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島崎藤村「破戒」

 島崎藤村「破戒」を読んだ。

 新田次郎「聖職の碑」を読んだあとで、長野県つながり。出だしが「木曽路はすべて山の中である」と勘違いしていて、飯山から話が始まったのが肩透かしであった。「木曽路は…」は同じ島崎藤村の「夜明け前」だそうだ。

 有名な小説なので内容はごく簡単にまとめる。時は明治、穢多の生まれである主人公、瀬川丑松は長野県飯山の小学校で教鞭をとっていた。父からは出生をただ「隠せ」と戒められたが、穢多の生まれである思想家・猪子連太郎の考えに惹かれるようになる。ふとしたきっかけで丑松が卑しい生まれであるという噂が流れ、彼は教壇でその生まれについて告白する、という物語。

 センセーショナルな小説であったのだろう。末尾の評論文を読むと、全国水平社の批判により一時絶版あるいは改訂版にしたり、初版の「穢多」を訂正本では「部落民」に言い換えたりしたそうだ。評論の指摘通り物語は結末に至って確かに問題が解決していない。

『破戒』の弱点は何だろうか。それは『破戒』が部落民の問題をとりあげ、人間が同じ人間から差別されるわけはないというところから、問題を考えようとしながら、どうして人間は互いに対等なのかという理由を根拠づけることができないのである。

野間 宏,「破戒」について,『破戒』巻末P.345

 小説は逃避に近い結末となっている。もっともテキサスへの移住は妙にリベラルな長野県民らしい気もする。

 現代においても差別の問題は残っている。橋下大阪市長が部落出身であると週刊誌が報じた際、橋下市長は生まれによって差別する報道機関の取材は受けないと主張したことは記憶に新しい。

 一方で、テロリストが警察官や入国審査官になったりしないよう就職の際に素性を調べるということはあるのかもしれないし、家によっては結婚の際相手の家柄を調べることは今でもあるだろう。それらは職務上仕方ないことだったり、その家の思想だろうから表立って批判しなければ、問題にはならないように感じる。

 私自身も仕事柄、人権問題の研修を受けることがあるが、部落差別についてはいまいちイメージが湧かない。具体例があまり示されないというのが大きな理由だが、具体的な地名を示せば差別を引き起こすということなのだろうか。他の人にも同じ疑問があるのか、最近の人権問題の研修では単に部落差別だけでなく、男女差別、障害者差別、外国人差別など幅広い差別をとりあげているように感じる。

 私自身も生まれがどうだかはよくわかっていない。貴い生まれではなさそうだが、部落民なのかというとよく分からない。問われたこともないし、仮にそうだとしても私自身気にならない。私だって下水のマンホールの中に入る仕事をしたこともあるし、そういう意味では下賎な人間かもしれない。私は職業に貴賎なしと考えていて、私にできないことを行う人は誰だって尊敬している。

 人の出身を聞くときは市町村を聞くまででその先の住所を聞いてもどうせ分からない。近年は運転免許証にも本籍地を載せないし、住民票も本籍地を掲載するかどうか選べる。どうしても気になるなら本籍を移せばいい。

 私が単に無知だからか生まれによる差別の問題はあんまり問題として認識できていない。ひょっとしたら知らずに人を傷つけているのかもしれないが、研修で習った程度には気をつけようと思う。

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  1. 2015/06/05(金) 00:45:42|
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