島ノ中ニ有リblog

島の生活とか、登山とか、Macとか、日記とか

MacBook Airのストレージが8割ほど埋まった

 MacBook Airのストレージが8割ほど埋まってしまった。

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↑「このMacについて」で見られるストレージの使用状況

 私は音楽も聞かないしMacで映画を見たりもしないので、買うときのBTOではデフォルトの256GBのままにした。

 しかし、気づけば8割ほどストレージが埋まっていた。「このMacについて」で内訳を見ると半分以上がシステムであった。システムフォルダは8GB程度なので、システム以外のファイルもカウントしているようだ。

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↑システムフォルダは8GB程度

 BTO時に512GBにしておけばよかったのか、外部ハードディスクに保存した方がいいのか、そろそろ買い換えてもいいのか、いろいろと考えてしまう。

  1. 2017/08/23(水) 20:55:59|
  2. コンピュータ
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東京駅八重洲南口のバス乗り場が立派になっていた

 東京駅八重洲南口のバス乗り場が立派になっていた。

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↑東京駅八重洲南口のバス乗り場

 大学生のころ、まだつくばエクスプレスが建設中で何度か八重洲口からつくばセンター行きのバスに乗ったが、全然印象に残っていない。さわやか信州号に乗るために八重洲南口に行ったら大きなひさしができていて、液晶ディスプレイにバスの発車時刻、番線などが表示されていた。9番線まであり、平面で一直線に並んでいるのでバスタ新宿よりわかりやすい。安価に移動できる高速バスの需要は増えていると思うので便利になるのはありがたい。

  1. 2017/08/22(火) 00:05:47|
  2. 東京
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前穂高岳北尾根6峰とパノラマコースで見た花

 先日登った前穂高岳北尾根6峰は天気が悪かったが、花をよく見た。

 図鑑をみて花を調べてみた。

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↑ソバナ

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↑マルバダケブキ

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↑センジュガンピ?

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↑クガイソウ?

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↑コガネギク?

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↑トリカブト

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↑シモツケソウ

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↑オカトラノオっぽい花

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↑ウスユキソウ

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↑ハクサンフウロ

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↑ヨツバシオガマ

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↑ウサギギクっぽい花

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↑ミヤマダイコンソウ

 知らない花が多く、図鑑を1ページずつめくっていく作業が多かった。花だけで葉っぱが写っていない写真はわからないものが多い。ウスユキソウもたくさん種類があって細かくは覚えられないし、ミヤマダイコンソウもミヤマキンバイと似ていて葉っぱでなんとなく区別がついた。植物を覚えるのは難しい。

  1. 2017/08/21(月) 21:59:38|
  2. 登山
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前穂北尾根6峰に出かけてきた

 前穂北尾根6峰に出かけてきた。

 目的はデポの回収である。去年の暮れに前穂高岳北尾根に行った際、6峰で回収した食料・燃料の替わりにゴミと空ガス缶を詰めて残置したのである。そのまま雨ざらしになること8ヶ月、ゴミを残置するのもまずいし、中の缶には私の名前と電話番号が書いてあるしで、連絡が来る前に回収した。

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↑回収したデポ

 天気は悪かったものの、無事回収することができた。雨に降られて景色もろくに見えず、濡れて眠れなかったが、目的を達することができたのでよかった。

2017年夏 - 北アルプス・前穂高岳北尾根6峰
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2017/170817maeho/

 関連:前穂高岳北尾根6峰とパノラマコースで見た花

  1. 2017/08/20(日) 21:31:44|
  2. 登ってきた
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コンパスというオンラインの登山届提出サービスがガラケーには使いにくい

 コンパスというオンラインの登山届提出サービスを使ってみた。

 山行の日にちや経由地など与えられた項目を入力すると登山届けとして提出できるサービスのようだ。項目はさほど細かくなく、無線機や保険加入の有無について講釈を垂れることもない。また、本人が下山通知を行うことで下山とし、下山通知がない場合、緊急連絡者に連絡がいくというシステムになっている。

 しかし、思った以上に使い勝手が悪く、一度作った登山届けを取り下げた。

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↑コンパスの入力画面

 フューチャーフォンの携帯をお持ちの方はメール受信アドレスを携帯電話に設定してください。

コンパス~山と自然ネットワーク~ | 使い方

 使い方には以上のように描かれている。私はフューチャーフォンを使っているので、フューチャーフォンで下山通知を行いたい。しかし、登山届の入力はMacでgmailのアドレスを使って行いたい。設定項目をいくつかみたが、「メール受信アドレス」の記入欄が見つからず、替わりにログインメールアドレスを記入する欄があるだけだ。フューチャーフォンから登山届の記入を行うのは面倒なので取り下げた。

 今はフューチャーフォンは少数派なので需要もないのだろう。従前通りの紙の登山届の方がしっくりくるので上高地で提出しよう。

  1. 2017/08/17(木) 00:06:00|
  2. 登山
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ニクイロシュクシャが咲いた

 警察署横の階段にニクイロシュクシャが咲いている。

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↑円筒状に花がついたニクイロシュクシャ

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↑次のつぼみもできている

 3連休明けにいきなり花が咲いていたので驚いた。道で会った知り合いに聞くとショウガの類、ゲットウではないかと言われた。

 調べてみると、ゲットウは白い花でふさが垂れ下がっていてなんだか違う。Google画像検索で調べると植わっていた花に似た写真を見つけた。どうやらニクイロシュクシャのようだ。

 また一つ勉強になった。

  1. 2017/08/16(水) 00:04:36|
  2. 日記
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昔の日本人の名前の構成

 常々、昔の人の姓名はたくさんあってどういう使い分けをしているんだろうと不思議に思っていた。源九郎判官義経とか、もし昔にテストや申請書の類があったら書くのがめんどくさそうだ。

 土木の雑誌に日本人の姓名に関する解説が載っていたので興味を持って読んでみた。

 鎌倉時代から戦国時代の頃の日本人は,四つの名前を持っていたと考えられています。姓が二つに名前が二つです。名前の二つは諱とみょう。仮名は前述の字名とほぼ同じく,諱を呼ばないための通称です。姓が二つあるのは,家族を表す「家名」と家族のルーツを表す「氏」の二つが使われたからです。例えば「源平藤橘」という言葉があります。これは平安時代以降,特に力を持っていた平,源,藤原,橘の四つの氏(血筋)を表します。こうした氏族の男子が成人した場合に独立した家を立てると家名をつけることになります。これが家名です。現代で私たちの姓を「みょう」というのは,これが「家『名』」の名残だからです。

(中略)

 中国では諱と字名を同時に使わないのに対し,日本では諱と仮名を同時に使う場合があり,その順番は,家名−仮名−姓−諱です。

 豊臣秀吉は,羽柴という家名を名乗っていましたが,のちに朝廷から源平藤橘に並ぶ由緒ある(?)氏族として豊臣という姓をもらっています。したがってフルネームはしばとうきちろうとよとみの朝臣あそんひでよしとなります。

宮武 裕昭,トリビア 戦国武将と土木,土木技術 72巻8号(2017.8)P.55
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↑家名−仮名−姓−諱の構成

「朝臣」は三位以上の人の姓の下,四位の人の名の下に付けて敬意を表す(Mac OS付属の辞書.app スーパー大辞林)だそうだ。

 諱は本名であって言霊に呼びかけるのを避けるために仮名を使うというのはなんとなくわかる。なので、中国では名乗らない諱を日本では名乗ってしまうあたりに変な感じがする。

 また、ルーツを示す姓とそこから独立した家を示す家名は現代ではちょっととらえづらい。戦場で名乗るのに短いと締まらないとか、戒名みたいに長いと偉いような風潮があったのだろうか。

  1. 2017/08/15(火) 23:19:32|
  2. ことば
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八ッ場ダム命名の謎

 八ッ場ダムはもともと字八ッ場ではないところに造るはずだったそうだ。

「八ッ場」というのは,現在のダムの左岸にあたる地名です。正式には群馬県吾妻郡長野原町大字川原畑字八ッ場となります。この地先名がダムの名前の由来・・・と言われていますが,そこにはちょっとしたミステリーがあります。

 八ッ場ダムという名前について記録をさかのぼってみると,1949年2月に当時の建設省が策定した利根川改修改訂計画の中の附図に吾妻川に堰堤の計画があり,その名前が「八ッ場」となっています。また,1952年にダムの建設計画が公表されますが,当時の反対運動の写真アドからこのダムが既に「八ッ場ダム」として知られていたことがわかります。

 1967年には,建設省のダム事業着手となり,八ッ場ダム工事事務所が開設され,現在,2018年度の完成を目指して工事は最盛期を迎えています(写真ー3)。

 ここまではなんの不思議もない歴史なのですが,ダムの計画を検討する中で当初有力視されていたダムの位置は,現在よりも600m程下流の位置だったのです。地名でいえば左岸側:東吾妻町大字松谷地先,右岸側:東吾妻町大字三島地先でした。計画の検討を進める過程で,周辺の吾妻渓谷の景観への配慮などから600mほど上流の現在の建設地に移動したのです。それが昭和48年のことです。上述の通り,その頃には既に八ッ場ダムという名前はすっかり定着していました。なぜ25年も前の利根川改修計画に簗場ダムという地名が記されていたのか,今でもよくわからないようです。

宮武 裕昭,トリビア 戦国武将と土木,土木技術 72巻8号(2017.8)P.55
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↑ダム堤体から下流にかけての工事のようす(八ッ場ダムの工事を見学してきた

 ダムの名前というともっと広い地名をつけるイメージがあるので、そもそも大字をダム名につけることに違和感がある。徳山ダムなら徳山村だし、小河内ダムなら小河内村だし、黒部第四ダムなら黒部川だし、湖畔を考えれば広い範囲の地名をつける方が自然な感じがする。反対運動があったことからダムを忌避すべきものとしてごく狭い大字名をつけたのだろうか。

 結果的に八ッ場と書いて「やんば」と読む変わった地名は全国で知られる名前になっているのでなんだか不思議である。

  1. 2017/08/14(月) 00:03:07|
  2. 土木技術
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為朝の打ち抜き岩を見てきた

 為朝の打ち抜き岩を見てきた。

 前にも行ったことがあるのだが、行ったことがない人を案内して行った。しかし、私も正確に道を覚えていなかったのでやや手探りであったが、たどり着けた。

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↑ツル根崎側から見た為朝の打ち抜き岩

 改めて見てみると為朝の打ち抜き岩だけ磯に立ち上がっていて、まるでホチキスの針を立てたかのようだ。周りの岩は風化して崩れてしまったのだろうか。その割に打ち抜き岩自身も上部は堆積岩で崩れているところがあり、一概に岩質によるものとは言えなさそうだ。

 私自身は地質学のたしなみがないので誰か詳しい人に聞いてみたい。

  1. 2017/08/13(日) 17:23:21|
  2. 三宅島・御蔵島
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明日葉興産のうどん卯月

 伊豆の明日葉興産のうどん卯月でうどんを食べた。

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↑明日葉興産のうどん卯月

 場所は都道沿い、伊豆岬入口と平山橋の間の海側。以前から明日葉興産の看板は見ていたが、最近うどん屋さんを開いたと聞く。

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↑ざるうどん大600円

 ご主人1人で切り盛りしているからか昼の混雑時は時間がかかる。うどんは弾力があってうまい。明日葉の香り・味は私にはよくわからなかったが、同席した人はのどを通るときに明日葉の風味を感じると述べていた。昼も夜もやっているようなので夜にも訪れてみたい。

  1. 2017/08/12(土) 00:01:39|
  2. 三宅島・御蔵島
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知り合いからカツオをもらった

 知り合いからカツオをもらった。

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↑体長50cmくらいのカツオ

 さばいたことがないのと、来週島を出ようと思っていて冷蔵庫の中身を減らしたいのとで躊躇したが、せっかくの好意だしもらった。急きょ何人か家に呼んで酒飲むことで冷蔵庫には残らなかった。

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↑お皿2枚に盛った

 皮は硬かったが、鱗は少なく身は柔らかかったのでさばくのは思ったほど難しくなかった。サンマなどの魚に比べて大きい分、三枚におろすのは容易だった。刺身はぶかっこうだが、味はおいしかった。

 釣りしていないのにお魚にありつけるのはありがたいことだ。

  1. 2017/08/11(金) 19:10:38|
  2. 食べ物・飲み物
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日本人が会社第一でない姿勢が露呈した1985年の日航機墜落事故

 最近の就活では残業時間や有給休暇の取得日数を気にする就活生が増えてきたと聞く。

 私も職につく理由は稼ぎを求めることが第一義であり、やりがいとか達成感とかはあまり求めていないし、ましてや会社への忠誠心はない。

 そういう態度の人は21世紀くらいから増えてきたのだろうと思っていたのだが、ある人に聞くと1985年の日航機墜落のときに話題になったという。曰く、当時のテレビでは墜落する機内で配偶者や子供など家族に向けた手紙を書いた人がいたが、会社への仕事の引き継ぎや志半ばとなるお詫びの手紙を書いた人はいなかったということだ。死を目前に控えての極限状態で会社への忠誠心を第一と考える人はいなかったのだろう。

 表面上、就活や組織での振る舞いには会社第一の姿勢が求められる。休暇であっても平日に仕事に集中するためのリフレッシュであったり、資格取得などの能力開発にあてることが望ましいとされる。しかし、突き詰めれば家族や自分が大切な人が大多数なのだろう。

 ある人に続きを聞くと、日航機墜落事故以降、経営者は従業員を信用しなくなり、利益を賃金上昇や福利厚生にあてることなく内部留保を進めているということであった。実際そうであるかどうかは経営者に聞かないとわからないが、政府のいう好景気と生活する国民の感覚が乖離している理由はそこにあるのかもしれない。

  1. 2017/08/10(木) 00:24:35|
  2. 仕事
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畑でキュウリが採れた

 畑でキュウリが採れた。

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↑キュウリ

 飲み会をするのに、トマトかキュウリがなっていないかと探したが、キュウリが1本なっているだけであった。スライスして塩もみして食べたらまあまあ美味しかった。暇つぶしが主な目的であって成果はあまり期待していないのでそれなりに食べられるものが収穫できればうれしい。

  1. 2017/08/09(水) 00:05:57|
  2. 三宅村伊豆の畑
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海楽のキンメとメダイの刺身定食

 海楽で昼ご飯を食べた。

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↑キンメとメダイの刺身定食1000円

 日替わり定食が刺身定食だったので迷わず刺身定食を選ぶ。刺身8切れと付け合わせがついて1000円。島とうの醤油も置いているのでワサビ風味と唐辛子風味で食べた。刺身はうまい。

  1. 2017/08/08(火) 21:37:25|
  2. 食べ物・飲み物
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伊ヶ谷海水浴場でエイとイカの子供を見た

 伊ヶ谷海水浴場で泳いだ。

 台風5号の影響でうねりが大きく、どこの海水浴場も波が高い。ここのところ船も緊急避難港である伊ヶ谷港に着いている。伊ヶ谷海水浴場だけは港の防波堤に守られているので外海が荒れていても泳げる。

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↑キタマクラ?

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↑エイ

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↑イカの子供

 3年前に比べるとだいぶ砂で埋まってきている印象があるが、それでも魚が見られるのはうれしい。

  1. 2017/08/07(月) 16:56:29|
  2. シュノーケル・ダイビング
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富賀神社大祭の引き継ぎを見た

 富賀神社大祭の引き継ぎを見た。

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↑伊豆から神着への引き継ぎ

 お神輿が島内を巡るお祭りのうち、一番の見どころは各地区のお神輿の引き継ぎである。5つの地区があり、4箇所で引き継ぎが行われる。引き継ぎ元が力を振り絞ってお神輿をもんでから中間線にお神輿をおき、神事が終わって引き継ぎ先が一斉にお神輿を取りに行くのは見ていて力が入る。

 ところでこの巡り神輿はずっと昔からやっているものだと思っていたが、明治ごろからのようだ。

 さて、この巡り神輿はいつから始まったのでしょうか。東京都の文化財指定の説明資料によれば、1883(明治16)年頃と記されています。当時の三宅島の道路事情を考えると島内を神輿が一周することはとても難しいことだったと想像できます。

 道路の悪さが課題となり、1884(明治17)年から「官道大普請」が行われ道路の改修が進んだという記録もあります。それでも道幅は、「一間」ですから2mもありません。神輿の大きさも小さく担ぎ手の人数も少なかったと考えられます。

ディスカバー三宅島 祭りの年,広報みやけ No.569 2017.8.1

 なるほど考えてみれば伊ヶ谷阿古間などは都道ができる前は山道が続いていたと考えられるし、歩くのでやっとだろう。意外と歴史をひもとくと100年くらいの伝統は多くありそうだ。

  1. 2017/08/07(月) 16:55:40|
  2. 三宅島・御蔵島
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富賀神社大祭に参加した2017

 富賀神社大祭に参加した。

 縁あって伊ヶ谷の1日目の神輿担ぎを手伝った。浴衣は借りて足袋だけ買った。

 14:30に伊ヶ谷をバスで出発し、鉄砲場の交差点で阿古からお神輿を受け取る。よそ者の私は白線から前には出ず、白線から伊ヶ谷よりでお神輿に触れる。またバスで移動し、旧農協の集荷場から伊ヶ谷港線入口まで、伊ヶ谷港バス転回所から伊ヶ谷ふれあい館まで神輿を担いで最後に后神社に宮入りした。

 掛け声とともにお神輿を左右に振る(みんなは「もむ」と呼んでいた)のは体力的につらかった。暑くて倒れそうだったので神輿から離脱してしまった。持久力があればいいと思っていたが、持久力だけでなく、もむ際に瞬発力が必要で体力がいる。夜になった今も右足がつりそうだ。

 明日は客を迎えるのでお祭りは見るだけだが、正直今日1日だけでよかったという思いだ。

  1. 2017/08/05(土) 21:28:22|
  2. 三宅島・御蔵島
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藻が繁茂していたという卜伝の湯

 前穂高岳北尾根3峰まで登ってきた帰りのこと。釜トンネルの入り口で松本行きのバスを待っていたら対岸に道具置きみたいな小屋があるのに気づいた。よく見ると「卜伝の湯」と看板がかかっている。受付は別にあるみたいで「中の湯売店にご連絡ください」と書かれていた。

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↑中の湯バス停近くにある卜伝の湯(2016年冬 - 北アルプス・前穂高岳北尾根3峰[4/4]

 その卜伝の湯を西丸震哉が取り上げていた。

 石だかコンクリだかで固めた長方形の湯だまりで少し熱めだがまあ適温、ただしここで入浴する気になった人はおそらくいなかったと思う。この湯の内側には30センチもの暑さに緑色のブヨブヨの苔だか藻だかが繁茂していて、体を沈めていくとグヤグヤブクブクヌラヌラと気泡を立てながら全身を抱き込んでいくのだ。これはかなりイヤな感触であった。

西丸震哉「西丸式山遊記」(中公文庫,2000)P.309-310

 と、あんまりいい心地ではなかったようだ。しかし、

 この湯も完全に思い出の中だけのものになってしまった。

西丸震哉「西丸式山遊記」(中公文庫,2000)P.310

 と文章を閉じているから梓川の流れが変わったりして今は違う温泉なのかもしれない。それに生えている藻をそのままにしていたら不衛生で保健所に怒られそうだ。

  1. 2017/08/04(金) 20:45:37|
  2. 書評 - 山岳
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秋山郷の上流に出る幽霊の話

 秋山郷の上流、渋沢ダムのあたりは幽霊が出るそうだ。

 西丸震哉が和山温泉に泊まったときに宿の先代のバアサンが体験したという話が「西丸式山遊記」に載っていた。

 おそらく半世紀以上も前のことだろうが、下流の穴藤にある発電所建設のとき、強制労働をさせられていた朝鮮人が、よく脱走してきて、握り飯をもたせてやったそうだ。下流に脱走するとすぐ捕まって、またタコ部屋へ放り込まれ、ますます死を早めるので、みんな上流へ逃げたという。和山から魚野川をつめて、野反池の手前で700mの尾根の直登をすることになるが、もともと身体をいためつけられているために体力が尽きてこの上りの途中でほとんどが死体をさらしたそうだ。

 営林署の職員がこの山中で野宿をすると、朝鮮語で一晩じゅうメンメンと語りかけられるというから、まだ浮かばれない魂がひしめいているのだろう。

西丸震哉「西丸式山遊記」(中公文庫,2000)P.256
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↑荒廃した営林小屋

 ちょうど、2年前に魚野川を遡行するときに渋沢ダムの避難小屋に泊まったのでちょっと驚いた。渋沢ダムのほとりには荒廃した営林小屋もあり、野反湖からの道も長く、話は生々しい。幸い、私は幽霊を見ていないので幽霊が成仏したか、私の霊感が足りないのだろう。

  1. 2017/08/03(木) 22:41:32|
  2. 書評 - 山岳
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西丸震哉氏が訪れた昭和58年噴火後の三宅島

 西丸震哉「西丸式山遊記」にある岩塔ヶ原の記述の続き。

 西丸震哉氏が昭和58年噴火後の三宅島を訪れている。坪田に宿をとり、雄山や阿古の溶岩原などを巡っている。三七山、ひょうたん山ではイネ科の草、タデ、乾燥地に強い低木がまばらに生えはじめていることをみて、雨が多くて酸をある程度流してしまえば、20年で緑が進出してくることを指摘している。

 面白いと思ったのは地面が熱いという記述。一つ目は村営牧場。おそらく二男山であろう。

 足もとを枯木で掘ると、30cmくらいで真っ赤な礫となり、木が萌えてしまう。

 つまり足の下のほとんどは溶鉱炉の中みたいなもので、ほんのひと皮上に立っていることになる。

西丸震哉「西丸式山遊記」(中公文庫,2000)P.185
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↑二男山付近の火口(2014年春 - 三宅島・薄木粟辺の溶岩流より)

 もう1つは新鼻新山。

 その南、新鼻という岬あたりに新火山が噴出して、はじめは島だったそうだが陸続きとなり、外側が波で浸蝕されて半分なくなってしまった。火口壁がそのまま海に開いて、底に白っぽいウグイス色の湯がたまっている。山頂部はユゲを噴いて地面もほの暖かい。

西丸震哉「西丸式山遊記」(中公文庫,2000)P.186
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↑新鼻新山の火口

 現在ではいずれも地面は暖かいと感じられない。地形図には逢ノ浜にも温泉マークが付いている。今でも掘り返せば暖かいと聞くが、私は暖かい場所を知らない。地熱が残っていれば青ヶ島のひんぎゃの塩みたいに観光名所になると思うのだが残念である。

  1. 2017/08/02(水) 23:48:53|
  2. 三宅島・御蔵島
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