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卒論に絵文字&完コピで准教授涙目という記事

 卒論に絵文字&完コピで准教授涙目という記事を読んだ。

 ツイッター上で新年早々つぶやいていたのは、同大学の経営学部で組織戦略論を専門とする小林康一准教授。提出された卒論を読み進めるなか、

「っていうか、卒論に絵文字を使うな」

とイマドキの学生に呆れるツイートをしていた。だが、その後

「他大学の学生の論文完コピとはいい度胸してんじゃねぇか。知ってる大学だし、なんなら本人お呼びして目の前で弁明してもらおうかな」

「行為自体も犯罪だけど、それをなんでこんなわかりやすくやっちゃうかなぁ・・・というか、これはテロか?自爆テロなのか?」

と、相当高い衝撃度の卒論に直面したことを告白。

卒論に絵文字&完コピで准教授涙目 | ニコニコニュース

 他大の論文の完全コピーを行うというのは私の発想にはなかった。研究室ではゼミで教授などから意見をもらい磨き上げられて論文が完成すると私は思っているので、卒論までに積み上げてきたものを無に帰す理由が考えられない。一方で卒論までに積み上げてきたものがなくて突貫工事で卒論を作らなければならない事態になっているなら気持ちとしてはわからなくもない。

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↑私の卒業論文の一部

 引用文献をまるごとコピーしてきて自分の発表とすることは詐称だと思う。少なくともその原論文の著者の著作人格権を否定しているといえよう。罪の意識があるのかないのか、気になるところではある。

 しかし、事の本質はなぜ学生が完コピするような事態になったのかを考えることにあると思う。想像であるが、この学生は「大学卒」という称号を得るために大学に入ったのではないだろうか。大学卒相当を採用の条件にしている企業もあるのでサラリーマンとして働くなら大学を卒業しておいたほうが選択肢が広い。称号を得るのが目的であれば、論文を書くことは目的ではないので手段を選ぶ必要はない。誰かが書いた論文を持ってきて自分のものとして発表して、指導教官と査読教官にばれなければ、労せず大学卒の称号を得ることができる。卒業するための最も利己的な方法だろう。

 論文を完コピするような学生はごく一部だと思うが、もしある程度の人数がいるのであれば大学が何を目的にしている機関なのかも考える必要があると思う。私は大学は学問を追究する機関だと考えているが、一方で学生を企業などに送り出すための教育機関であるという一面も否定しない。企業だって研究をおろそかにする学生を積極的にとりたいとは思わないだろう。いっそ就職する学生は研究しないで大学を職業訓練校にすべきという議論が起こるのもしかたない。別に優秀な研究をしたからといって企業の開発に直結することは数少ないのだから、大学では研究ではなく職業訓練に必要な技術を教えればよいということになる。

 企業側も採用にあたってコミュニケーション能力とか人柄重視とか標榜するなら大学卒にこだわらず学歴不問にすりゃいいだろう。そうすれば学生がわざわざ就職のために高い学費や下宿代を払って大学に進学することも少なくなるだろう。

 考えてみると大学が何をするところなのか、企業はどのような人材が欲しいのか、その本質を考えさせられる問題だと思う。

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  1. 2015/01/19(月) 01:22:31|
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