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天然の無常 - 山折哲雄「宗教の力―日本人の心はどこへ行くのか」

 山折哲雄「宗教の力―日本人の心はどこへ行くのか」を読んでいる。

 そこに寺田寅彦が「天然の無常」という感覚を示していたことが書かれている。

 それは昭和十年に書かれた「日本人の自然観」という文章で、そこに地震という現象に関してきわめて重要なことが記されていたのです。

(中略)

 日本では地震がよく起こるし、台風が発生するし、洪水に襲われる。(中略)自然の猛威に対して反抗することを諦め、むしろ従順に首をたれ、自然を師として学び、そのことを通して生きる知恵を蓄えるようになったというのです。

(中略)

 日本の自然は非常に不安定であり、その自然がいっぺん暴れだすと人間は為すところを知らない。人間の力なんて微々たるもので、その自然の暴威の前にはどうすることもできない。そういうところから「天然の無常」という感覚が生まれたのだ、と。

(中略)

 三番目に、そういう日本人はこうしてただ自然を見ていたのではなく、自然の中に神の声を聞き、自然の中に紙が宿っていると感じてきたのだと寺田は書いています。(中略)そういう繊細で鋭敏な感覚を持つ日本人の世界に、仏教が大陸から入ってきました。仏教はいろいろのな思想をもたらし、その仏教の思想が日本人に大きな影響を与えてきました。中でも日本人の心の底まで深い影響を与えたのが「無常観」だったのではないか、と寺田寅彦は考えています。

山折 哲雄「宗教の力―日本人の心はどこへ行くのか」(PHP新書,1999)P.30-32

 以前にも私は山折哲雄氏の著作を読んで、近年の日本人の無常観に対する変化を書いた。

 しかし、現代の日本においては自然は受け入れるものから征服するものへと変化している気がする。

 うまい例が見つからないが、水害、震災等の天災において、行政の管理が厳しくなっているように感じる。自然は征服すべき相手であり、征服できない場合に誰かの責任になるからだろう。そのとき責任を負うのは河川などを管理する行政であり、行政が管理責任が問われるからであろう。

天災に対する日本人の姿勢と行政責任

 それも東日本大震災においては、釜石の世界最大の防波堤が津波によって壊されたり、宮古では津波が史上最大の遡上高を記録したりと、自然の圧倒的な力を見せつけられた。いましばらくは日本人も自然の猛威を忘れず、頭を垂れて過ぎ去るのを待つことを覚えるだろうが、あと10年20年したらどうだろうか。

 「天災は忘れた頃にやってくる」とは寺田寅彦はまったくうまい文句を考えたものだ。


宗教の力―日本人の心はどこへ行くのか (PHP新書)宗教の力―日本人の心はどこへ行くのか (PHP新書)
(1999/02)
山折 哲雄

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 120929追記:2年前に同じ本を読んでいた。全然覚えていないということか。ちょっと恥ずかしい。

 参考:宗教は複数信じてもよいか - 山折哲雄「宗教の力―日本人の心はどこへ行くのか」

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