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登山適格者とは誰かーそのトートロジー的問題 - 岩崎元郎「登山不適格者」(2)

 登山の安全性と禁煙の論理的相似性 の書き直し。

 山を危険なものにしているのは、山を知らない登山者達なのだ。あえて、厳しい言い方をすれば、それは”登山不適格者”と言っていい。

岩崎元郎.登山不適格者.P.28. 日本放送出版協会.2003.

 「山を知らない」とは具体的にその前段で以下を知らないこととあげられている。

 しかし、このあと著者は以下のように記している。

 山を知ることに、「もう十分」ということはない。相手は自然なのだ。どんなに経験を積んだベテラン登山者でも、ひとたび山に入れば100パーセント安全だという保証はどこにもない。

岩崎元郎.登山不適格者.P.28. 日本放送出版協会.2003.

 となると、いったい登山不適格者と登山適格者の区別はどうやって行えばよいのだろう。この文章からいえば山を「十分に知った」人はいないわけで、登山適格者は存在しないことになってしまう。

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↑北鎌尾根独標の巻き(2006年冬 - 北ア・槍ヶ岳北鎌尾根[5/7]

 現実には結果から判断するしかないだろう。事故にあった人を登山不適格者、事故にあったことのない人を(暫定)登山適格者とする。事故にあった人は「山を知らなかったから」事故にあったと考えれば登山不適格者である。事故に遭わなかった人はどうか。事故に遭わなかった人は、山を「知らなかった」ものの運良く登れてしまった人と、山を「知っている」から事故に遭わなかった人の2種類がいることになる。以下に簡単にまとめた。

 では事故にあったことのない人での線引きはどのようにして行うべきか。事故は事実なので客観的に二分することができるが、山を知る/知らないは客観的な判断ができない。主観的な判断にゆだねられることになる。

 主観的な判断ほど曖昧なものはない。どんなに経験があっても、どんなに自信があっても100パーセント安全だという保証はどこにもないのである。「私は登山適格者」と自称するのは簡単だが、客観的に登山適格者を決定するのは不可能である。

 かといって登山者認定機関のようなものを設置して登山者にテストさせて合格者以外入山させないというのもバカらしい。合格者でも100パーセント安全だという保証はどこにもないのだから。

 似たような議論(ただし単独行について)が「山道を行く」というサイトのコメント欄でも繰り広げられていた。いっぺんひと通り読んだのだが、あまりに長くてまた読み直す気はしない。結論は出ていなかったはず。真野氏が目次のようなものをつくっているのでこちらを参照いただきたい。

 私はどうだろうな、おそらく登山不適格者の部類だろうな。少なくとも雪山や上級の沢登りでは。


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(2003/06)
岩崎 元郎

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  1. 2008/04/13(日) 21:52:11|
  2. 書評 - 山岳
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