山ノ中ニ有リblog

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冠松次郎の出身が日暮里の道灌山

 冠松次郎が自身の「冠」という珍しい苗字について調べた記述があった。

 蛇足だが、次に冠という名の由来を少し述べてみよう。

 名の読み方はカンムリというので、遠く先祖をたずねる訳ではないが、私の家は東京には三代であるが、本家は日暮里(荒川区日暮里)で三十代近くもつづいている。徳川氏は勿論のこと太田道灌よりも遥かに古い。

 ややはっきりしていることは、鎌倉時代に日蓮上人が巡錫の途次立ち寄られたことだ。その時に上人の書いておかれた真蹟が今日でも残っている。それから、その時までは真言宗だったのを法華宗に改宗して一宇を建て、住職として子孫をあてた。それは日暮里町九丁目に現存している。

 日暮里村の古農で、何かの功績で苗字帯刀を許された。冠という姓はその時にもらったものだというが、これは何時誰から貰ったのか詳かでない。つい明治時代まで道灌山の一部は自家の前庭であった。

 少なくとも八百年以上千年の旧家であった。それだから、太田道灌が「わが庵は 松原つづき 海近く 富士の高根を軒端にぞ見る」と、得意になっていた頃には、すでに江戸近郊のひぐらしの里で一家をなしていたのである。

冠松次郎「渓(たに)」(中公文庫,1989)P.278 姓名談義,小品五題

 確かに他に「冠」という名前の人を見たことがないし、冠松次郎の名前も「冠 松次郎」なのか「冠松 次郎」なのか初めてには分からない。

↑現在の西日暮里4丁目付近の地図

 荒川区はだいぶ住所が簡素に整理されてしまい、旧町名が分からない。日暮里町九丁目も不明だが、記述の通り道灌山のあたりなのだろう。今でいう開成高校あたりのようだ。この辺だと、登山家の芳野満彦もまた諏方神社のあたりに住んでいた(新田次郎「栄光の岩壁(上)」に諏訪神社が出てきた)。谷田川と沖積低地にはさまれた台地の上なので氾濫の心配はなく、昔から人が住んだであろうと思われる場所だ。

 結局「冠」という変わった名前の由来は分からないようだが、旧家ということでお金もあったのだろう。戦前から黒部の谷に案内を雇って縦横無尽に歩いている人だからひとかどの人物だとは思っていた。

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