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巻機山の名前の由来

 巻機山の名前を初めて知った時はなんと読むのだろう、と思った。読み方を知った後もなんでこれで「まきはた」と読むのだろうと不思議に思った。何度か登った今では「まきはたやま」以外の読み方が思い浮かばない。

 そんな巻機山だが、さぞかし変わった由来があるのだろう、と思いきや深田久弥「日本百名山」でははっきりしない。

 巻機山は機の神様である巻機さんを祀ってあると聞いたことがあるが、さだかでない。養蚕に関係があるのかもしれない。ともあれ『北越雪譜』にもその前衛の名が出ているくらいだから、昔から魚沼郡では知られていた山に違いない。

深田久弥「日本百名山」(新潮文庫,1986)P.128-129
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↑巻機山山頂の池塘(2010年秋 - 上越・巻機山井戸尾根

 柳田國男「日本の伝説」には機織り御前の項に巻機山の由来が書いてあった。

 越後の山奥の大木六という村には、村長で神主をしていた細矢という非常な旧家があって、、その主人がまた代々すがめでありました。昔この家の先祖の弥右衛門という人が、ある夏の日に国境の山へ狩りに行って路を踏み迷い、今の巻機山に登ってしまいました。この山は樹木深く茂り薬草が多く、近い頃までも神の山といって、おそれて人のはいらぬ山でありましたが、弥右衛門はこの深山の中で、世にも美しいお姫様の機を巻いているのを見かけたのであります。驚いて立ってみると、向うから言葉をかけて、ここは人間が来れば帰ることの出来ぬ所であるが、その方は仕合せ者で、縁あってわが姿を見た。それでこれから里に下って、永く一村の鎮守として祀られようと思う。急いでわれを負うて山を降りて行け、そうして必ず後を見返ってはならぬといわれました。仰せの通りにして帰って来る途中、約束に背いて思わずただ一度だけ、首を右へ曲げて背中の神様を見ようとしますと、忽ちすがめとなってしまって、それから以降この家へ生れる男子は、悉く一方の目が細いということでありました。今でもそういうことがあるかどうか、私は行って尋ねて見たいと思っています。(越後野志と温故之栞。新潟県南魚沼郡中之島村大木六)

柳田國男「日本の伝説」(新潮文庫,1987)P.72

 清水峠から流れる登川が魚野川と合流する少し手前の左岸に大木六という地名が残っているので、きっとここの話であろう。昔は人の入らぬ山であったというのがちょっと意外である。三国川流域や国境稜線を越えた利根川源流にも沢の名前が付いていることから猟師は分け入っていたと考えられるからだ。巻機山の由来は「美しいお姫様が機を巻いている」というおおざっぱな説明に終わっている。もう少し記述があってほしかった。振り返ってはいけないという禁を犯す話も洋の東西を問わずある話だ。

 分かったような分からないような、いかにも伝説らしい説得の仕方だと思う。

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  1. 2015/09/26(土) 01:06:12|
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