族として10年投獄されていた王直の母と妻が釈放され、総督から厚遇されていること、王直が帰順すれば明の皇帝から官爵と日明通称の許可が降りると説明した。義子の汪滶が海軍総督に出向き、帰順を誓って福江に戻って来た。1557年王直は明に渡ったが捕らえられ明の世宗の命により斬首に処される。

 航海するにも危険だった頃に禁を犯して貿易を行い、東シナ海を股にかけて巨艦を動かす男は相当の桀人であろう。中国では海賊行為を働いた倭寇という悪い評価もあるようだが、大人物ゆえ毀誉褒貶あるだろう。歴史小説家が目をつけそうな人物だが、特に見当たらない。面白そうだけどなあ。

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