島ノ中ニ有リblog

島の生活とか、登山とか、Macとか、日記とか

金の茶釜 - 奥多摩民話の会編「おくたまの昔話」第三集

 第一集から第三集までの間でひとつだけ神隠しの事例があったので、書き写す。

 「昔なぁ、あたみの向こう山の真光寺平にゃあ、立派なお寺さんがあったちゅう話だあ。そのお寺にゃあ信玄公が隠した金の茶釜がどこかに埋めてあるっちゅうことだぁ」

 河内村に住む与市という若者は、子供のころじいさまからこんな話を聞いていました。

 ある日、与市は檜原村まで荷物を運んで行きました。

 その帰り道、真光寺平を通るころには、あたりは夕闇につつまれ始めていました。

 ふと足を止めると、目の前に朱塗りの山門が見えます。

 ここはただの野っ原のはずです。もしかすると、じいさまから聞いたあのお寺ではないだろうかと、門の奥へこわごわ入っていくと、目の前に夕焼けに染まった立派な伽藍が見えてきました。驚いて立ちすくんでいると、

 どこから現れたのか年若い尼さんが、

「与市さん、何かご用ですか」

 と声をかけてきました。

 どぎまぎしている与市に、

「私はこの寺の者です。何も心配することはありません。いいことを教えましょうか。私は金の茶釜のありかを知っているのです。今夜は月夜でしょ。ゆっくり出直して、また、ここにいらっしゃい」

 と、にっこりほほえんで与市の肩をたたきました。

 与市はもう夢ごこちです。

呪文にでもかけられたかのように、与市は宙を飛ぶようにして家に帰りました。

「おっかあ、早く飯にしてくれ」

と、戸口に入るやいなや大声で叫びました。

 もう頭の中はあの若い尼さんのことでいっぱいです。

 ご飯を二、三杯かきこむと、

「おらあ、金の茶釜をめっけに真光寺平までちょっくら行ってくらー」

というが早いか、家の者が不思議がるのをよそに、夢中でかけて行ってしまいました。

 それっきり与市は帰ってきませんでした。

 家の者たちは、与市がいっていた真光寺平あたりをくまなくさがしてみましたが、草のおい茂る原っぱの中には与市の姿は見当たりませんでした。

(後略)

奥多摩民話の会編「おくたまの昔話」第三集(図書印刷株式会社,1990)P.48-51

 私は子供のときオカルトの本をよく読んだ時期がある。人体発火だとかドッペルゲンガーだとかラップ現象だとかツングースカ大爆発だとかである。大学生くらいのときにX51.ORGを読みふけったこともある。特に神隠しは興味がある一方、宇宙人だとかネッシーだとかにはあまり興味がない。「普段見ないものを見た」というより、「いなくなった」方が観測できない分、信ぴょう性が高いからだと自分では思う。とはいえ頭から信じるのではなく、事実として何があったのか、それがどのような伝聞を経て「神隠し」となったのかが面白い。

 神隠しの事例として世界的に有名な例としてはマリー・セレスト号やバミューダトライアングルが、日本では遠野物語の寒戸の婆などが有名である。

 神隠しはだいたい、本人の行いに失踪する理由がないことが多い。何か悪いことをしたからいなくなってしまった、という話はあまり聞かない。それよりどこかへ行ったまま帰ってこなかったり、目を離したらいなくなってしまったりという場合が多い。

 この「金の茶釜」も主人公の与市には何の落ち度もない。シュリーマンみたいな人だったら、飯も食わずに尼さんについて行ったのではないだろうか。折しも夕暮れ時は逢魔が時である。何か魔物に障られたのか、単にけつまずいて谷に落ちたのか分からないが、与市がどうなってしまったのか気になる話だ。

 また、この話では与市のいきさつを詳細に述べているのも気になる。この話がすべて本当であれば、与市は尼さんに会った話は家族にもごくさわりしか話さず、メシをかきこみ駆けて行ったに違いない。となれば、この与市の話は誰が語り継いだのか。ある程度はつくり話なのだろうが、実際にあった出来事がどういうことだったのか気になる。

関連記事
  1. 2010/10/13(水) 23:59:20|
  2. 書評 - 民俗学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<チベット仏教について - ダライ・ラマ「「死の謎」を説く」(1) | ホーム | お地蔵様に余計なことをするとバチが当たる話 - 奥多摩民話の会編「おくたまの昔話」第一集、第三集>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://nakayamayu.blog107.fc2.com/tb.php/1180-a7d8238e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)