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関東における最大の激戦、神流川の戦い

 神流川の戦いという日本史における戦いがあったそうだ。

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↑神流川合戦場の碑

 神流川沿いを歩いたあと、神流川橋のたもとの交差点から国道17号沿いに新町駅に歩いた。この辻に神流川の戦いの碑が立っていた。

神流川合戦古戦場

 天正10年(1582)6月16日から19日にかけ、織田信長の関東管領として上州と信州の一部を治めた滝川一益と、相模国を中心に関東南部を所領としていた北条氏が神流川で戦いました。この戦は、信長が6月2日に京都本能寺で明智光秀に討たれた弔いに出陣する一益を阻止し、関東の支配者の地位を勝ち取ろうとする小田原の北条氏が争った合戦で「神流川合戦」と呼ばれます。

 18,000の瀧川・上州勢は当初優勢でしたが、北条軍も50,000と言われる優位な戦力で勝利となりましたが、損害が多く、小田原へ引き上げました。一益は上州諸将に協力を謝し別離の宴の後、厩橋を出立し領国伊勢へ向かいました。

 この合戦は、戦死者が両軍合わせ4,000余人を数え、戦国時代関東における最大の激戦と言われます。「炎熱石を焦がし、流水煮える中に阿鼻叫喚の死闘であった」と伝えられます。

神流川合戦古戦場 説明板

 北条氏は秀吉が小田原で滅ぼしたことしか知らず、滝川氏は知らない。そもそも戦国時代の関東の武将は北条氏しか知らない。織田信長の死去のあとは羽柴秀吉による明智光秀の討伐や柴田勝家との軋轢が有名だが、関東でこんな戦いがあったとは知らなかった。

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