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東京の道路がいまだ整備途中である理由 - 青山やすし「石原都政副知事ノート」

 三宅島噴火時の都の対応 - 青山やすし「石原都政副知事ノート」の続き。

 以前、東京に緑が少ない理由というエントリを書いたが、この本に道路が整備されていない理由にも触れられていたので引用する。

 しかし震災復興のときは、昭和通り(幅44m)や永代通り(同36m)・靖国通り(同36m)など放射方向の立派な道路をつくった(戦後私たちがつくった環七や環八は幅25m)ものの、環状道路は実施されなかった。

 そこで戦災復興計画では環状道路の時うう要請を認識し、環二(外堀通り)を幅100m、環六(山手通り)を幅80mで計画しながら、政治が実行しなかった。

 環二は幅40m、環六は幅22mでつくった。日本を占領した連合国の司令官マッカーサーに「戦争に負けた国の首都に戦勝国のモニュメントのようなインフラをつくらせるな」と言われて、幅広の道路をつくらせてもらえなかったのだ。

青山やすし「石原都政副知事ノート」(平凡社新書,2004)P.100

 東京の道路が整備されていない歴史的経緯は私も知らないのだが、政治が実行しなかった、マッカーサーに止められたと漠然とした理由を述べている。ソースはアレだが、Wikipediaの東京都市計画道路幹線街路環状第2号線の項目にも以下のように書かれている。

 終戦後には、この空地帯を利用する形で幅員100メートルの環状2号線として都市計画決定がされている。この間、マッカーサーの率いるGHQは計画に全く関係していないばかりか、「敗戦国に立派な道路は必要ない」、「これでは(敗戦国ではなく)戦勝国の記念道路のようだ」と、むしろ反対の立場だった。

東京都市計画道路幹線街路環状第2号線 - Wikipedia

 これが事実であれば、東京はいまだに戦争の負の遺産を背負っているわけで、敗戦国とはいえ釈然としない。


石原都政副知事ノート (平凡社新書)石原都政副知事ノート (平凡社新書)
(2004/01/21)
青山 やすし

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