山ノ中ニ有リblog

登山とか、Macとか、日記とか

大天井岳に登ってきた

10otensho_157.jpg

↑12月28日、大天井岳にて槍ヶ岳を背景に私

 この年末、燕岳~槍ヶ岳の縦走を試みたが、天気が悪く大天井岳で引き返した。

 結局、25夜出発、26日宮城ゲートから合戦小屋泊、27日燕山荘泊、28日大天荘冬季小屋泊、29日合戦小屋の下泊、30日宮城ゲートへ下山という行程になった。

 滑落する人あり、凍傷気味になる人ありで、天気が悪化する前に引き返したものの厳しい山であった。私も下山して気づいたのだが、左ほほにわずかに凍傷を負っていた。

2010年冬 - 北アルプス・大天井岳
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2010/1012otensho/
  1. 2010/12/31(金) 00:28:48|
  2. 登ってきた
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PROTREKの二次電池交換

101225protrek.jpg

↑修理してもらったPROTREK PRG-100J

 標高キャリブレーション時のrecov表示、画面に何も表示されないCHG表示時刻が2005年1月1日0:00にリセットされる問題と時計としての機能が著しく低下していたのでCASIOに電話して修理してもらった。

 昨日修理してもらったPROTREKが佐川急便で戻ってきた。点検・修理した項目は以下の通り。

現象内容要因修理部位修理内容
充電できない性能低下二次電池交換
総合点検依頼モジュール検査/各部点検
所定防水検査センターアッシー防水/防滴検査OK

 かかった費用は以下の通り。

機能検査・点検料金3,000
ニジデンチ0
代引き手数料+発送料800
消費税190
3,990

 いまのところ、問題なく使えている。ただ、症状に再現性がなく、ときどき発生するので様子見のつもり。一応保証期間は3ヶ月ある。

 ただ、2008年8月15日に買ってから2年で時計としての機能を失う症状(CHG表示など)が発生するのは私の直感からするとあまりに早いので、なにか使い方が悪かったのかどうか電話で聞いてみた。

 結論から言うと、慢性的な充電不足が二次電池の容量不足を生じさせた可能性があるということであった。オペレーターが推測するメカニズムは以下の通りである。

  1. 普段から照射する日射の量が足りない
  2. 慢性的な充電不足になる
  3. 二次電池が過放電を生じる
  4. 二次電池の容量が下がる

 私は普段会社に行くときもPROTREKを着けているので日射の量は足りていると考えていたのだが、袖に隠れるなどして日射の量が足りていなかったのではないか、ということであった。

 対策としては、ふだんから意識的に充電するとのことであった。PROTREKを使わないとき、1週間に半日から1日程度、日射に当てておき充電すればよい。ただし、上記のメカニズムが推測である以上、今回の問題を確実に防げるかどうかはわからないとのこと。

 意識的に充電を心がけなければ、2年で時計として使えなくなるってどうなのよ、とも思ったが、それをオペレーターに聞いても解決しないので聞かなかった。まだ時計開発も発展途上ということだろう。

 以下、PROTREK関連の記事。

  1. 2010/12/25(土) 15:16:39|
  2. 登山
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2005年春 - 高尾山~草戸山をアップした

 Time Machineでバックアップをとっているので、古いバックアップ用のCD-Rを整理した。そうしたら2005年の高尾山~草戸山の記録がテキストファイルで残っていたのでHTMLに書き換えてアップした。残念ながら写真は見つけられなかった。

2005年春 - 高尾山~草戸山
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2005/05takao/

 あとは大学以降の主だった山行で記録がないのは、奥多摩・生藤山~陣場山だが、これは記録が見つからない。ちょうど手書きで山行記録を残すのをやめたころのため、そもそも記録を書いていないのかもしれない。でも時間を記録した手帳は残っているので、これをもとに簡単な記録を書いてみてもいいかもしれない。

05shoutou-record.jpg

↑生藤山に登ったときの記録

 101225追記:奥多摩・生藤山~陣場山の記録を書いてアップした。

2005年冬 - 奥多摩・生藤山~陣場山
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2005/05shoutou/
  1. 2010/12/24(金) 01:00:18|
  2. 登山
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12月22日朝に降った強い雨

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↑朝焼けに染まる積乱雲

101222cloud2.jpg

↑水たまりと積乱雲

 おととい明け方に強い雨が降った。6:30ごろ夕立のような強い雨が降った。私が家を出る6:45には雨は止んでいたが、路面は濡れたままだった。

 見上げると朝焼けに染まる積乱雲が見えた。東京の冬というよりは日本海側の冬のような天気だった。

  1. 2010/12/24(金) 00:26:48|
  2. 通勤途上にある畑
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年末の槍ヶ岳表銀座の準備

101223zack.jpg

↑準備したザック

 年末は槍ヶ岳表銀座縦走路へ行く。今日が休みだったので山の準備にあてた。カッパに防水スプレーをかけたり、環付カラビナの可動部にKURE5-56をかけたり。

 しばらく天気が悪そうなので、26日からは天気がよいといいのだが。


大きな地図で見る
  1. 2010/12/23(木) 19:53:30|
  2. 登山
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下山、東急、仮囲い、借家の夢

 今日はよく寝た。

 未明1:30ごろに寝て今日12:45ごろに起きたから11時間15分か。まあ私にとって睡眠は登山と並ぶ趣味の1つであるので時間をムダにしたとは思ってない。

 さて、それだけ長く寝たので夢も見た。断片的にしか覚えていないので思い出せるところだけ書きだしてみよう。

 どこかの山から下山してきたところ、もう集落のあるところだが、ずいぶんとひらけた盆地で涸沢みたいにぐるりと山が見える。バス停へ向かってだろうか、田んぼの脇の道を歩き、十字路に来た。十字路で区切られた2面は田んぼ、1面は空き地、1面は幼稚園の敷地だったが、壁や柵はなかった。

06hotaka_051.jpg

↑前穂北尾根

 空き地でひと休み。パーティーは私と、男性1人、女性1人の3人パーティーだった気がする。腰を下ろしてぐるり見渡すとずっと先に前穂北尾根のようなギザギザの稜線が見えた。

 次の場面。

 私はまだ学生で、大学から家に帰る途中のようだった。東急大井町線・池上線の旗の台駅のような線路が60°くらいのねじれの位置で交差している駅にいた。でも設定上は東急世田谷線の三軒茶屋か下高井戸駅であった。狭い割に複雑な駅で目的の出口に出るのに階段ではなくハシゴを登って細い廊下に出て跨線橋を渡り、小さな階段を登ると線路脇の小さな改札に出た。

08p-ikegamisen.jpg

↑東急池上線

 そのへんで11時頃、1回起きる。でも眠いのでまた寝る。

 次の場面。

 今度は勝田台駅から花見川に下る坂を歩いていた。国道16号を過ぎると、区画整理されていないごちゃごちゃした住宅街に出た。職場の後輩とそこにいて、なぜかそこの裏道を抜けることになった。裏道は狭くなり幅50cmほどのネットフェンスで挟まれたところを通る。フェンスの向こう側は住民の小さな家庭菜園になっていたが、雑草も背の高さまで生えていて視界がなかった。ついに行き止まりになり、工事現場の仮囲いにぶつかった。

 どうやらそれは小学校の改修工事の現場のようだった。なぜかその仮囲いの先が目的地だったようで、仮囲いの下を無理やり通り抜けようとした。後輩は通れたが、私はザックを背負っていたので通れなかった。気がつくと仮囲いの下も10cmくらいの隙間に小さくなっており、通り抜けることはできなかった。

 すると向こう側で話し声が聞こえた。どうも工事現場に出入りする人を探しているようだった。現場に立ち入ることは危険ということは承知していたので、見つからないように雑草だらけの家庭菜園に入り、隠れていた。ヘルメットをかぶった人が出てきたが、見つからなかった。

 工事現場の仮囲いから少し離れると別のところに抜けられた。気がつくとそこはどこかの借家の一部屋だった。

 その部屋は今度私が一人暮らしするようで、畳敷きの10畳くらいの長方形の部屋で台所、トイレは共用のようだった。なぜか職場の知り合いが何人かいて部屋の品定めをしていた。家賃がいくらか聞かれ、私は6万円と答えた。台所、トイレ共用、風呂は夢のなかで触れていなかったが、風呂なしだったらだいぶ高いと起きた今感じる。でも下高井戸駅だったか明大前駅から1分くらいの立地だったので悪くない。

 そこで本棚の整理をしていて、なにやら神話だとか民俗学の全然読んでいない古そうな本、といっても私が現実に持っている本ではない本がずいぶんあった。現実と同じく本の置き場所に困っていた。

 そのへんのだらだらっとした雰囲気の中、昼過ぎて暑くなってきて起きた。

  1. 2010/12/23(木) 15:02:45|
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【ニコニコ動画】水道管を背負って槍ヶ岳に登ってきた

 少し変わったタイトルだが、水道管(?)をレールにしてカメラをスライドさせて撮った動画。自然カテゴリで1位を取ったこともあるようだ。

 単に三脚にカメラを固定させて早送りした川や雲の動画もよいが、カメラをスライドさせて前景と後景の重なりをずらす手法はなかなか面白い。どこかじっくりと写真を撮りに山に行ってみようかという気にさせる動画だ。

  1. 2010/12/22(水) 01:16:53|
  2. 登山
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田部井さんと私の山のきっかけが似ている

 1975年、世界最高峰エヴェレストに女性として初登頂、1992年、オセアニア大陸最高峰カルステンツ・ピラミッド登頂により、女性で世界初の七大陸最高峰登頂を達成するなど、輝かしい登山歴を誇る田部井さんのエッセイ。

 田部井さんの本はほかに「エベレストママさん―山登り半生記」(新潮文庫,1981)を読んだことがあるが、これはいまyama‐kei classicsでも読めるようだ。

 昨年、NHK教育で「趣味悠々 田部井淳子の 山で元気に!登山入門」という番組を放映していたが、そんな経歴を鼻にかけるわけでもなく、気さくな人であった。

 それだけ山に登る女性というと相当体力のある人なのだろうと思ったが、子供のころはそうでもなかったらしい。

 子供のころの私は運動ぎらいで病弱で、高熱を出してはよく学校を休み、山とはまったく結びつかない子どもだったからだ。

田部井淳子「山を楽しむ」(岩波新書,2002)P.21

 しかし、小学4年のとき、担任の先生に連れていってもらった那須岳に登り、以下のように振り返っている。

 体育の選手には一度もなったことはなかったが、山は競争で登るのではないのだ。どんなにゆっくりでも、自分が歩いていけば頂上に立つことができる。そしてヤッターという達成感があった。

田部井淳子「山を楽しむ」(岩波新書,2002)P.24

 考えてみると、私も似たようなものである。小学校1年のときは月に1日くらい風邪ひいて休んでいたし、運動は苦手だし嫌い、特に球技がからっきしダメだったので体育の授業はほとんどダメだった。ドッジボールで最後のひとりまで逃げ切ったり、かくれんぼで昼休み中隠れ通したり、パン食い競走で1位になったりくらいしか運動に関して誇れることはない。

 一方で、山への親しみもまた田部井さんと似ている。私は子供のころ、家族で毎年夏に立山に登っていた。ただ歩くだけ、という技術も何もない登山は難しさもなく私は楽しんでいた。それが運動嫌いにも関わらず山に登れる理由だった。

 その後、田部井さんは谷川岳の一ノ倉沢や幽ノ沢の岩場に、毎週通い続けたP.40)そうなので、私とは比べものにならないくらい山に傾倒している。

 山さえ選べば誰にでも登山はできるので、山をやっている人で運動が苦手な人は私以外にもたくさんいるのかもしれない。ただ、一流の登山家でもきっかけは凡人と大して変わらないというのはおもしろいものだ。


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(2002/09)
田部井 淳子

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  1. 2010/12/20(月) 00:13:32|
  2. 登山
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スキー板を買った

 スキー板を買った。

 いままで板を借りてゲレンデスキーをしていたが、レンタルも積み重ねれば高くつくので買った。どうせなら山スキーできるものをと思い、神保町のさかいやで買った。

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↑板とブーツ

 ブーツはSCARPA、板はhagan Alpin carveと書いてあるが、よく分からない。あとはビンディング、シール、アイゼン、流れ止めでしめて10万円。もう部屋がごちゃごちゃして置くスペースがほとんどない。

 とりあえず今シーズンはゲレンデスキーが2回予定が入っている。少しずつ減価償却していこう。

  1. 2010/12/19(日) 01:07:29|
  2. 登山
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冬至が近づき霜も降りた

 ここのところ、朝が寒い。

 昨日は霜が降りていた。冬至も近づき、日の出を見ながら通勤している。

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↑12月17日朝におりた霜

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↑12月17日朝の夜明け

  1. 2010/12/18(土) 23:25:25|
  2. 通勤途上にある畑
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秋波を送る

 「秋波を送る」という言葉を最近知った。新聞の政治欄で「◯◯党が××党に秋波を送る」というような表現だ。なお「秋波」は「あきなみ」ではなく「しゅうは」と読むらしい。意味は以下の通り。

 異性の関心をひこうとして色目を使う。こびを送る。「向かい側の男性に―・る」

秋波を送るの意味 - 国語辞書 - goo辞書

 「秋波」の語感からすると、ひつじ雲が広がっているようすやススキの原が風で揺れているようすを思い浮かべるのだが、全然違っていた。「異性の関心をひこうとして」って季節で言うと「春」ではないだろうか。

 語源は一体なんなのだろう。日本語って難しい。

  1. 2010/12/17(金) 00:18:24|
  2. ことば
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「ツイートする」ボタンと人気記事の全ランキングへのリンクの追加

 fc2blogの環境設定に「ツイートする」というボタンを追加する設定ができていたので追加してみた。

101212tweet1.png

↑「ツイートする」ボタン

101212tweet2.png

↑Twitterを有効にする設定画面。fc2blogの管理ページの環境設定>環境設定の変更>ブログの設定>Twitterから開く

 私自身はTwitterをやっていないのであってもなくても関係ないのだが、もしツイートするという変わった人がいればツイートしやすいだろう。


 あと、人気記事ランキングについて全ランキングへのリンクを張った。

101212ranking.png

↑「ランキング全体」から過去1週間に1アクセス以上あった全ページが表示される

 設定方法は以下の通り。

 fc2blogの管理ページの環境設定>プラグインの設定>人気記事ランキングの編集>プラグインの改造でテキストフィールドに以下のように書かれている。

<div class="plugin-freearea" &align>

&freearea

</div>

 これを以下のように書き換えた。

<div class="plugin-freearea" &align>

→<a href="http://pranking2.ziyu.net/html/nakayamayu.html" title="人気ページランキング">ランキング全体</a>

&freearea

</div>

 ランキングは便利なのだけれど、titleを自動で拾ってくれないので、手動で置換リストを更新しないといけないのがめんどくさい。

  1. 2010/12/16(木) 00:42:54|
  2. blog/webpage
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モーツァルトの死に対する考え - 田辺秀樹「モーツァルト カラー版作曲家の生涯」

 2010年はモーツァルト生誕何年もしくは没何年じゃなかったっけと思って買ったまま、年末までほっといた一冊。しかも調べてみると2010年は生誕254年、没219年と全然きりのいい数字ではなかった。

 モーツァルトというと私の知っている曲はアイネ・クライネ・ナハトムジーク第2楽章とフィガロの結婚の冒頭くらい。私の好きなバッハは重厚で荘厳な曲が多いのに対して、華やかでいかにも宮廷作曲家らしい音楽というイメージがある。

 モーツァルトの人生は35歳という短いものだったが、読めば波瀾万丈の人生である。4歳で父レオポルトに教わりクラヴィアをはじめ、5歳ではじめての作曲、少年期はヨーロッパのあちこちで演奏して回り、天才と称される。ウィーンでマリー・アントワネットに求婚したという話は有名である。生まれたザルツブルグで宮廷音楽家となるものの、コロレド大司教と決裂。ウィーンで作曲、ピアノ教師をはじめ、下宿先のコンスタンツェと結婚する。フィガロの結婚、魔笛などのオペラを作曲するが、よいパトロンを見つけられず生活には困窮する。さらに病に侵されレクイエムの作曲を途中に息を引き取る。

 モーツァルトが死に対して肯定的であったことを示す手紙が残っている。

 プラハ訪問といううれしい出来事でスタートしたこの年の5月28日、父レオポルト・モーツァルトがザルツブルクで世を去った。享年68歳。それに先立つ4月4日、病床の父に宛ててモーツァルトが書いた手紙の一節は、あまりにも有名である。

「死は(正確には)私たちの生の真の最終目標なのですから、私は数年来というもの、人間のこの真実にして最良の友とすっかり親しくなっています。ですから、死の姿は少しも恐ろしくはないばかりか、むしろ心を安らかにし、慰めてくれるものなのです!」

田辺秀樹「モーツァルト カラー版作曲家の生涯」(新潮文庫,1991)P.122

 死をあきらめとして肯定的に受容することはできるが、これほど積極的に死を認めることができるというのは驚きである。しかも病床の父に宛てて、というところがすごい。一方で当のモーツァルトは生活にも困り、病にも侵されながら依頼主のよく分からないレクイエムを書きながら死んでいったので、あんまり「心を安らかに」はしてくれなかったと思うのだが、どうだったのだろうか。


モーツァルト (新潮文庫―カラー版作曲家の生涯)モーツァルト (新潮文庫―カラー版作曲家の生涯)
(1984/10)
田辺 秀樹

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  1. 2010/12/15(水) 23:44:15|
  2. 書評 - その他
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印西牧の原行きの京成3400系

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↑浅草駅にて京成3400系

 今日、地下鉄浅草線で印西牧の原行きの京成3400系を見かけた。

 北総鉄道直通の京成の車両は、成田スカイアクセス線直通の新3050系を除いて見たことがない。成田スカイアクセス線開業以前は京成の車両は京成本線へ、北総の車両は北総鉄道へと分かりやすい区別になっていたのだが、車両を見ただけでは行き先を判別できないということだ。

 分かりにくいけど、成田スカイアクセス線開業に伴い、乗り入れ距離のバランスをとるために京成の車両を印西牧の原まで通しているのだろうか。

  1. 2010/12/15(水) 20:08:31|
  2. 鉄道
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高尾山に水道施設が完成

 高尾山に水道施設が完成したそうだ。

 高尾山はミシュランガイドに載ってから登山者が年々増えていると聞く。飲み水、トイレなど需要は大きいだろう。

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↑京王高尾山口駅(2008年2月10日撮影)

 一方で何だか変な感じもする。

 水は山から谷へ向かって流れるのが普通である。人は生活するのに水が必要なので、山では水の流れる沢筋に集落が並ぶ。が、このケースでは山に需要が先にあり、それに必要だから水道を引くという逆の順序となっている。

 そんなことを言い出したら、山に限らず丘の上の団地だって圧送で水を送っているのだし、古い団地にある給水塔やマンションの屋上にある給水タンクだってポンプアップしている水である。これまで人間は圧送管の布設により住めなかったところを住めるように開墾してきたのだ、小さなテラフォーミングである、と言われればそのとおりである。

 ただ、自然の山と人工的な給排水系統という組み合わせがどうも違和感を感じる。それがいけないという意見ではなく、何か不思議な感じがする。

高尾山水道施設が完成|東京都
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/11/20kbh300.htm
  1. 2010/12/14(火) 00:05:14|
  2. 地図・県境・都市河川
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台場でバーベキューしてきた

 友人に誘われて台場でバーベキューをしてきた。

 台場の潮風公園というところでバーベキューの道具を貸してくれるため、食材を用意すればバーベキューが楽しめる。台場は何度か来たことがあるが、研究のためだったり、テレコムセンターで研修だったり、仕事(下水道展富士見橋見学)だったりで、遊びに来たことはない。バーベキューができる施設があることも知らなかった。

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↑天気のよい東京港

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↑バーベキューを楽しむ

 佐藤さんと山田さんが中心となり、友達の友達つながりで企画した感じで、ほとんどの人が初対面のバーベキューであった。バーベキューに加えて鍋も作ったのだが、ひとりあたり酒込みで2,500円とだいぶ安くすんだ。

 私自身は社交的でないが、人から誘われれば参加するのはやぶさかではないというタイプである。まれに誘われると出席する。社交的な人のモチベーションと企画力に感心するばかりである。


大きな地図で見る
  1. 2010/12/13(月) 01:05:28|
  2. 東京
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利用者にリンク通知をお願いする電子国土ポータル

 電子国土ポータルの簡単地図作成サイトに公開していることの報告を求める文章が追加されていた。

 地形図をウェブページに貼り付けるのに便利な簡単地図作成サイト。以前、地形図をWebページに貼り付けるという記事も書いた。

 山が吹き飛んだ二又トンネル爆発事故を書いていて、地形図を貼りたいと思っていたのでこちらのサイトに接続した。そうしたら、ここで作成した地図のリンクを公開していることを求める文章が追加されていた。

101211denshikokudo_01.png

↑以前はなかった気がする記述。今回はページ用(通常・簡易)として地図情報を取得し、ホームページから公開されるに該当すると思ったので「開設報告」のリンクをたどる。

101211denshikokudo_02.png

↑「電子国土サイト開設の報告」というページに移る。電子国土サイトを開設したという意識はないのだが、フォームに記入。

101211denshikokudo_03.png

↑下の方にある「メールを送る」ボタンを押す。

101211denshikokudo_04.png

↑エラー表示。

 【連絡先メールアドレス】が入力されていませんというエラーメッセージが出て送信できなかった。何度かメールアドレスを確認するが、同じエラーが出てダメだった。しかたないので、gmailからメールを送信した。

 「お願い」とはいえ、リンク通知を出すというのはインターネットではナンセンスとされている。その理由はWWWにオープンにされているウェブページに許可を求めるのは、いわば「ご自由におとりください」と掲げられているものに対して「取っていいですか」と尋ねるようなものだからだ。そのへんの詳しい話は奥村晴彦先生のリンクに許可は不要ですなどに詳しい。

 しかし、このような議論はもう2003年くらいに終わっていたと思うのだが、国土地理院はだいぶ遅れている気がする。ひょっとしてこの記述のような問い合わせがあってリンク通知を求めるようになったのだろうか。だとしたらピントのずれたお願いだと思う。単に電子国土ポータルが使われているという実績を報告するならGoogleで調べればいくらでも出てくるからだ。

  1. 2010/12/12(日) 00:13:31|
  2. 地図・県境・都市河川
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山が吹き飛んだ二又トンネル爆発事故

 /.Jより、米個人宅から米史上最大量の爆発危険物みつかる。処理方法は「家ごと焼き尽くす」

 この記事のコメントで以下のようなものがあった。

Re:typo (スコア:1, 興味深い)

Anonymous Coward : 2010年12月08日 13時22分 (#1870519)

レンガ壁みたいな感じで、床から天井までびっちし敷き詰められてるとか

 トンネルでこれをやると山が吹っ飛ぶ [wikipedia.org]そうです。

 リンク先を見てみると二又トンネル爆発事故という事故があったそうだ。

 詳細はWikipediaを見てもらうとして、山ひとつなくなるというのは恐ろしい事故だ。高熱隧道セントラリアの坑内火災も恐ろしいが、想像もつかないような事故というのは人間の認識の範囲を越えているからか本能的に怖さを感じる。

  1. 2010/12/11(土) 22:40:00|
  2. 地図・県境・都市河川
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団地のけやきの枝が切られていた

 最近、団地のけやき通りのけやきの枝が切られていた。

 ずいぶんと思い切った切り方で葉っぱどころか小さな枝が残っていない。きれいさっぱりしたが、冬ということもあって何だか寒々しい。

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↑団地のけやき通り

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↑大胆に切られたけやき

101209hatake.jpg

↑いつもの畑

  1. 2010/12/10(金) 00:00:32|
  2. 通勤途上にある畑
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浅草「本場尾道ラーメン 鳶」

 今日、新宿で飲んだ後、帰る途中電車を調べたら、勝田台でバスを40分待つことが分かった。荷物もあったので歩いて帰るのは避けたい。途中で飲みのしめとしてラーメンを食べることにした。

 寄ったのは「本場尾道ラーメン 鳶」。駒形橋西詰交差点の喜多方ラーメン坂内の隣にある。

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↑「本場尾道ラーメン 鳶」は駒形橋西詰交差点の喜多方ラーメン坂内の左隣にある

101208tobi2.jpg

↑「本場尾道ラーメン 鳶」の店構え

101208tobi3.jpg

↑尾道ラーメン600円

 店に入ると3人のお客さんがいた。店は主人がひとりで切り盛りしていた。

 尾道ラーメン600円を注文。麺は細いストレート麺で食べやすい。その分か量が少なく感じた。スープは醤油の色が濃く、黒っぽく、甘味がある。だしは尾道なので魚介だと思うのだが、よく分からなかった。

 地下鉄浅草線浅草駅の出口に近いので寄って帰るにはいいと思う。


大きな地図で見る
  1. 2010/12/09(木) 00:54:30|
  2. ラーメン
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ミルクとカルピス ブルーベリーミックス

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↑ミルクとカルピス ブルーベリーミックス

 みんなのイチバで「ミルクとカルピス ブルーベリーミックス」が60円だったので買った。

 ブルーベリー味の食品もメープルシロップ味と同じくらい好きなのだが、この商品は見たことがなかった。カルピスのブルーベリー味といった感じで甘すぎず、ミルクがカルピスの酸味を抑えて、おいしかった。

  1. 2010/12/08(水) 00:38:39|
  2. 食べ物・飲み物
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高度で競う「エクストリーム・ラブプラス」勃発

 アルファルファモザイクより高度で競う「エクストリーム・ラブプラス」勃発

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↑吉田口山頂(2010年12月5日撮影)。ここで「エクストリーム・ラブプラス」を行う人間が出てくるのだろうか。

 エクストリーム・アイロニングを発端としてエクストリームスポーツが多くの分野に広がっている。「エクストリーム・ラブプラス」もその一つと言えよう。

 アホさ加減では赤ふん富士登山槍ヶ岳山頂でハレ晴レユカイを踊っている人に匹敵する。しかし、この記事の登高意欲をそそるところは「エクストリーム・ラブプラス」を富士山頂で達成している人がいないらしいこと。こんなんなら、おととい挑戦すれば夏季冬季通じて初の富士山頂「エクストリーム・ラブプラス」達成になったのに。

 まあDS持ってないし、ラブプラスもやったことないからできないけど。意外と12月5日は好天で人も多かったので誰か達成しているかもしれない。

  1. 2010/12/07(火) 01:33:06|
  2. 登山
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スキー場と秋葉原の夢

 昨晩見た夢。

 覚えているパートとしてはスキー場と秋葉原の2つに分けられる。

 スキー場パートは、はじめ県境縦走の地図を俯瞰していた。見ていたあたりは栃木県の湯西川温泉あたりのようだった。ちょうど鉄道が走っていてアプローチもよさそうだった。

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↑今年3月に行った志賀高原

 気がつくとそのスキー場にいた。天気は快晴で、リフトで着いた山頂のようなところにスキーの格好して立っていた。インストラクターみたいな人がいて、私のほか何人かに向けて今日の滑走の行程を説明してくれた。しかし、そのコースはゲレンデ外の山スキーのコースでしかも10時間くらいかかるとのことであった。それを聞いて私はついていけないと思った。

 そのあと場面は変わってスキー場の中腹のリフトを降りたあたりにいた。先ほどとは別のインストラクターの人がいて、なぜかピッケルを持っていた。グリセードをするのかと思ったら、ピッケルを逆さまにもち、ピッケルのピックを雪面に置いて腰をかがめ、ピッケルの足をあごの下にかまえた。その姿勢でピッケルを器用に操りながら滑り、私と私の他にいた人たちに滑り方を教えていた。私はなんとなくスノースクートに似ていると思った。

 秋葉原パートは会社で仕事をしていて、秋葉原付近で打ち合わせの用事が入ったところから始まる。会社を早めに出て向かう。少し早く出てしまい、時間があるので歩いていくことにした。なぜか住宅街の中の緩い坂道を登っていく。車通りのない道でスノーボードのようなものに乗った中学生くらいの子供たちがスノーボードのようなものに付いた操作棒のようなものをいじりながらボードを動かしていた。

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↑秋葉原・万世橋北詰の交差点

 途中の過程をすっ飛ばして秋葉原の駅構内に場面は移る。駅構内のショッピングモールのようなところにいて、まだ打ち合わせに時間があるのかあちこちをうろうろしていたが、具体的にどのような店に入ったのか思い出せない。私のことだから本屋とか100円ショップとかだと思うのだが、はっきり思い出せないところを見ると違うようだ。

  1. 2010/12/07(火) 01:16:44|
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富士山に登ってきた

 富士山に登ってきた。

 吉田口六合目以下には雪はないが、3日朝降った雨か道が凍っているところがあった。六合目より上には登山道全面に雪がある。吉田大沢で雪崩の跡があり、登山道が一部デブリで埋まっている。九合目付近は雪がクラスト状になっており、鋭くないアイゼンではよく蹴りこまないと怖い。

 天気は非常によく、快晴。九合目で少し風に吹かれたものの、冬の富士山としては無風と言っても差し支えないくらい状況はよかった。その分、人も多かった。

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↑吉田口山頂にて中山(左)と荒井(右)

2010年冬 - 富士山
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2010/1012fuji/
  1. 2010/12/05(日) 21:47:37|
  2. 登ってきた
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早稲田大学山岳部「リュックサック14号」をもらった

 早稲田大学山岳部からリュックサック14号をいただいた。

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↑早稲田大学山岳部「リュックサック14号」。左上は千葉高山岳部OBでつくった「故・有村哲史さんを偲ぶ」

 「故・有村哲史さんを偲ぶ」をつくった縁でいただいた。「リュックサック14号」には「―クーラカンリで遭難死―有村哲史が遺したもの」というページがあり、その中に「故・有村哲史さんを偲ぶ」からの引用もある。

 大学時代の有村先輩はよく知らないが、ところどころ書き残した文章が織り込まれていて、故人の生前が偲ばれる。

 宗教哲学という専攻分野の特性上、僕にとって登山と学問は不可分であって、両者は支えあう車輪の両輪です。登山がなければ学問もありえません。むしろ僕は逸脱の道ではなく、僕なりの王道を歩みたいと願うものです。

早稲田大学山岳部「リュックサック14号」P. 172

 上はクーラカンリに行く前に有村先輩が早稲田山岳部にOBにあてて書いた手紙の一部である。

 これを読むと有村先輩が自らの生きる道を登山と宗教哲学の2つに定め、将来を見据えていたことが分かる。有村先輩の享年は27歳。学年ひとつ下だった私はもう29歳になってしまった。私は定職に就いたが、有村先輩は定職に就かなかった。しかし、定職につかずとも目標を定めそれに向かって邁進している人間と、定職に就いてもただ漫然と生きる私とどちらがよいだろうか。一概に決めることはできないが、私は有村先輩の生き方がすばらしいものだと思う。しかし真似しようと思っても、私にはそれだけの情熱がない。その情熱を持ち続ける才能がうらやましい。

  1. 2010/12/03(金) 00:00:41|
  2. 登山
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「Cream-O」と「CRISP Crackers」

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↑99円ショップで売っていた「Cream-O」(左)と「CRISP Crackers」(右)

 99円ショップで有名なお菓子のパチモンが売られていたので買ってみた。

 パッケージも中身も「オレ◯」と「リッ◯」そっくりなのだが、どちらも99円である。

 中身はというと「Cream-O」ははじめの2枚くらいは「オレ◯」と変わらないように感じるが、3枚目くらいから塩っぱいような薬品のような味がしてくる。なので、あんまりたくさん食べられない。

 「CRISP Crackers」は「リッ◯」に比べて油が少なく少し乾いた印象を受けるが、味に不満はない。しかし単調な味だからか、単に量が多いからかたくさん食べられない。結果的に食べ過ぎなくてよいのだが。

 というような品質の違いがあるが、それが気にならない人ならば問題ないと思う。

  1. 2010/12/02(木) 00:37:00|
  2. 食べ物・飲み物
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宗教は複数信じてもよいか - 山折哲雄「宗教の力―日本人の心はどこへ行くのか」

 山折哲雄「宗教の力―日本人の心はどこへ行くのか」を読んでいる。

 この本の中で目からウロコが落ちる文章があった。

 第二が、日本の伝統的な宗教、あるいは宗教心というのはそのような二者択一によるのではなく、「あれも、これも」という対し方だったということです。仏と神を同時に信仰してきたのが伝統的な日本人であり、正月には初詣に神社にお参りし、人が亡くなって葬式をする時にはお寺でやる。家にいくと神棚があり、仏壇が飾ってある。そもそも「宗教」とか「信仰」という言葉は日本にはなかったのであり、明治以前の日本人には意識もされなかったことでした。我々はそういう生き方を神信心、仏信心で済ましてきたのです。

山折哲雄「宗教の力―日本人の心はどこへ行くのか」(PHP新書,2000)P.26

 よく日本人は尋ねられると無宗教あるいは無神論者と答えるという。その理由の一つに、上のような正月は神社に初詣、結婚式は教会で、葬式は寺でという一見、統一性のない行動が一般的であるということがある。著者は上の引用の前で、キリスト教の排他的な考え方に基づき、宗教とはひとつの宗教を選び取らなければならないから無宗教あるいは無神論者と答えていると看破している。

 しかし、だからといって「宗教を持たない」というわけではなく、「神も仏も信じている」という考えがあってもおかしくない。つまり複数の宗教を信じてもおかしくないのではないか。上の例で言えば日本人は「神道であり、キリスト教徒であり、仏教徒である」

 山本七平/イザヤ・ベンダサン「日本人とユダヤ人」にも「日本人は無宗教だと言うが、そんなことはない。日本人は『日本教』の信徒だ」という文章があったと思う。

 考えてみれば聖徳太子が百済から仏教を輸入したのも、「これからはご先祖さまを崇めるのをやめて仏様を拝むことにします」というわけではないだろう。たぶん、国を災難から守ってもらうために、ご先祖さまに加えて仏様にもお願いするということではないだろうか。

 日本人は自動車をはじめとして外国の技術を真似するのがうまいと言われるが、宗教に関しても貪欲に他の宗教を受け入れて自分たちの宗教の一部に加えてしまうという器用な性質があるようだ。結果としてマリア観音だとか遠藤周作的なキリスト教観を生み出し、本流からは異端視されてしまうのかもしれないが。


宗教の力―日本人の心はどこへ行くのか (PHP新書)宗教の力―日本人の心はどこへ行くのか (PHP新書)
(1999/02)
山折 哲雄

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  1. 2010/12/01(水) 00:28:45|
  2. 書評 - 哲学
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