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信濃、越後、越中の三国境を決める話 - 柳田國男「日本の伝説」

 柳田國男「日本の伝説」に信濃、越後、越中の三国境を決める話が出ていた。

 これとよく似た言い伝えが、また信州にもありました。信州では、諏訪大明神が国堺を御きめなされるために、安曇郡を通って越後の強清水というところまで行かれますと、そこへ越後の弥彦権現がお出向きになって、ここまで信濃にはいられては、あまり越後が狭くなるから、いま少し上の方を堺にしようという御相談になり、白池というところまでもどって堺を立てられました。それから西へ廻って越中の館山権現、加賀の白山権現ともお出あいなされて、つごう三箇所の境がきまり、それから後は7年に1度ずつ、諏訪から内鎌というものが来て、堺目にしるしを立てたということであります。(信府統記)

柳田國男「日本の伝説」(新潮文庫,1987)P.95

 この国境を決める話は長野県の霊仙峰のあたりを通ったときに調べて読んだことがある。「一番鶏が鳴くと同時に峠道を登り始めてお互いに会ったところを境界とする、という説」だが、他の国境でも同じようなことをしているのは知らなかった。

 上の信濃、越後、越中の三国境については現在でも三国境というわかりやすい名前の山があり、現在は三国境が長野、新潟、富山の三県境になっている。

 この白池というところは探してみたら、三国境とは別で雨飾山のふもと、糸魚川市と小谷村の境界未確定の箇所にあった。

↑糸魚川市の白池

 白池のほとりにある古いほこらの説明文によると、古くは白池の中心が信越国境で、ここで「薙鎌打ち神事」があったという。糸魚川市史などをひもとくと、元禄時代に起きた国境紛争を持ち出したのは越後側で、白池の水利権なども絡んでいたようだ。幕府裁定の結果、白池は信濃領となり、その後も定期的に役人が確認のために訪れたという。

 ところが、明治維新後、敗訴した越後側が異議を申し立てて未確定となり、今に至っているという。

<塩の道>塩の道:信越県境空白域で神事 交流深め未来へ 糸魚川と長野・小谷 /新潟 - 毎日新聞

 周辺は谷が発達しておらず、小さな山があったり、池があったりして分水嶺がわかりにくい。神様同士が話し合ったとするなら、池という目印で平地の方がイメージが湧きやすい。昔の人は星座を考えたり、想像力が豊かなものだ。

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