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冠松次郎「渓(たに)」に薬師見平を見下ろす記述があった

 薬師見平という黒部の秘境の関連。

 冠松次郎「渓(たに)」に薬師見平を見下ろす記述を見つけた。冠松次郎が赤牛岳に登ったときのことである。

 これは大正13年の8月に、双六谷の金木戸川を上り、蓮華谷の支流である九郎右衛門谷から黒部乗越を黒部の源流に下り、上ノ廊下へ入ったときのことである。

冠松次郎「渓(たに)」(中公文庫,1989)P.100 赤牛岳に登る

 このあと冠松次郎は黒部川を下り、平に待つ友人のところへ向かっていたのだが、金作谷の合流点で黒部が激流になり、下れなくなってしまう。同行する金作がいやがる中、赤牛岳を越えて東沢谷に行くことに決める。

↑薬師見平付近の地図

100808yakushi_14.jpg

↑間山付近から黒部川をはさんで見た薬師見平(2010年夏 - 北アルプス・薬師岳〜黒部五郎岳[2/3]

 それから私たちは結束して、道のない赤牛側の急斜面を登り始めた。

 なるほどいやな登りだ。見渡すかぎりの大竹薮で、しかも拇指大の太さのある随分長い年月を成長してきた密叢である。

 なかなか身体が入らない。両手に力を入れて、押し分けながら登りを行くので、手や足ばかりでなく身体中がくたびれてしまう。僅か十二、三米先を行く人の姿も見えない。

 金作がここだけはごめんだ、と言ったのも無理のないことだと思った。

 私たちは午後二時頃から日暮近くまで、この大竹薮の密叢と闘った。今まで経験した偃松の林より遥かに悪かった。

 そうこうしているうち日が暮れかかってきた。仕方なしにややゆるい斜面の窪に竹を折り敷いて、その上に天幕を冠って眠ることにした。

 水もないし焚物もない。勿論、飯を炊くすべもない。ドロップと甘納豆をなめながら一夜を明かした。ところが悪いことに折り敷いた竹の下に蜂の巣があって、ひと晩じゅうぶんぶんうなられて、ろくろく眠ることさえできなかった。


 翌日は夜のしらむのを待って、そこそこに陣屋をひき払って、大尾根に向かって登っていった。暫く上ると竹が短くなって疎らになった間から視界が少しずつ拡がってきた。

 今日は幸いとよく晴れている。私たちはふと左下の処を見て驚いた。そこには一面に草の平が拡がっているではないか。その中には池がいくつも光っている。昨日竹薮の中から右横に出ればこの草地で泊れたものを、水もあるし、見晴らしもさぞよかったろうにと思ったが、それは後の祭りだった。

 白檜の森が茂ってきた。そして大尾根(赤牛岳の頂から黒部へ下りている西北の大きな尾根)の背筋に出た。もう獰猛な竹薮もない。下草も少ない。

 ひもじいので徐々に上っていく。二千五、六百米の地点まで上ると、薬師岳の全容がすぐ谷向こうに、しかも真正面に見えてきた。私は思わず手を挙げて喜んだ。

冠松次郎「渓(たに)」(中公文庫,1989)P.101-103 赤牛岳に登る

 冠松次郎は薬師見平という呼称を使っていないが、地形図を見るとおそらくこの一面の草の原といくつもの池は薬師見平ではないだろうか。ひどいハイマツのヤブのようで、大正の頃もあんまり人が訪れていないようだ。

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  1. 2014/08/20(水) 00:20:27|
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