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東ドイツのアンペルメンヒェン

 実家の荷物を整理していたら東ドイツのアンペルメンヒェンの冊子が出てきた。

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↑アンペルメンヒェンの歴史

 東ドイツ生まれの「アンペルメンヒェン(歩行者用信号の人型マーク)」は、生粋のベルリンっ子です。首都東ベルリンに歩行者用信号の第一号が設置されたのは、1961年10月13日のことでした。当時、交通量とともに増えつつあった交通事故を減らすことを任務としていた交通心理学者のカール・ペグラウ(Karl Peglau)は、従来の自動車用信号とは別に歩行者用信号を考案しました。親しみやすいマークほど歩行者への効果が大きいことから、その形状については心理学に基づいて十分に検討がなされました。

(中略)

 ドイツ統一後、旧東ドイツの多くの日常生活品とともに、アンペルメンヒェンも消え去ることになりました。西側の役所や政治家、交通技術者は、東の信号の人型マークに難癖をつけ、1994年には旧西ドイツやEUの人型マークへの転換がはじまります。

(中略)

 1996年、インダストリアル・デザイナーのマルクス・ヘックハウゼン(Markus Heckhausen)が撤去されたアンペルメンヒェンを引き取り、使い古しの四合のガラスでアンペルマン・グッズの第一号、赤と緑の信号灯を作りました。このランプへのメディアの反響は予想以上に大きく、この流れで信号機撤去の話が大々的に取り上げられたことから、姿を消しつつあったアンペルメンヒェンが市民の意識にのぼります。

 という愛嬌と歴史のあるアイコンである。大学院を修了するときにドイツに旅行に行き、東ベルリンの専門店で反射飾りとこの冊子を買ったのであった。

 改めて読んでみると、旧東ドイツに対する愛国心とか反グローバルとかそういったキーワードが思い浮かんでくる。統一的な基準を作るのは難しいし、その土地の標識の考えも反映させる必要があると考えさせられる記号である。

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  1. 2015/07/04(土) 00:00:34|
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