島ノ中ニ有リblog

島の生活とか、登山とか、Macとか、日記とか

もらったアカイカを食べた

 もらったアカイカを食べた。

 イカをもらったもののさばいたことがなく、とりあえず冷凍庫に入れてあったのだが、冷蔵庫のものも減ってきたので食べてみることにした。

170621akaika1.jpg

↑アカイカ

170621akaika2.jpg

↑アカイカのバター炒め

 ネットを見ながら捌くと魚に比べて綺麗に捌けた。生で食べるのが怖かったのでネギとバターで炒めて醤油で味付けした。なかなか美味しくぺろっとご飯1合を平らげた。

 魚介類は捌くのが面倒なのと生ゴミが出るのとで避けているが、たまには少し手をかけて捌くのもいい。

  1. 2017/06/30(金) 23:38:54|
  2. 食べ物・飲み物
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

シュウ酸の原語となっているカタバミ

 映画「この世界の片隅に」ですずさんも食卓に並べたカタバミ。よく見る雑草の一つだ。

170625katabami.jpg

↑カタバミ

 私は子どものころ葉っぱがハート型のクローバーだと思っていたが、そのうちカタバミという別の草だと知った。

 漢字で書くと「酢漿草」または「片喰」と書くようだ。Wikipediaによるとシュウ酸の原語となっているとか。

 葉や茎は、シュウ酸水素ナトリウムなどの水溶性シュウ酸塩を含んでいるため、咬むと酸っぱい。シュウ酸は英語で oxalic acid というが、カタバミ属 (Oxalis) の葉から単離されたことに由来する。

カタバミ - Wikipedia

 よく酸っぱいもの食べるなと思ったが、シュウ酸はほうれん草や里芋にも含まれるそうなのでカタバミのシュウ酸含有量も多くなければ食べられるのだろう。

「片喰」の字面がホラー映画みたいなのでなんでこんな名前なのか調べたが見つからなかった。円形の葉の一部が食われてハート形になっている、と解釈するのだろうか。

  1. 2017/06/29(木) 00:09:51|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

都議選に投票してきた2017

 都議選に投票できないの続き。

 都議選に投票してきた。

 発端は福生市から都議選に投票できるとハガキがきたこと。

 あなたは福生市から転出されましたが、次のいずれかの方法で投票することができます。

東京都議会議員選挙のお知らせ 福生市選挙管理委員会
170621vote.jpg

↑東京都議会議員選挙のお知らせ

 3つの方法が示されており、うち2つは当日福生市内の投票所で、期日前に福生市役所で、という私には困難な方法であった。3つ目の方法として現住所地の選挙管理委員会で不在者投票をするが示されており、これをためしてみることにした。氏名生年月日住所連絡先を記入し、現住所地の住民票を同封して福生市選挙管理委員会に送った。

 後日、レターパックで投票用紙と西多摩選挙区の候補者の記載された紙と2つの封筒が送られてきた。今日、これを三宅村に持参し投票した。投票用紙と2つの封筒は透明なビニル袋に包まれており、開けるなと書かれていたが、村役場の職員に渡すと開封して投票用紙を取り出してくれた。期日前投票の台で候補者を記載し、小さい封筒に入れて封をする。それを職員に渡したら大きい封筒に入れてくれて名前を記入するよう言われた。これで手続きはおしまい。

 明後日金曜日には福生市に投票用紙が着くだろうから日曜日の開票には間に合うだろう。島しょへの引っ越しに伴う投票は大変だ。

  1. 2017/06/28(水) 20:26:35|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

畑でコゲラを見かけた

 草むしりの前に頭上の木の上からトットットットットという音が聞こえてきた。

 雨だれの音に似ていたが、雨は降っていない。頭上を見るとコゲラが木をつついていた。

170625kogera.jpg

↑コゲラ

 この島でカラス以外の鳥とこんなに近いことはあまりなく、木をつつくのに忙しそうなのでカメラを向けても逃げなかった。家に帰ってから三宅島の自然ガイド―エコツーリズムで三宅島復興!を開いて探したら羽の模様から察するにコゲラのようだ。

 鳥はどこにいるか見つけにくいし、すぐ逃げてしまうし、あんまり鳥を見ようと思うことがない。幸運にもこうやって見られる機会があるとうれしい。

  1. 2017/06/27(火) 00:05:13|
  2. 三宅村伊豆の畑
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

トマトの様子見と1株だけ伸びそうなキュウリ

 昨日は午後雨の見込みだったので午前中に畑に草むしりに出かけた。

170625akame.jpg

↑アカメイモ

170625potato1.jpg

↑花が咲いたジャガイモ

170625potato2.jpg

↑ジャガイモは成長順調

170625tomato1.jpg

↑柄だけ挿したトマト

170625tomato2.jpg

↑苗を植えたミニトマト

170625kyuuri.jpg

↑1株だけ育ちそうなキュウリ

 梅雨を迎えて雑草の勢いが増してきた。毎週草むしりに行かないと追いつかないし、長くしゃがむのもつらい。

 トマトは3日前の風で吹っ飛んでいるかと思ったが、一応畝にまだ生えていた。キュウリもこのままダメかと思っていたが、1株は伸びそうでよかった。

  1. 2017/06/26(月) 00:43:21|
  2. 三宅村伊豆の畑
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

三宅村文化会館でアニメ映画「この世界の片隅に」を見てきた

 坪田にある三宅村文化会館で映画を上映するというので見にいってきた。

170625bunka-kaikan1.jpg

↑三宅村文化会館

 三宅村文化会館は平成27年7月完成。私は平成27年3月に島を離任したので完成を見ていない。中に入ったこともなかったのでちょうどいい機会であった。中はステージとスクリーンがあり、パイプ椅子が200脚くらい並んでいた。客の入りは半分程度。

170625bunka-kaikan2.jpg

↑「この世界の片隅に」上映会

 映画の題目はアニメの「この世界の片隅に」。広報みやけに挟まれていたチラシには昨年の大ヒット映画、と書かれていたが、全然知らなかった。はやりには全く疎い。

170626konosekai.jpg

↑「この世界の片隅に」のチラシ

 戦時中の呉を描いたもので、広島生まれの主人公すずが呉に嫁ぎ、終戦を迎えるまでの話。はじめの1時間くらいは祖母の家を訪ねたり、義理の姉径子につぎはぎのモンペを直すよう言われたり、姪っ子の晴美に描いた絵を見せたりなど日常を描いている。戦況が悪化するにつれ、配給が減りご飯を煎ってから炊いて分量を増やしたり、スギナやタンポポ、スミレやカタバミを使って食卓の皿を増やしたり、工夫をする。径子と晴美の疎開に合わせて呉駅近辺まで出てきたときに空襲が起こる。

 のんびりとした性格のすずは空襲があってもさして動じることもない。おっちょこちょいなところについ笑ってしまう。絵を描くのが好きなのはいいことだが、物語の後半状況は悪化する。

 戦争を体験したことはないが、その生活ぶりは国語の教科書などでなんとなくわかる。戦争ものは悲しい物語になるのがわかっているが、感情移入して悲しくなってしまう。戦争が日常を奪い去るものであって繰り返してはいけない、という思いを新たにする物語であった。

  1. 2017/06/25(日) 20:07:46|
  2. 三宅島・御蔵島
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

羽虫が街路灯に集まっていた

 三七山から椎取神社にかけて羽虫が街路灯に集まっていた。

170623hamushi1.jpg

↑街路灯に集まる羽虫

170623hamushi2.jpg

↑ジャージについた羽虫

 今日は夜車を運転していてフロントガラスにバチバチと何かが当たるので気がついた。島は虫が多いが、蚊柱のようなものは見たことがない。街路灯に集まる虫がいるのは初めて知った。

  1. 2017/06/24(土) 00:04:06|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

伊豆の薬師堂の光るキノコ

 伊豆の薬師堂に光るキノコがたくさん見られると聞いて見にいってきた。

170623shiinotomoshibidake1.jpg

↑枯れ木に生えたシイノトモシビダケ

170623shiinotomoshibidake2.jpg

↑レベル補正をかけた光るキノコの写真

170623shiinotomoshibidake3.jpg

↑キノコがたくさん生えた枯れ木

170623shiinotomoshibidake4.jpg

↑この二股の木にキノコがびっしりついてまるで星明かりのようであった。

 光るキノコが見られるといってもたいてい一つの枯れ木に3つくらいが生えている程度だ。今日は枯れ木に10を超えるキノコが見られ、それも何箇所かで見られた。特に最後の写真の二股の木は100くらいのキノコが光っており、はじめキノコと気づかず月明かりが落ちているのかと思ったくらいだ。

 なんとか写真に収めたいと思ったが、PENTAX K-Xではマニュアルフォーカスにしてもピントが合わなかった。OLYMPUS STYLUS TG-835 Toughでも夜景モードで何枚か撮った写真のうち、1枚なんとかキノコの残像が見られる程度に写せた。

 PENTAX K-Xももう買ってから8年経つし、ダイヤルゲージもまた壊れてAvから切り替わらないし、新しく買い直そうかと思う。

  1. 2017/06/23(金) 23:20:07|
  2. 三宅島・御蔵島
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

国鉄中央線中野三鷹間複々線化の映像

 BS12 トゥエルビ 発掘!鉄道記録映像#9「都市鉄道の誕生」を見た。

 昭和36年から8年間に及ぶ中央線中野三鷹間高架四線化工事をまとめた記録映像である。

 要は土木工事の記録であり、柱の方式、深さ8mに及ぶ深礎など映像とともに解説が流れた。

 特に難工事として示されていたのが吉祥寺駅と鋭角に交差する水道道路の80mの桁かけである。北側はクレーンを使用し、騒音を抑えるためハイテンションボルトにより剛結していた。クレーンの入らない南側はベントを使って曳家のようにして分割した桁を搬入していた。

 また、荻窪駅の地下歩道はシールド工法を用いていると説明していた。線路下の低土被りでシールド工法を使うのは珍しい。映像を見ていると開放式シールド、ベルコンによるずり出しであった。驚いたのはエレクタを使わない作業員の手持ちによるセグメント設置であった。キーセグメントは半径方向挿入型でジャッキも使わず3人くらいで持ち上げていた。

 工事費は260億円とずいぶん安いが、物価上昇前の価格なのだろう。ラッシュ時混雑率は254%から198%へ下がったそうだが、依然として高い。

 この勢いで三鷹立川間も複々線化してくれればよかったのにと思う。今では需要が見込めないため中央線は立川まで複々線にできるか|日経コンストラクション、JRは複々線化に乗り気でないようだ。

 貴重な映像には面白いものが多い。コンテンツにお金をかけられない場合はこういった古い記録映像を流してほしい。

  1. 2017/06/22(木) 00:09:51|
  2. 鉄道
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

鏡のウロコ取りを試してみた

 100円ショップで買った鏡のウロコ取りを試してみた。

170620urokotori1.jpg

↑スポンジに銀紙のようなものが貼り付けてある。触ってみてもヤスリのようなザラザラ感はない。

170620urokotori2.jpg

↑何回もこするとよく反射するようになった。

 何年も使っている鏡は水が揮発したような跡が白く残っている。石鹸で洗っても効果はごく一時的である。

 あるとき100円ショップで鏡のウロコ取りという商品を見つけたので買って試してみた。確かにこすると元どおりの鏡の反射を取り戻した。ただ、何回も繰り返してこすらないと汚れは落ちない。風呂に入るたびに少しずつこすっていくことにしよう。

  1. 2017/06/21(水) 00:04:22|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

トマトの柄を植えてみた

 トマトの柄をもらったので植えてみた。

170617tomato1.jpg

↑左は私が種から育てたミニトマト、右はもらったトマトの柄。

170617tomato2.jpg

↑種から育てたミニトマト

170617tomato3.jpg

↑もらったトマトの柄

 聞くところによると、トマトの柄だけでも土に挿しておくと根付くとか。半信半疑だが、私が作っている苗より大きく育っているので試しに植えてみることにした。合わせて大きくならないミニトマトの苗も植えてみた。さて根付くのだろうか。

  1. 2017/06/20(火) 00:08:14|
  2. 三宅村伊豆の畑
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ジャガイモが風になぎ倒されていた

 畑に行ったらジャガイモが風になぎ倒されていた。

170617potato1.jpg

↑風でなぎ倒されてしまったジャガイモ

170617potato2.jpg

↑ジャガイモは花をつけていた

170617potato3.jpg

↑棒を立ててジャガイモを紙ひもで結わえた

 育ちがいいのはよいことだが、スイカやカボチャではないので地生えになっては困る。草むしりもやりにくい。とりあえず棒に結わえてみたが雨風に耐えられるだろうか。

  1. 2017/06/19(月) 00:05:40|
  2. 三宅村伊豆の畑
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

雨の1日は非生産的なことに時間を費やすに限る

 今日は1日雨。

170618rain.jpg

↑ベランダから見える水道施設に雨が当たる。

 録り貯めたアニメを見たり、A列車で行こう3Dをゲームしたり、非生産的なことに時間を費やした。

 雨の日はそれが言い訳になるので自堕落に過ごす人間にはいい天気だ。

  1. 2017/06/18(日) 21:36:07|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

インカのユリとヒメヒオウギズイセンを間違えていた

 明日は雨の予報なので今日のうちに畑に草むしりに出かけた。

170617akame.jpg

↑いつも通りのアカメイモ。草むしりする。

170617himehiougizuisen.jpg

2週間前に赤い花をヒメヒオウギズイセンと書いたが、赤い花がインカのユリ、オレンジ色の花がヒメヒオウギズイセン。このへんに生えている赤系統の花はヒメヒオウギズイセンと覚えていたので間違えた。

 定期的に雨が降ってくれると水やりの心配をしなくていいので週に2回くらい梅雨前線が来てほしい。

  1. 2017/06/17(土) 18:15:43|
  2. 三宅村伊豆の畑
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

雄山に緑が増えてきたと感じる

 3年ぶりに三宅島に戻って来て雄山に緑が増えてきたと感じる。

 4月から6月にかけては緑が増える季節であることを引き算して考えても、以前は雄山の山頂部に緑は見えなかった。

170610kanasosawa.jpg

↑緑が増えたものの侵食の止まらない金曽沢

 とはいえ、金曽沢は崩れ続けているようだ。三池港で船を待っている間、山を振り向くと金曽沢の崩れがよく見えた。きっと安定勾配ではないのだろう。安定勾配になるまで崩れ続けるか、途中で岩が出てきて自立するか、植生が根付くかするまで崩れるのだろう。

 幸田文「崩れ」は富士山大沢崩れなど日本各地の崩れゆく斜面を訪れたルポルタージュだが、この金曽沢もそれらに劣らず大きな崩れだと思う。

  1. 2017/06/16(金) 22:44:56|
  2. 三宅島・御蔵島
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

都議選に投票できない

 最近ニュースで都議選の話題が取り上げられている。

 小池都知事が都民ファーストの会を立ち上げ代表となった。混迷の続く築地市場移転問題やオリンピック費用の見直しといった小池都政の是非が焦点となりそうである。投票まで1月を切り、さて誰に投票しようかと考え始める頃合いだが、私は投票できないことがわかった。

170603kouhou.jpg

↑7月2日が都議選投票日と伝える広報東京都

「広報東京都」によると、投票できる方は平成29年3月22日以前から都内の区市町村に引き続きお住まいで、選挙人名簿に登録されている方とある。私が三宅村に転入届を出したのは4月1日付けなので私は三宅村では投票できない。

 それ以前は福生市に住んでいたから正確には福生へ行けば投票できる。しかし、7月2日に内地に行く予定もないし、期日前投票の6月24日以降にも内地に行く予定はない。投票権を行使しようとすると東海汽船の2等運賃として往復9千円ほどを払う必要がある。そこまでして投票したくはない。

 告示から投票にかけて祭りのような騒ぎになるのだろうが、蚊帳の外に置かれるのは少し寂しい。

  1. 2017/06/15(木) 20:12:05|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

海底谷の生成原因が未解明

 2年前にも触れたが、三宅村図書館のある建物で三宅島付近の地図を展示している。

 私は地図を見るのが好きだが、その中に海上保安庁作成の海底地形図があってこれを見るのが面白い。三本岳や藺灘波島のような海面上に見える島以外にも海山がいくつかあるのを探したり、海山列を見てマグマのでてくるホットスポットとプレートの移動を想像したりするのも楽しい。

170604canyon.jpg

↑三宅海底谷と新島海底谷が並んでいる

 特に目を引いたのが海底谷である。まるで雨裂のようなV字谷が日本海溝まで続いている。海面下なので雨が削ったわけはない。昔地上だった箇所が海に沈んだとしてもあまりに深すぎる。

 ちょっと調べたが、海底谷の生成要因は未解明のようだ。地上で削られた谷が地盤ごと沈降した説と海面下で発生した乱泥流により削られた説が唱えられているがいずれも確証がない(Wikipedia嶋村清)。ちょっと海底に潜って試料を採取してくるとかボーリングしてくるというわけにはいかないので簡単には解明できなさそうだ。まだまだ海には謎が多いものだ。

  1. 2017/06/14(水) 22:54:18|
  2. 科学全般
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

某大学が御蔵島で遭難した白髭の滝

 御蔵島で某大学が遭難したのは島の南東部にある白髭の滝付近だそうだ。

170601shirahige.jpg

↑御蔵島観光案内所にあった白髭の滝の紹介文

 前に書いたみくらごよみの記事では「1996年5月6日 ○○大生遭難で島民大迷惑」(大学名は伏せる)とあり、どんな風に遭難したのかちょっと気になっていたのだ。

 私が探検するとしたら平清水川に下りたい。御代が池の入口から沢を下っていけば滝はなさそうだ。川口の滝を上から見て懸垂下降で海べりまで下ってみたい。昔は平清水川に下る道があったと島の人から聞くが、今は道はなく登山道であってもガイド付きでなければならない。山屋としてはちょっとつまらない。

  1. 2017/06/13(火) 19:26:23|
  2. 三宅島・御蔵島
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

第一海堡と第二海堡

 橘丸に乗船して一寝入りして起きると船は東京湾に入っていた。

 ちょうど第一海堡の前を通っており、昼の長い季節なのでよく見えた。

170610daiichi-kaiho.jpg

↑何もない第一海堡

170610daini-kaiho.jpg

↑太陽電池や灯台などが並ぶ第二海堡

 第二海堡というとTOKIOが鉄腕DASHで海岸調査に訪れていたことを思い出す。水中を見ていたのは北側の護岸かなと思いながら眺めた。

 地図で見ると第二海堡を避けるためにだいぶ遠回りしている。第一海堡を使わないなら第三海堡のように取り壊して航路にしてくれないかと思う。

  1. 2017/06/12(月) 00:51:03|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

久しぶりの三池港からの出港

 三池港から出港した。

170610miike.jpg

↑三池港に着岸する橘丸

 今年三宅島に来て3度目の島出だが、出入りはいつも錆ヶ浜港で三池港は初めてだ。6月なのに西風が強かった。そのぶん船も20分遅れの入港であった。

 三池港で定期船を見ているとタモリ倶楽部でやっていた第一回着岸選手権を思い出す。3位に御蔵島港に着岸する橘丸、1位に三池港に着岸するさるびあ丸が入っていた。主エンジンによる大まかな接近、スラスタによる高速かつ柔軟な接近、艫綱による防舷材への着岸を見ていると船員さんの腕の鮮やかさに見ていて飽きない。

  1. 2017/06/11(日) 00:26:35|
  2. 三宅島・御蔵島
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ジャガイモの育ちがよい

 ジャガイモの育ちがよい。

170610potato.jpg

↑ジャガイモ

 畑のキュウリは依然として成長の兆しがない。一方、ジャガイモはぐんぐんと伸び葉を茂らせている。棒を立てて紐で結ばないと風で倒れてしまう。

 ジャガイモを育てたことはないのだが、育てやすくてよい。葉ものよりイモ類の方が楽だ。

  1. 2017/06/10(土) 23:43:10|
  2. 三宅村伊豆の畑
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

藺灘波島は「いなんばとう」と読む

 藺灘波島は「いなんばとう」と読むそうだ。

170601inambatou.jpg

↑「いなんばとう」とフリガナのある紹介

 私は「いなんばじま」と呼んでいたのだが、御蔵島観光案内所で「いなんばとう」とフリガナが振ってあった。考えてみれば「藺」はともかく「灘」も「波」も音読みである。「島」も音読みが自然である。

 もっとも島にいると三宅、御蔵、など「島」を略して呼ぶことが多いので「藺灘波」と呼んでも違和感がない。あんまり決まった読み方もないのかもしれない。

  1. 2017/06/09(金) 00:00:26|
  2. 三宅島・御蔵島
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

伊ヶ谷の不受不施派の墓がキレイになっていた

 伊ヶ谷の不受不施派の墓がキレイになっていた。

170604fujufuse1.jpg

↑不受不施派僧の墓

170604fujufuse2.jpg

↑墓は白い砂利敷になっていた

120408miyake_163.jpg

↑5年前の不受不施派の墓の入口

 初めて見たときは豊臣秀吉のころの流人の墓があることに驚いた。不受不施派も何かの授業で習ったような気がするので、歴史あるいは宗教の教科書に出てくるようなできごとに関わりがあると改めて勉強したくなる。

 それをちゃんと管理する人がいたことにまた驚いた。もう400年も経ったのに途切れずに教えを守り、墓を整備する人がいるとはそれだけ尊い教えということだろう。整備内容も木製の階段を石段にして手すりをつけ、切土には植生マットをかけて、ちょっとした土木工事である。工事費100万円くらいだろうか。島内で工事業者を手配するのも一苦労だと思うし、よく管理すると思う。

  1. 2017/06/08(木) 00:14:05|
  2. 三宅島・御蔵島
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「伊ヶ谷風土記」にある「あおさ山神社」の記載

 環状林道の伊ヶ谷地区にある鳥居が「青沙山(おおさやま)神社」かどうか、村の図書館で資料を探した。

 笹本亀治「伊ヶ谷風土記」に「あおさ山神社」という神社について触れられていたので抜粋しよう。

 次に部落の真上にある”あおさ山”と云う場所にあおさ山神社と呼ぶ神様がある。この神様の弥宣は石井友一氏であるが(仲町の分家)いま東京に移転しまったので、その親戚である桜田弥之助氏家で代行しているが、この神社には一つの口碑がある。村に大火があってその復興に用材不足で困ったのに起因して、村がその所有地を将来用材確保のため各家に割当てた。今でもあおさ山割地といって残っている。その割地整地のため、いま弥宣をしている石井友一氏の先祖が、その地へ行って鍬入れをしたところ、その鍬先に硬い石が当って、その石に神という文字がきざまれていたのでその作業を中止し帰り、そのころ予言的な口碑する巫女に拝んでもらったところ、その地は神の域であるので、開墾を止めて祭祀すべきと申されたので、その開墾を止め、代え地をもらって村で話し合ってその地を神地域としてあおさ山神社と申上げ、山の神を招神申上げた、とのことである。今では毎年一月九日を例祭日と定めて祭典を行なっておる。神地域は樹齢何百年と思われる椎木、その他鬱蒼として昼なお暗く、島にあっては伊豆の御祭神社、神座山神社とともに森閑として一種異様な感に包まれる。

笹本亀治「伊ヶ谷風土記」昭和51年2月1日発行P.9

「弥宣」という言葉は聞き慣れないが、「禰宜」の間違いだろうか。ずいぶんと山の上の方まで植林地にしようとしたようだ。昔はあちこちに歩き道があっただろうし、伊ヶ谷は斜面が急なので伐木の搬出が比較的容易なのかもしれない。

 伊ヶ谷にある青沙山神社あるいはあおさ山神社について見つけられた文献は「伊ヶ谷風土記」だけであり、残念ながら場所についての言及は見当たらない。私が見たのは他の神社の可能性もあるが、状況証拠から青沙山神社あるいはあおさ山神社と呼ばれる神社だと思う。

  1. 2017/06/07(水) 00:42:44|
  2. 三宅島・御蔵島
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

海楽の昼飯「白身魚のフライ定食」

 海楽で昼飯を食べた。

 日曜日の昼、腹が減ったがご飯を作る気も起きない。料理しなくてもよいパンもない。ちょうど図書館に行こうと思っていたので阿古で昼飯を食べることにした。

170604fry.jpg

↑日替わりの白身魚のフライ定食800円

 車を運転しながらどこにしようかと考えて海楽にした。私はものぐさでご飯を作るのも面倒だが、店で食べる一人飯もおっくうだ。島内のお店も1人で入ったことがある店はほとんどない。海楽なら職場の飲み会などで何度か入っているので比較的入りやすかった。

 13時過ぎと遅い時間だったが、14時までの営業なので間に合った。メニューは安価な日替わりを頼んだ。揚げたてのフライを頬張るとうまい。3きれのフライを食べるとお腹もふくれ、昼寝したくなるくらいであった。

  1. 2017/06/06(火) 20:29:44|
  2. 三宅島・御蔵島
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

キュウリが枯れそう

 今週も畑に草むしりに行った。

170603akame.jpg

↑アカメイモが生えそろってきた

170603potato.jpg

↑ジャガイモは葉を茂らせていた

170603kyuri.jpg

↑キュウリは双葉から成長せず葉は一部欠けていた

170603himehiougizuisen.jpg

↑村道沿いにヒメヒオウギズイセンインカのユリが咲く

170603kuwa.jpg

↑桑の実が熟した

 キュウリは水が必要と聞くが、週に1回しか水やりをしていない。キュウリが育たない原因だろうか。

 桑の実はもう全盛期で来週あたりが最後だろうか。足元を見ていると熟しきった実が道路に落ちていて気づく。でもそういうところは高いところに枝があって実が取れないのがもどかしい。桑の実を取れる果樹園をニュースで見たが、桑の実はどこででも食べられるのでどうも金を払う気にはならない。内地にはあんまり生えていないので希少価値があるのだろう。

  1. 2017/06/05(月) 00:20:01|
  2. 三宅村伊豆の畑
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

緩やかに行われた北方領土の占領 - 有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」7

 北方領土の項は少し意外であった。

 日本がポツダム宣言を受諾した後もソ連軍が侵攻してきたというので、無抵抗な日本軍を捕虜にして8月末までに強引に占領したのだと思っていた。しかし、実態はもっと緩やかな占領だったようだ。

 終戦時、歯舞諸島勇留(ゆり)島に住んでいて根室市議会議長を務めていた萬屋さんは以下のように語る。

「今から考えると間抜けな話なんですよ。ソ連の方は色丹や歯舞のことまで考えていなかったのに、択捉へ進駐して日本軍の基地を押え武装解除をしておると、こっちの方にも軍隊があると喋った奴があったんですな。だから9月に入って、やって来たんです」

有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」(集英社文庫,1984)P.370

 20歳前の男女はソ連軍に徴用され、志発島へ連れて行かれました。私は妹夫婦から救いに来てくれと言われて、動力船を根室で借りて、勇留の日本人の逃げるのを手伝いましたが、子供を志発に連れて行かれた親たちは心配で、子供を置いて逃げられないといって島に残りましたね。そういう連中は昭和23年8月に、島に残るならソ連人として国籍を変えろ、でなければ強制送還すると二者択一を迫られて、樺太経由で日本に帰って来たんです」

有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」(集英社文庫,1984)P.371-372

 昭和20年の終戦直後に強制送還されたわけではなく、昭和23年に強制送還されたようだ。

 択捉島内保村に住んでいた西山さんも同様で昭和23年9月に通達があって、日本人は全部、帰れと言われました。P.384)そうだ。

 占領の形は意外と色々な形があるものだ。敗戦した日本はどうしようもなかったのだろうが、なし崩し的に占領して爺さんの代から70年も住んでいる、という論理は受け入れがたい。期間の長さの差はあるがパレスチナ問題を思い出す。

 あと、勇留島も択捉島も北海道ほど寒くないという発言があり、意外であった。

  1. 2017/06/04(日) 00:28:30|
  2. 書評 - 地図・県境・都市河川
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

小笠原にみる領土の実効支配の過程 - 有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」6

 小笠原の項を読むと無人島が発見された後、どのような過程を経てある国の領土に編入されるのかがわかる。言い換えれば小笠原の歴史は各国の思惑に翻弄される過程を示している。有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」及び「週刊 日本の世界遺産 創刊号 小笠原諸島」から抜粋する。

1675徳川幕府による巡検、大日本の内と書いた杭を立てる
1823アメリカ捕鯨船母島にコッフィン島と命名
1827イギリス測量船ブロッサム号父島二見港に入港、イギリス領を宣言
1828ロシア軍艦セニャーヴィン号父島に来航、ロシア領を宣言
1830アメリカ人セーボレーら白人5人、ハワイ人20人が父島に入植
1853アメリカペリー提督、ナサニエル・セーボレーから土地を購入
1854イギリス政府は香港にてペリーに小笠原諸島がイギリス領であることを申し入れるが、ペリーも反論する
1861徳川幕府、ペリーの出版した航海日誌を読み外国人による小笠原諸島入植を知る
1862徳川幕府が八丈島から38名の島民を移住させるが、10ヶ月で引き返す
1873島民が自ら憲法を作成、ナサニエル・セーボレーを長官とする
1875帆船明治丸が父島二見港に入港、明治天皇の命により島情探査
1876明治政府、日本から移民を送り原住民の帰化を促す
1944本土への強制疎開
1945アメリカの統治下に置かれる
1946GHQ、欧米系島民のみ帰島を許可
1968小笠原諸島、日本に返還

 読むと意外と実効支配する国はその時代の状況に応じている。1875年の日本からの移民が現在日本の領土となる決定的な点だと思うが、著者はこのときアメリカとイギリスが反対しなかった理由として1873年に金融恐慌があったことなどを推測している。

 この年、アメリカは金融恐慌が起り、ニューヨーク取引所は閉鎖される有様で、ハワイより小さい島のことなど考える余裕もなかったのだろう。イギリスはヴィクトリア女王の時代で、スエズ運河の買収や、女王がインド皇帝を兼ねるなど赫々たるものがあったが、小笠原はインドやアフリカに較べて小さすぎた。アメリカさえ手を引くなら問題はないという判断だったのだろう。

有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」(集英社文庫,1984)P.329

 領土拡大の目論見と内政に余裕があることが条件であり、あとは他国とのせめぎ合いといったところだろうか。仮に月に容易に行けるようになったら同じようなことが繰り広げられるのだろうか。

 また昭和の時代にも小笠原周辺に外国船がサンゴを取りに来ていたそうだ。

 菊池さんの話は面白くてたまらないが、台湾のサンゴ漁船による被害は甚大で、漁礁は荒らされるし、海底が滅茶苦茶になる。第一、200カイリどころか領海内にも平気で入ってきて、こちらが追いかけると逃げてしまう。昭和54年10月10日から今年の1月26日までに確認された台湾のサンゴ漁船の数は延べで1326隻になる。すべて小笠原村周辺海域で操業していた。

有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」(集英社文庫,1984)P.340

 2014年には中国漁船が小笠原周辺で不法にサンゴを採っていたのが問題になった。資源のあるところは昔も今も変わらぬ問題を抱えていると改めて思う。

  1. 2017/06/03(土) 21:09:49|
  2. 書評 - 地図・県境・都市河川
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

もともと松島と呼ばれていた島が現在竹島と呼ばれている理由 - 有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」5

 竹島は日本の領土であるが、現在韓国が実効支配している。その歴史をひもとくと、昔に松島と呼ばれていた島が現在竹島と呼ばれていることが一因にあるようだ。

 隠岐で調べてみると昔の竹島は鬱陵島のことで、今の竹島は明治38年までは松島と呼んでいたことが分った。

有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」(集英社文庫,1984)P.284

 有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」にはこの経緯が文章で説明されているが、地図に落とさないといまいちよく分からない。そこで18世紀末ごろにこれらの島を測量した位置をGoogle Mapに落としてみた。

 西から並んでアルゴノート島、ダジュレー島、ホーネット島(リャンクール列岩)の3つがある。アルゴノート島は現在相当する島が存在せず、現在の鬱陵島の測量間違いだそうだ。ダジュレー島は現在の鬱陵島に相当し、ホーネット島(リャンクール列岩)は現在の竹島に相当する。

 もともと日本では西寄りにあった島(現在の鬱陵島)を竹島、東寄りにあった島(現在の竹島)を松島と呼んでいたため、シーボルトはアルゴノート島に竹島、ダジュレー島に松島の日本名を付した。

 1827年、アルゴノート島が存在しないことが判明しているにもかかわらず、陸軍参謀局は「亜細亜東部与地図」でアルゴノート島の位置に竹島、ダジュレー島の位置に松島を描いた。

 しかし、民間人は慣習として現在の鬱陵島を竹島と呼び、松島を松島あるいはリャンコ島、またはランコ島と呼んだ。結果として、鬱陵島を松島と書いたり竹島と書いたり混乱をきたした。

 1905年、政府は内務省訓令第87号により「北緯37度9分30秒、東経131度55分、隠岐島ヲ距ル西北85里にある島嶼」を竹島と命名した。

 間違いだけ抜き出すと以下のようになる。

  1. イギリス人が鬱陵島を測量間違いし、アルゴノート島という架空の島を作り出してしまった
  2. シーボルトがアルゴノート島に竹島、ダジュレー島に松島の名前をあてた。
  3. 1827年、アルゴノート島が存在しないことを知っていたにもかかわらず、陸軍参謀局は「亜細亜東部与地図」でシーボルトの地図と同じ位置に竹島、松島を配置する。
  4. 政府は内務省訓令第87号により、かつて松島、ホーネット島、リャンクール列岩などと呼ばれた島を竹島と名付けた。

 測量間違いによる架空の島というのは中ノ鳥島など他にも例があり、昔の人が船を動かし地図を埋めていったロマンを感じる。しかし、国境の問題の一因になる間違いはまったく面倒なものだ。

  1. 2017/06/02(金) 22:46:13|
  2. 書評 - 地図・県境・都市河川
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

時流を読むことに長けた対馬の宗家 - 有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」4

 対馬の項も面白い。国境の島らしく、宗主は時流を読む術を心得ている。

 歴史的な出来事は以下の3つが紹介されている。

  1. 元寇(文永の役、弘安の役)
  2. 秀吉の朝鮮出兵(文禄の役、慶長の役)
  3. 安政6年(1859)英国海軍アクテオン号への食料と薪水の補給と文久元年(1861)の領地換えの願い出

 有吉佐和子は特に2番目の朝鮮出兵にページを割いている。これも要約して紹介しよう。

 宗家を継いだ義智(よしとし)は天平17年大坂城で秀吉に謁見する。帰島した義智はソウルに乗り込み朝鮮王に会見し、翌年朝鮮使節を伴い京都聚楽第に参じた。その功労により秀吉からは一字を与えられ宗吉智と名乗るようになる。

 秀吉が朝鮮攻略を決し(文禄の役)、小西行長に先鋒隊長を命じて間もなく、宗吉智は小西行長の娘と結婚する。吉智は24歳であった。日本軍は朝鮮半島で暴れまわるが、明は平壌で小西行長と和平交渉を始める。しかし、冬が訪れ兵糧の欠乏により日本軍の敗戦が濃厚になる。その頃、秀吉は吉野に花見に出かけたり、伏見に城を築き始めたりと戦争中なのも忘れて浪費している。

 慶長元年、小西行長が明の使節を連れ秀吉に謁見した際、小西行長は明の皇帝神宗の璽書を文字通り読まないでくれと懇願するが、明使は「爾を封じて日本国王となす」と読み上げてしまう。逆上し使節を追い返した秀吉は家康の反対を退け、朝鮮に再び出兵する(慶長の役)。

 秀吉はまだ勝ってもいないのに宗吉智に朝鮮唐島(現在の済州島)を領地として与えるなどと伝えるが、秀吉は1年後に病死してしまう。日本軍は撤退し、宗吉智は宗義智と名前を戻してしまう。家康は宗義智に朝鮮との復交を命じるが、朝鮮に遣わした使いは捕まえられて帰ってこない。関ヶ原の戦いには参加せず、西軍についた小西行長が斬首されると妻と離婚してしまう。

 慶長10年(1605)、ようやく宗義智は朝鮮の使節を連れて伏見城に上京、家康の前で媾和の基礎を作り、大任を果たす。慶長20年に宗義智は48歳で没するが、家光の時代には対馬藩は釜山に和館を置き、朝鮮との交易を行うようになる。

 と、日本と朝鮮の間のコウモリみたいな立ち位置にありながらも、自身の利益を保つよう立ち回る様子には苦心というより器用という言葉が似合う。現代において宗家当代は対馬を離れて埼玉県にある大学教授を務めていることに、有吉佐和子は以下のように評している。

 時代というものに、まことに敏感な家系であったと言えるだろう。

有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」(集英社文庫,1984)P.168

 国境の島の処世術をよく心得た家だと思うし、そうでないと当主が務まらない島なのだろう。

  1. 2017/06/01(木) 21:16:06|
  2. 書評 - 地図・県境・都市河川
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0