島ノ中ニ有リblog

島の生活とか、登山とか、Macとか、日記とか

村道白滝線の慰霊碑を読んでみた

 村道白滝線の慰霊碑に書かれていた文字を読んでみた。

130309ookubo_18.jpg

↑墓石と思ったら慰霊碑であった。

130309ookubo_15.jpg

↑慰霊碑の西面。けっこう字がきれい。

130309ookubo_16.jpg

↑南面には建立した人たちの名前が書かれていた。

 西面は以下のように書かれていた。

嗚呼不幸哉明治三十三年九月三
日大窪道路改鑿工夫伊藤竹松為
此工鑿壓死有追悼之情不止者終
建之嗚呼不幸哉

 意訳すると、以下のような感じだろうか。

 ああ不幸かな。

 明治33年9月3日、大窪道路の開削にあたった作業員、伊藤竹松、この掘削作業のため、圧死があった。

 追悼の情、止まず。

 終えてこれを建つ。

 ああ不幸かな。

 「鑿」が読めなくて苦戦した。圧の旧字体「壓」が続くこともあって、旧字体と思っていたが、親父が「のみ、じゃね?」と調べたら、コンコン叩く「のみ」であった。訓読みはほかに「うがつ」、音読みは「さく」らしい。現代語では「削」に置き換えれば読めそうだったので、改鑿=開削、工鑿=掘削作業と意訳した。

 あと、「工夫」は現代ではもっぱら「くふう」と読むが、文脈から類推するに「こうふ」だろう。

 大久保を昔は「大窪」と表現することが分かったのもよい収穫であった。

 昔の人の文字はだいたい達筆すぎて読めないのだが、これは教科書体のような読みやすい字で解読のしがいがあった。

以下、130615追記。

 もう使われていないのだろうと思い、「旧村道白滝線」という表現をしていたが、今日NTT横に立っている工事看板を見たら「村道白滝線」だったので、表現を改めた。

130615shiratakisen.jpg

↑2013年6月15日NTT横に立っていた看板

関連記事
  1. 2013/03/13(水) 23:35:05|
  2. 三宅島・御蔵島
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<玄関がかび臭かった理由 | ホーム | 空を黄色く染めた煙霧>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://nakayamayu.blog107.fc2.com/tb.php/2183-9edb0514
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)