山ノ中ニ有リblog

登山とか、Macとか、日記とか

巻機山に登ってきた

 巻機山へ行ってきた。巻機山は何度か登ったが、台風が来る中での巻機山は初めてだった。予定では米子沢だったが、沢登りはとりやめ井戸尾根の登山道を往復した。避難小屋が閉じていたが角落しをはずし中に入って一泊した。思いのほか厳しい山行であった。

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↑巻機山御機屋にて私

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↑凍った池塘(避難小屋~御機屋間)

2010年秋 - 上越・巻機山井戸尾根
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2010/10makihata/
  1. 2010/10/31(日) 21:09:58|
  2. 登ってきた
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成田空港駅に行った夢

 成田空港駅に行った夢を見た。

 といっても設定が成田空港駅というだけで、飛行機も列車も見なかったし、私の知っている成田空港駅とは似ても似つかないものだった。

 そもそもは成田空港駅で珍しい列車が見られるという話で、成田空港駅構内をホームから改札へ向かって歩いていた。ちょうど同じ目的の人が多いのか、単に列車が着いたからか人が多かった。通路は狭く、左手の壁には京成線の配線図を模式化した銅板の大きなプレートがかかっていた。そのプレートを見ると成田空港駅の先と東成田駅の先が合流していた。

 その珍しい列車には時間があるので、いったん改札を出る。改札は自動改札ではなく、人が切符を回収していた。改札を出てみるとその駅舎は小さく木造で古そうな駅であった。

 駅を出ると灰色の風景が広がっていた。その駅は窪地に立っていてホームは地下にあるのか見えない。窪地には駅舎より古いバラックの残骸が並んでいた。一緒に改札を出た人たちがあちこちでブラブラと散策していた。

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 窪地から少し登ると丘になっていた。丘は灰色だったが、土の色が灰色だったのか、生えている草が灰色だったのかはよく分からない。いっしょに来た会社の同期とそこに腰を下ろしてぼんやりと空を眺め、試験受かるだろうか、という話をした。空の色も灰色でぽっかりと車の形に穴が空いていて、そこだけは青色だった。

  1. 2010/10/29(金) 00:19:34|
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過去は<今ここ>に立ち現れている - 中島義道「時間を哲学する」

 中島義道「時間を哲学する」(講談社現代新書,2000)を読んでいる。「孤独について―生きるのが困難な人々へ」(1)(2)中島義道「不幸論」(1)(2)と同じ作者。

 たぶん、論旨は以下の文章に現れていると思う。

 聡明な読者ならお気づきのように、大森の過去論の原型はむしろ「夢」であり、現実の過去をかぎりなく夢に近づけて解釈してゆくものです。夢とは「みた」という過去形でしか意味をもちません。その場合、夜中に「夢をみる」という原体験をして、目が醒めてからその体験を「思い出す」と考えがちですが、大森はこの図式に揺さぶりをかける。いや、よく考えてみるとわれわれは朝方に「夢をみた」というかたちではじめて夢体験をするのではないか。ただ、はじめからそれに「過ぎ去った」感じが伴っているだけなのだ。そこから、われわれは夜中に「夢をみている」という原体験を導入するが、そんなものはでっちあげ(誤った、不必要な推論の結果)である!

中島義道「時間を哲学する」(講談社現代新書,2000)P.143

 つまり、過去とは想起したできごととしてしか感じることができず、世界五分前仮説のように過去は事実としては存在しないということのようだ。そのかわり、過去は想起しているいまここに現出しているという論らしい。

 結論からいうと、言いたいことがよく分からない。思想史に現れるさまざまな哲学者の言葉を散りばめながら説明しているのだが,その分寄り道が多いのか、論説文としての構成・展開が分からない。説明がくどいというか、思いついた順に書いたというか、何というか。オッカムの剃刀でバッサリ切り落としたら1/5くらいの厚さになるんじゃないかと思う。


「時間」を哲学する (講談社現代新書)「時間」を哲学する (講談社現代新書)
(1996/03/19)
中島 義道

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  1. 2010/10/28(木) 00:01:58|
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伊藤園抹茶ラテを飲んでみた

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↑伊藤園抹茶ラテ

 会社と駅の間にある99円ショップで、ときどき抹茶ラテが1本60円、2本100円で売られていることがある。抹茶好きの私としては見かけるとよく買う。

 抹茶の味と牛乳の味が混ざり合ってなめらかな触感がいい。ペプシしそみたいに在庫一斉処分というわけでもなさそうだが、何で安売りしているのだろう。

 …食べ物・飲み物カテゴリを新設しました。

  1. 2010/10/27(水) 00:08:49|
  2. 食べ物・飲み物
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「森永ホットケーキ ミルクセーキ」を飲んでみた

 吾妻川四万川本谷へ行ってきたの関連。

 道の駅おのこでめずらしいものを見かけて買った。「森永ホットケーキ ミルクセーキ」である。

森永ホットケーキ ミルクセーキ

道の駅おのこで買った森永ホットケーキ ミルクセーキ

 味は名前のとおりミルクセーキで、うっすらシロップの味がする程度。焼く前のホットケーキの味からは遠かった。とはいえ、焼く前のホットケーキのドロドロした液体を缶ジュースに詰めてもあんまり飲みたくないけれど。

  1. 2010/10/26(火) 00:00:35|
  2. 食べ物・飲み物
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四万川本谷にあった人工物

 吾妻川四万川本谷へ行ってきたの関連。

 四万川本谷には土留壁、コンクリート構造物の残骸、錆びたレールが見られた。昔は森林軌道が通っていたのだろうか。

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↑大魔ヶ沢出合先、四万川本谷標高840m付近、右岸の土留壁

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↑大魔ヶ沢出合先、四万川本谷標高840m付近、河原にあったコンクリート構造物の残骸

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↑板椿ノ沢出合先、四万川本谷標高880m付近、錆びたレール、レールは何箇所かで見られた

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↑板椿ノ沢出合先、四万川本谷標高880m付近、錆びたレール、板椿ノ沢出合の先にはレールはなかった

2010年秋 - 上越・吾妻川四万川本谷
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  1. 2010/10/25(月) 00:26:10|
  2. 地図・県境・都市河川
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吾妻川四万川本谷へ行ってきた

 吾妻川四万川本谷へ行ってきた。

 10月下旬と沢登りには遅い時期であったが、濡れるのは股下くらいまでで済んだ。沢はまだ紅葉が始まっていなかったが、国境稜線を越えた新潟側の湯之沢や稲包山の稜線は紅葉が真っ盛りであった。

 先々週行った野反湖から稲包山とほぼ同じエリアであったが、前回は雨、今回は晴れと気分は大違いであった。

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↑滑床を枯れ葉が彩る

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↑稲包山にて私

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↑稲包山から赤沢峠へ至る稜線の紅葉

2010年秋 - 上越・吾妻川四万川本谷
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  1. 2010/10/24(日) 22:20:26|
  2. 登ってきた
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Mac OS X Lion発表

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 Appleから次期Mac OS X Lionが発表された。バージョンがとれているが、たぶん10.7。

 iPadのようにアプリケーションにアクセスできるLaunchPad、ExposéみたいなMission Controlなど。iPadの機能をMacに移植する感じでX11 for Mac OS XBoot CampDashboardほどの新規性はない。

 とはいえ、いま使っている初代MacBookはもう4年半も使っているし、そろそろ買い換えてもいいかもしれない。

  1. 2010/10/22(金) 00:26:35|
  2. コンピュータ
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ブラタモリ第3回 新宿で水道をたずねてブラタモリ

 NHK「ブラタモリ」が第2シリーズを放送している。

 第2シリーズは第1回築地、第2回丸の内と続き、今晩行った第3回は新宿であった。

 ネタとしては東口の甲州街道沿いの玉川上水、四谷大木戸、玉川上水余水吐、水道局新宿営業所、西口の十二社の池、水道局淀橋浄水場、下水道局水リサイクルセンター。サブタイトルのとおり、水道だらけだった。

 このうち、新宿御苑近辺の玉川上水は私も歩いたことがあるのでだいたい分かった。

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↑新宿御苑敷地内から見る玉川上水余水吐(2008年冬 - 渋谷川源流探索より)

 一方、十二社という地名と笹塚から神田川への流れは知っていたが、「十二社の池」は知らなかった。一緒に番組を見ていた父も知っていたので、そんなに古くはない。見ていて勉強になった。

  1. 2010/10/22(金) 00:11:07|
  2. 地図・県境・都市河川
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秋らしい写真を撮るのは難しい

 あるところで、小冊子の秋号の表紙に山の写真を使いたいと頼まれて、秋っぽい写真を探した。

 意外と秋っぽい写真がなく、探してみて以下の5枚を見つけ、先方に送った。

 紅葉の写真はよく見るが、こないだの浅間山周辺・鳥居峠~車坂峠でいろいろと写真を撮ったら、逆光で真っ黒になったり、紅葉している部分は写真の一部だったりと、なかなか難しい。秋の中禅寺湖の竜頭の滝でカメラを構える人をたくさん見たことがあるが、好きな人にとっては実力の差が現れる課題なのかもしれない。

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2006年秋 - 草津白根山の芳ヶ平にて

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2006年秋 - 尾瀬の平滑ノ滝にて

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2008年秋 - 上越・朝日岳~巻機山の檜倉山にて。個人的にはこれが好き。

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2008年秋 - 信越・苗場山にて

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2009年秋 - 草津・長笹川ガラン谷にて

  1. 2010/10/21(木) 00:24:05|
  2. カメラ
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駒形どぜうに食べに行った

 今日、駒形どぜうに会社の同期と食べに行った。

 歩いていける範囲で江戸通りからもよく見える建物なので、気になっていたので行ってみた。

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駒形どぜう

 頼んだのは定食で一番安い「どぜう定食」。内容は、お通し、田楽、どぜうなべ、柳川、どぜう汁、お新香、ご飯。安いと入っても4,350円。これに各自ひとつ飲み物をつけたので、一人あたり5,000円ほど。

 予約がなくても入れた。中に入ると広い畳部屋にテーブル代わりの長い板が5列ほど並べられていて、そこにお客さんが連なっていた。正座ないしあぐらで食べるが、そんなに低いとは感じなかった。鍋類は高さがあったからだと思う。

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↑どぜう鍋

 どぜう鍋が素材そのままの味を楽しめるのだが、前もって用意してあったのか、入店してすぐに出てきた。くたくたに煮こんであってお箸でつかむと崩れてしまう。だし汁と砂糖としょうゆで味付けされていて、薬味としてネギ、七味、山椒があった。

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↑柳川

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↑どぜう汁

 おいしいけれど、そんな頻繁に食べたくなる、という味でもなかった。お財布にもそんなにやさしくないし。

  1. 2010/10/20(水) 23:23:59|
  2. 東京
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保革油がすっかり落ちた登山靴

 ちょっと前の話になるが、上信越・野反湖~稲包山の縦走の後、靴が雨でぐっしょり濡れてしまったのでザブザブ水で洗った。

 何度も保革油を塗って硬くなっていた革の重登山靴だったが、油はすっかりはげて久しぶりに起毛が見えるくらいになった。

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↑保革油がすっかり落ちた登山靴

 このままだと靴の保水性が失われてしまうので改めて保革油を塗った。

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↑私が使っている保革油

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↑油を塗った登山靴

 2万円くらいした重登山靴だが、両足とも足の甲に穴が開いている。大きさは径1cmほど。靴底は1回替えている。ヤブで使うことが多いから痛むのも早いのだろう。

  1. 2010/10/18(月) 21:56:08|
  2. 登山
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落っことしたヘッドランプが見つからなかった

 鳥居峠~車坂峠の縦走に向かうとき、ザックの天蓋が開いていて、ヘッドランプ、本、トイレットペーパー、野菜ジュースを落としてしまった。他は大した価値はないが、ヘッドランプは3,000円くらいしたので、どこかに落ちていないか探してみた。昨日駅から家まで帰るときに探したが、自転車でスピードがあったからか見つからなかった。今日、改めて歩いて駅から帰ってみたが、落としたものどれひとつ見つからなかった。

 いずれもある程度の大きさがあるし、風で飛んでいくものでもないので、そう簡単になくならないと思うのだが、いったいどこに落としたのだろう。天蓋の空きに気づいたのは上野駅の新幹線ホームだったので、上野駅での乗り換えで落としたのか、上野までの電車内で落としたのか。ただ落ちるとしたらもっと前の時点で落ちていると思うので、そうするとやはり家から駅までの自転車走行時がいちばんあやしい。

 こう、まったく痕跡が残っていないと、狐に化かされたような不思議な気持ちになる。

  1. 2010/10/18(月) 21:37:23|
  2. 日記
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長野県上田市がどこか変な方向へ行こうとしている気がする

 長野県上田市がどこか変な方向へ行こうとしている気がする。

 去年、四阿山に行ったときに上田駅に降りたらサマーウォーズの垂れ幕がかかっていたことを述べた。そして、それは今年もあった。

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↑去年もあったサマーウォーズの垂れ幕

 破れたりもせず残っているだけでも驚きなのだが、さらに駅前に戦国バサラの垂れ幕が加わっていた。

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↑戦国バサラの垂れ幕

 ああ、まあ、真田幸村といったら上田あたりだよね。でも、駅前にこうアニメ画が2作品も掛かっているのってどうなのよ、とか思いながらバスを待っていたら、

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↑バスにも戦国バサラのラッピングがあった。

 単に観光資源として見ているのか、それにしてはこのアニメへの偏りはいったい何なのか、上田市がどこか変な方向へ行こうとしている気がする。

2009年秋 - 上信・四阿山
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2009/09azumaya/
2010年秋 - 浅間山周辺・鳥居峠~車坂峠
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2010/10yunomaru/
  1. 2010/10/18(月) 00:23:07|
  2. マンガ・アニメ
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浅間山周辺・鳥居峠~車坂峠を歩いてきた

 2010年秋 - 上信越・野反湖~稲包山に続いて、県境の浅間山周辺・鳥居峠~車坂峠を歩いてきた。

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↑笹ヤブの奥和熊山の登り

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↑湯ノ丸山にて籠ノ登山、浅間山を背景に私

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↑水ノ塔山付近からスキー場と浅間山

 鳥居峠から角間峠までは笹ヤブで苦難したが、他はわりにすいすいと登れた。天気はよく、予定では浅間山の前掛山まで登る予定だったが、途中の車坂峠でめんどうになってバスに乗ってしまった。

 浅間山はまだ入山規制がつづいているし、いずれ登ることにしよう。

2010年秋 - 浅間山周辺・鳥居峠~車坂峠
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2010/10yunomaru/
  1. 2010/10/17(日) 20:40:06|
  2. 登ってきた
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ダライ・ラマの考える時間論 - ダライ・ラマ「「死の謎」を説く」(2)

 チベット仏教について - ダライ・ラマ「「死の謎」を説く」(1)のつづき。

 ダライ・ラマ14世の考える時間観は一般の考える時間観を否定する。

 地球そのものの始まりについて述べる人たちがいる。何億年、何十億年という時間について、一切が空ならば、いったい時間とは何か。それそのものが自立した、独立した概念の時間など、そもそも存在しない。

(中略)

 われわれが過去というとき、ある特定の限定された現在という瞬間に立って、すでに過ぎ去った時間を意味する。また、同じく特定の限定された現在に立って、未だ訪れていない時間を未来と呼ぶ。このことからわかるように、現在を固定しないかぎり、未来も過去もありえない。この特定の限定された現在こそが、時間の中心軸になる。

ダライ・ラマ「「死の謎」を説く」(角川ソフィア文庫,2008)P.166-167

 その「現在」ですら、時間を無限分割すれば過去ないし未来に属することになる。

 すでにわかったはずだ。すべての時間は過去と未来に属していることが。それら過去と未来は現在があってこそ存在しうるなら、いったい時間とは何か。要するに時間によって存在する基準そのものが確たるものではありえない、ということだ。

ダライ・ラマ「「死の謎」を説く」(角川ソフィア文庫,2008)P.166-167

 また、過去とは思い出、記憶でしかなく、未来とは空想でしかない。両者はともに静止しているが、それらは感覚の世界に属しているP.170)と述べているので、端的に言えば「時間は存在しない」ということであろうか。

 私は時間論に興味があるものの、自分なりの時間観がないのでなんとも評価しがたいが、時間など存在しない、という論にはある程度うなづけると思う。しかし、この流れるような時間感覚とのギャップはどうやって埋めたらいいのだろう。


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  1. 2010/10/15(金) 22:19:53|
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チェルシーヨーグルトスコッチ味の飲み物を買ってみた

 今日、99円ショップで見慣れたパッケージのドリンクを見かけた。飴のチェルシーヨーグルトスコッチ味のドリンクだ。

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↑チェルシーヨーグルトスコッチ味の飲み物

 買って飲んでみた。

 思いのほかよく味を再現できており、最初の口当たりが飴っぽく甘い感じがするが、そのあとはすっきりしている。ハイレモンの飲み物に比べると粉っぽさなどはなく飲みやすい。

 バタースコッチ味もあったのだが、味がくどそうなので試していない。

  1. 2010/10/15(金) 00:32:27|
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チベット仏教について - ダライ・ラマ「「死の謎」を説く」(1)

 玄侑宗久「死んだらどうなるの?」(3)の続きで、ダライ・ラマ「「死の謎」を説く」を読んでいる。

 チベット仏教はブッダの説いたもともとの仏教に近いというイメージがあるが、それ以外よく知らない。「死」に対しては以下のような見解である。

 たとえば、仏教のような宗教は、あるいはこれを宗教的伝統と呼んでもいいのだが、古代からのインドの宗教、哲学などと同様に、再生、転生の考え方を受け容れている。こうした宗教的伝統の立場に立てば、《死》はただの《この生命》の終わり、《現世》の終わりにすぎない。

ダライ・ラマ「「死の謎」を説く」(角川ソフィア文庫,2008)P.20

 そして死に対する恐怖も必要なく、むしろ「喜びに満たされる」ものらしい。

 したがって、この肉体、この特定の生命に属するこの具体的肉体にとって、死とは変化の時の到来を告げるのみである。古い着物を投げ捨て、新しい着物を身にまとうように、普遍的存在が古い肉体を捨て去り、あたらしい肉体に宿る節目である。

 であるならば、《死》に対する人間の対応は、恐怖とはまるで異なるものとなるはずだ。…(中略)…精神的な修養を積んだ者なら、死が現実に迫れば迫るほど、心は豊かに穏やかに、それでいて喜びに満たされるものなのだ。

ダライ・ラマ「「死の謎」を説く」(角川ソフィア文庫,2008)P.25-26

 面白いと思ったのが、いくつかの哲学的な質問に対する回答。禅問答みたいになるかと思ったら意外と素人にも分かるように真摯に答えている。

転生の思想を信じないが、死を恐れている人に対して
「死を思うな、考えるな。そして、現実に死が迫ったなら、酒でも飲み、残された時間を楽しめ。やがて人生と共に恐怖も終わる」(P.34-35)
自殺は許されるか
一般的に言って、仏教の世界観に照らしても自殺は悪しき行いであることに変わりはない(P.43-44)。ただし、中国当局に逮捕されたラマ僧がムチ打ちの刑を言い渡され、鞭打つ刑吏や拷問者に悪しきカルマを積ませないために瞑想によって自殺した例はある(P.46-47、中山要約)。
599人の生命を救うため、1人を殺すような場合
そんな場合、殺人はまったく例外的にではあっても不可避なものとなる。599人が殺されることを防げるなら、その生命を救うため、599人を殺す者が積む悪しきカルマを避けるため、一人を殺すことが絶対に悪だとは言い切れない。(P.51)
心中した男女は来世で共に生きられるか
答えは否である。…(中略)…ひじょうに多くの因子の集積が人の輪廻を決定する。人は生きることによって無数の異なった次元の行為を集積する。その行為の集積の中から、どの行為がより重大か、より意味を持つか、といった優先順位が問題となる。(P.62)
嘘は常に悪か
人はときとして、より大きな危険、よりひどい結末を回避するため、嘘をつくこともあれば、ある種の罠をしかけたりもする。…(中略)…これもまた宗教心の視点を用いれば、よき意図、動機に含まれると考えるべきである。(P.102)

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  1. 2010/10/14(木) 00:04:07|
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金の茶釜 - 奥多摩民話の会編「おくたまの昔話」第三集

 第一集から第三集までの間でひとつだけ神隠しの事例があったので、書き写す。

 「昔なぁ、あたみの向こう山の真光寺平にゃあ、立派なお寺さんがあったちゅう話だあ。そのお寺にゃあ信玄公が隠した金の茶釜がどこかに埋めてあるっちゅうことだぁ」

 河内村に住む与市という若者は、子供のころじいさまからこんな話を聞いていました。

 ある日、与市は檜原村まで荷物を運んで行きました。

 その帰り道、真光寺平を通るころには、あたりは夕闇につつまれ始めていました。

 ふと足を止めると、目の前に朱塗りの山門が見えます。

 ここはただの野っ原のはずです。もしかすると、じいさまから聞いたあのお寺ではないだろうかと、門の奥へこわごわ入っていくと、目の前に夕焼けに染まった立派な伽藍が見えてきました。驚いて立ちすくんでいると、

 どこから現れたのか年若い尼さんが、

「与市さん、何かご用ですか」

 と声をかけてきました。

 どぎまぎしている与市に、

「私はこの寺の者です。何も心配することはありません。いいことを教えましょうか。私は金の茶釜のありかを知っているのです。今夜は月夜でしょ。ゆっくり出直して、また、ここにいらっしゃい」

 と、にっこりほほえんで与市の肩をたたきました。

 与市はもう夢ごこちです。

呪文にでもかけられたかのように、与市は宙を飛ぶようにして家に帰りました。

「おっかあ、早く飯にしてくれ」

と、戸口に入るやいなや大声で叫びました。

 もう頭の中はあの若い尼さんのことでいっぱいです。

 ご飯を二、三杯かきこむと、

「おらあ、金の茶釜をめっけに真光寺平までちょっくら行ってくらー」

というが早いか、家の者が不思議がるのをよそに、夢中でかけて行ってしまいました。

 それっきり与市は帰ってきませんでした。

 家の者たちは、与市がいっていた真光寺平あたりをくまなくさがしてみましたが、草のおい茂る原っぱの中には与市の姿は見当たりませんでした。

(後略)

奥多摩民話の会編「おくたまの昔話」第三集(図書印刷株式会社,1990)P.48-51

 私は子供のときオカルトの本をよく読んだ時期がある。人体発火だとかドッペルゲンガーだとかラップ現象だとかツングースカ大爆発だとかである。大学生くらいのときにX51.ORGを読みふけったこともある。特に神隠しは興味がある一方、宇宙人だとかネッシーだとかにはあまり興味がない。「普段見ないものを見た」というより、「いなくなった」方が観測できない分、信ぴょう性が高いからだと自分では思う。とはいえ頭から信じるのではなく、事実として何があったのか、それがどのような伝聞を経て「神隠し」となったのかが面白い。

 神隠しの事例として世界的に有名な例としてはマリー・セレスト号やバミューダトライアングルが、日本では遠野物語の寒戸の婆などが有名である。

 神隠しはだいたい、本人の行いに失踪する理由がないことが多い。何か悪いことをしたからいなくなってしまった、という話はあまり聞かない。それよりどこかへ行ったまま帰ってこなかったり、目を離したらいなくなってしまったりという場合が多い。

 この「金の茶釜」も主人公の与市には何の落ち度もない。シュリーマンみたいな人だったら、飯も食わずに尼さんについて行ったのではないだろうか。折しも夕暮れ時は逢魔が時である。何か魔物に障られたのか、単にけつまずいて谷に落ちたのか分からないが、与市がどうなってしまったのか気になる話だ。

 また、この話では与市のいきさつを詳細に述べているのも気になる。この話がすべて本当であれば、与市は尼さんに会った話は家族にもごくさわりしか話さず、メシをかきこみ駆けて行ったに違いない。となれば、この与市の話は誰が語り継いだのか。ある程度はつくり話なのだろうが、実際にあった出来事がどういうことだったのか気になる。

  1. 2010/10/13(水) 23:59:20|
  2. 書評 - 民俗学
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お地蔵様に余計なことをするとバチが当たる話 - 奥多摩民話の会編「おくたまの昔話」第一集、第三集

 奥多摩民話の会編「おくたまの昔話」に、お地蔵様に余計なことをするとバチが当たる話が2つも載っていたので紹介する。

 1つ目、第一集収録「子どもと遊ぶ地蔵様」

 奥多摩駅の近くの山際に「ずばばの地蔵さま」があり、村の子どもがお地蔵さまを転がして遊んでいた。唐沢のひいじいさんが「ばち当たりが」としかりつけて、お地蔵さまを安置した。

 その晩じいさんは原因不明の熱を出した。法印さまにみてもらうと「地蔵さまは、せっかく子供たちと楽しく遊んでおったところを、じいさんに邪魔されたからだ」とのことだった。

 それからというもの「子どもが地蔵さまに、いくらさわったり、こらおがしたりしても、けっして、しかってはなんねえ」と代々言い伝えた。(P.48-51、中山要約)

 2つ目、第三集収録「腹立ち地蔵」

 青梅の柚木に中堂院という小さなお寺があり、そこにお地蔵さんがまつられていた。祭りの前日、準備をしていた村の衆が、前年酔っ払った勢いで地蔵さんにけつまずいて転ばしたことを思い出し、祭りが終わるまですみっこに移ってもらった。

 ところがその晩、お地蔵さんを運んだ男は汗をびっしょりかいてうなされ続けた。お地蔵さんを元のところに戻すと男の熱はケロリと下がり、祭りに出かけていった。(P.20-25、中山要約)

 どちらも親切心から行ったことだが、地蔵さまはあまり気に食わないようだ。地蔵さまを見かけても手を合わせるだけにしておいたほうがよさそうだ。難しい。

  1. 2010/10/12(火) 00:10:31|
  2. 書評 - 民俗学
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東工大入試前期88年の問題を解いた

 110818追記:コメント書き込みを参考に問題が解けたのでその解答例を下記エントリに上げた。


 東工大入試前期88年の問題が解けないの続き。

 そのあと少し考えてみた。はさみうちできる関数を思いついたので解答としてまとめてみた。ただし、aan<(an)!の証明はかなりうさんくさい。

nyuushi88_2_1.png nyuushi88_2_2.png

 もとのtexソース、dviファイル、pdfファイルは以下のアドレスにおいた。

texソース
http://nakayamayu.web.fc2.com/math/nyuushi88_2/nyuushi88_2.tex
dviファイル
http://nakayamayu.web.fc2.com/math/nyuushi88_2/nyuushi88_2.dvi
pdfファイル
http://nakayamayu.web.fc2.com/math/nyuushi88_2/nyuushi88_2.pdf
  1. 2010/10/11(月) 17:29:45|
  2. 科学全般
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野反湖から稲包山までの県境縦走の汚れがひどい

 野反湖から稲包山まで県境縦走してきたの後始末。

 今日は午前中雨だったので、昼まで寝てそれから後始末を始めた。

 衣類のうち、特に汚れている靴下、軍手、ジャージ下、シャツは水にさらしてから、いったん脱水、そのあと洗濯機にかけた。ザックは空の湯船で洗剤使って踏み洗い。

 ヤブのあとは葉っぱやら木の枝やらいろんなものが出てきて、よくこんな汚れを背負って帰ってきたなと思う。1泊2日しかしてないんだけどなあ。

101010yogore1.jpg

↑ザックからコメツガの葉っぱみたいなのがたくさん出てきた。

101010yogore2.jpg

↑靴下と軍手を水にさらすとたちまち真っ黒な汚れが出てきた(左バケツ)。


 101011追記:雨の中の下りで股ずれができてしまった。また、両膝が何かにかぶれたのか、毛穴に膿ができすり傷のように痛い。体にはだいぶ負担をかけたようだ。

2010年秋 - 上信越・野反湖~稲包山
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2010/10shirasuna/
  1. 2010/10/10(日) 15:01:25|
  2. 登ってきた
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野反湖から稲包山まで県境縦走してきた

 野反湖から稲包山までの県境縦走をしてきた。

 天気は8日くもりのちガス、9日雨と悪いコンディションながら予定の9割がたをこなすことができた。

 2日目は雨のヤブ漕ぎのため上下グッショリで、体を冷やさぬよう極力休まず歩いた。誤って下山した苗場で風呂に入れてよかった。

 予定では稲包山から三国峠へ抜けるはずだったが、稲包山北の送電線塔から巡視路に迷い込んでしまい、苗場スキー場へ下山した。三坂峠から登山道に出て安心したのと、法師温泉16:30発のバスに間に合うために急いでいたのとで道を誤ったようだ。

 歩けなかった稲包山~三国峠は登山道もついているし、日を改めて歩くことにしよう。

10shirasuna_069.jpg

↑上ノ倉山の山頂にツェルトを張った

10shirasuna_089.jpg

↑雨でカメラも濡れた。セバトの頭東1766m標高点付近にて

2010年秋 - 上信越・野反湖~稲包山
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2010/10shirasuna/
  1. 2010/10/09(土) 22:32:19|
  2. 登ってきた
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北千住「大島ラーメン」

 黒澤明「生きる」を見たの関連。

 映画を観る前にラーメンで腹ごしらえをした。東京芸術センター前の大島ラーメンという店。

 伊豆七島の大島か、江東区の大島かと思ったら創業者の苗字が大島らしい。チェーン店らしく、そういえば道灌山通りでも見かけた気がする。

101006oojima-ramen1.jpg

↑大島ラーメンの外観

101006oojima-ramen2.jpg

↑しょうゆつけ麺2玉730円

 しょうゆつけ麺を頼む。麺の量によらず730円だったので、2玉を頼む。

 つけ麺にはめずらしく、麺は細麺。スープはいろんなものを煮込んでいるらしく、何とも言えない味がした。表現は悪いかもしれないが、残り物で作った焼き飯みたいな味。可もなく不可もなくという味だった。量は残さず食べてほどよく満腹になる程度であった。

  1. 2010/10/07(木) 00:00:33|
  2. ラーメン
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黒澤明「生きる」を見た

 北千住の東京芸術センターで黒澤明の映画「生きる」を見てきた。

101006ikiru.jpg

↑映画「生きる」の広告

 黒澤明監督の名前は知っているものの、映画は見たことがない。しかし、「生きる」はその題名と、公務員を題材にしていることから、一度は見てみたいと思っていた。北千住の東京芸術センターで上映していることを偶然知り、この機会に見てきた。有名な作品だとは思うのだが、250人ほど入る映画館で私を含めて10人しかいなかった。

101006ikiru2.jpg

↑映画「生きる」のパンフレット

 映画の物語自体はいたって平凡である。簡単に言えば「ハンコを押すだけだった市民課長が、死を目前にして市民の要望である下水路を公園に作り替えるために尽力する」話。主人公は「踊る大捜査線」の青島刑事のような熱血キャラではなく、不器用で人への説明も苦手な人間である。現代でリメイクしても興行収入はえられなさそうだ。

 しかし、面白かった。何が面白かったのかを考えてみると、それは題名に凝縮されていると思う。主人公は初めは何もしない人生、胃ガンが分かったあとはパチンコを初めとする享楽的な人生、最後に市民のために関係各所にかけあう建設的な人生と、3つの人生を送っている。私は享楽的な人生を送るのが自分にとって一番いいと思っているのだが、主人公はそれに満足しない。最後に精力的に公園建設に力を注ぎ、完成した公園のブランコで「命短し恋せよ乙女…」と歌いながらひとり死んでいく。

 映画では3番目の建設的な人生を善として締めくくっているが、題名は「3つの生き方を提示します。さてあなたはどうやって『生き』ますか」と観客に尋ねているようだ。私はそのように感じ、2番目の享楽的な人生がよいのかどうか悩ましく思う。考えさせる映画だと思った。

  1. 2010/10/06(水) 23:52:51|
  2. 宗教・哲学・心理学
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畑が耕された2010秋

 トウモロコシ畑に出現した水たまりのつづき。

 トウモロコシが刈られた後、3日の日曜日に耕運機で畑が耕されていた。

101005hatake1.jpg

↑耕された畑

101005hatake2.jpg

↑土は畑に向いてない固そうな粘土質に見えた

 トウモロコシはこんな環境で根を張って2m以上に丈を伸ばしていたのかと思うと驚きである。

  1. 2010/10/05(火) 22:27:53|
  2. 通勤途上にある畑
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東工大入試前期88年の問題が解けない

 110818追記:コメント書き込みを参考に問題が解けたのでその解答例を下記エントリに上げた。


 101011追記:問題が解けたかもしれないのでその解答例を下記エントリに上げた。


 東工大のアンサイクロペディアが異様に充実している。

 東京のいくつかの大学のHTMLファイルのサイズを調べてみたら以下のようになった。

大学HTMLのサイズ
東京大学128KB
一橋大学64KB
東京工業大学204KB
東京外国語大学48KB
東京芸術大学44KB
東京医科歯科大学記事がなかった
電気通信大学80KB
早稲田大学76KB
慶応義塾大学92KB

(Mac版Google Chrome 6.0.472.63で「ウェブページ、HTMLのみ」で保存、2010年10月3日中山調べ)

 記事がない大学もいくつかある中、東京工業大学が他の追随を寄せ付けず204KBもサイズがあった。総合大学で学部も多い東京大学ですら128KB、他は100KB以下である。めんどうだから上記以外の大学は調べていないが、日本トップレベルの記載量ではないだろうか。全然誇れないが。

 内容も「1 東工大の概要」の第1項「1.1 ゴミ箱」から始まり、最後が「12.4 よく間違えられる大学」とぶっ飛んでいるのか地味なのかバカなのかよく分からない。

 が、そんなおバカな記事の中に入試の数学の問題が短い例として、下記の問題が載っていた。

Tit-88-5.jpg

 頭の体操にちょっと解いてみるかと思ったら全然解けない。はさみうちの原理を使おうとしたが、はさみうちに適当な関数が思い浮かばない。直感的には27/16かと思うのだが、分からない。ちょっと悔しい。

nyuushi-graph.png

↑grapher.appの計算結果

nyuushi88_1.png nyuushi88_2.png nyuushi88_3.png

 もとのtexソース、dviファイル、pdfファイルは以下のアドレスにおいた。

texソース
http://nakayamayu.web.fc2.com/math/nyuushi88/nyuushi88.tex
dviファイル
http://nakayamayu.web.fc2.com/math/nyuushi88/nyuushi88.dvi
pdfファイル
http://nakayamayu.web.fc2.com/math/nyuushi88/nyuushi88.pdf
  1. 2010/10/05(火) 00:46:33|
  2. 科学全般
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ユングの死生観モデル - 玄侑宗久「死んだらどうなるの?」(3)

 いろは歌の死生観的解釈 - 玄侑宗久「死んだらどうなるの?」(2)のつづき。

 ユングは、「生は一つのエネルギー=過程である。原則として逆行できず、それゆえ一つの目標のほうに向けられている」とした上で、生そのものを一つの放物線にたとえる。そして生の真ん中(真昼=四十歳)以降では、いつでも「生とともに死ねる」者しか、真に生きているとはいえない、と言う。なぜなら、神秘な生の真昼の時刻に放物線の方向が逆になり、死が生まれるからだというのだ。つまり生の目的そのものが、いつしか上昇・展開・増大などではなく、死そのものになってくるからだ。

玄侑宗久「死んだらどうなるの?」(ちくまプリマー新書,2005)P.35

 私も「私の死生観 - 丸山圭三郎「言葉と無意識」(2)」で人生を放物線に例えているが、ユングも人生を放物線に例えていたのは知らなかった。ユングと私では同じ放物線といっても違うことを想像している気がするが、少々意外である。

101004shiseikan.png

↑「私の死生観 - 丸山圭三郎「言葉と無意識」(2)」で示した図をユング風味にしてみた。といっても頂点に「真昼」「40歳」を追加しただけ。

 その後、著者の意見が述べられている。

 ただ人生が変化そのものだと認識できるなら、その変化の最終形である死にスムースなランディングをすることは、もしかすると技術と思考の方向付けによって、可能ではないかと思うのだ。

玄侑宗久「死んだらどうなるの?」(ちくまプリマー新書,2005)P.36
101004shiseikan2.png

↑絵にするとこんな感じだろうか

 ソフトランディングというと上図みたいな感じと思う。たぶん、死を受容して死ぬということだと思う。

 あるいは、いろは歌の死生観的解釈によれば、「有為の奥山」を越えたところが死んだ先なので、下図で言う「生きている状態」と「死んでいる状態」が相転移のような関係なのかもしれない。水から熱を取り去ると氷になるように。

shiseikan.png

 誰も分からないことだし、誰かに説教するわけではないので、こういうことを考えてみるのは面白い。


死んだらどうなるの? (ちくまプリマー新書)死んだらどうなるの? (ちくまプリマー新書)
(2005/01)
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  1. 2010/10/04(月) 23:16:38|
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いろは歌の死生観的解釈 - 玄侑宗久「死んだらどうなるの?」(2)

 私は死に対するおそれがない - 玄侑宗久「死んだらどうなるの?」(1)のつづき。

 へんてこな死生観を持つ私だが、この本に載っていたいろは歌の解釈はよくわかる。

 色は匂へと散りぬるを 我か世たれそ常ならむ

 有為の奥山けふ越えて 浅き夢見し酔ひもせす

 ご存じ「いろは歌」、濁点はおぎなって読んでほしいが、これはじつは「夜叉説半偈やしゃせつはんげ」というお経を翻訳したものだ。

(中略)

 前半はこちら側から見た死。花の色が衰えていつしか散るように、あんなに元気だった人もやがて死ぬ。そのことをじつに綺麗に表現している。

 そして後半がじつは本人にとっての死の描写なのである。

 「有為の奥山」などという表現は原文にはない。これは「無為自然」という「ありのまま」の生き方を理想と考えたうえで、現実にはそんなことは無理で、人は自分勝手な価値観を正しいと信じ、その有為なる道を山に登るように進んでいくのだ、という考え方が示されている。

 そしてその有為の奥山を今日越えた、というのだから、つまり今日死んだということだ。しかも死んだ直後の、あるいは死につつある過程での、本人の気持ちが次に述べられているのである。

 死んでみると、なんだか全てがはっきりすっきり見える。そこから振り返ってこれまでの人生を見ると、まるで浅い夢、あるいは酔っ払っていたとさえ思える。だからこれからは、「浅い夢は見るまい、酔っぱらいもするまい」と宣言されているのである。

玄侑宗久「死んだらどうなるの?」(ちくまプリマー新書,2005)P.24-25

 いろは歌に何がしかの意味があるというのは、何かで読んだ気がするのだが、この本の解釈は明快だった。おかげで「色は匂へと散りぬるを」までしか覚えていなかったが、全部覚えられた。

 私もこのいろは歌の解釈には賛成である。死んだらどうなるのか分からないのだから、邯鄲の夢ならぬ、死んでみたら夢だったということもありうる。無為自然にしたがい何も恐れる必要はないと思う。


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私は死に対するおそれがない - 玄侑宗久「死んだらどうなるの?」(1)

 玄侑宗久「死んだらどうなるの?」(ちくまプリマー新書,2005)を読んでいる。

 冒頭の「はじめに」に「怖かった死のこと」という節がある。ここでは筆者が子どもの頃に抱いていた死に対する恐怖が述べられている。

 私は小学校二年くらいのとき、毎晩のように「自分が死ぬこと」を想って泣いていたことがある。

(中略)

 どんなふうに想ったのかというと、それが死そのものなのか、死後のイメージなのかはっきりしない。

(中略)

 はっきりしないというのは、浮かんでくる映像は明らかに死後の状況なのに、そこには自分の意識がはっきりと残っているのである。

玄侑宗久「死んだらどうなるの?」(ちくまプリマー新書,2005)P.9-10

 私はいままで死に対する恐怖というものを感じたことはない。

 山で一歩間違えれば死にそうになったことはある。雨の白毛門沢のツメで草付きを滑落したとき、六林班峠の南で道に迷ったとき、米子沢の上部のナメで滑り台をしたら止まらなくなったときなどなど。しかし、それらは「あっ」と発した声とともに「マズイ、ヤバイ」という意識が頭をかけめぐるだけで、死の観念はない。

 子どものときも恐怖を感じたことはない。

 私がこどもの頃、死んだらどうなるのか、どこへ行くのか不思議に思っていた。

私の死生観 - 丸山圭三郎「言葉と無意識」(2)

 死ぬことを不思議には思っていたが、恐怖はなかった。それは私自身の「平衡教」(詳しくは私の死生観 - 丸山圭三郎「言葉と無意識」(2)を参照)による。

 「平衡教」に基づくと、死後の世界と生まれる前の世界は同じである。生まれる前の世界を知っている人はあまりいない。母親の胎内にいたときの記憶を語る人や前世が有名人だったと語る人がいるが、それらは例外的である。

 そして生まれる前の世界が怖かったという人はいないし、そんな感情は生きているいま無意味である。生まれる前の世界を恐れるのが無意味であるのと同様、死後の世界を恐れるのは私にとって無意味なのだ。死んだらそれで終わりであり、どうすることもできないのだから、恐れることはない。

 痛みさえなければ、私はたった今、死んだとしても後悔はない。私の人生がそこで終わりになるだけで、特にやり残したこともないし、そもそも人生は死ぬまでの暇つぶしくらいに考えているので、悔いはない。

 だから、死を恐れるという感情が私にはよく分からない。読んでいる本のタイトル「死んだらどうなるの?」と矛盾するかもしれないが、死んだらどうなるのか、に対するいろんな人や宗教の回答は気になる。

 それがこの本を読んでいる理由である。


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  1. 2010/10/04(月) 00:08:31|
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川苔由来と奥多摩の似た地名 - 奥多摩民話の会編「おくたまの昔話」第二集

 おいらん淵 - 奥多摩民話の会編「おくたまの昔話」第二集のつづき。

 きょうもおなかをすかせて山女魚を取ろうと川に来た徳さんでしたが、さっぱり獲物はありません。しかたなく帰ろうとした時、大きな岩陰に山女魚の姿を見かけサッと手をのばしましたが、手にしたものは山女魚ではなく緑色の水苔のようなものでした。

(中略)

 その時、旅人が通りかかり、「山奥で海苔を見るとはめずらしい」というのです。そして紙のように平たくし、日に干し、パリパリに乾いたのを火にあぶって食べることを教えてくれました。

(中略)

 そんなわけで、名もなかったこのあたりが下川苔、ちょっと上流が上川苔とよばれるようになりました。

奥多摩民話の会編「おくたまの昔話」第二集(図書印刷株式会社,1988)P.53-55

大きな地図で見る

 「川苔(川乗)」という地名は奥多摩に2ヶ所ある。1つは日原川支流の「川乗谷」、その上流にある「川苔山」。もう1つは上の南秋川の「上川乗」「下川乗」である。

 どちらも上の昔話の通り、川苔が取れるからだろう。

 それを調べて気になったことがある。

 奥多摩には他にも同じあるいは似たような地名がいくつかある。

 例えば「丹波」。

 ほかにも「とずら・ことずら」。

 上の3つはいずれも多摩川のうち、氷川より上流である。小河内神社のあたりで「留浦行ってくる」と言ってもどれを指すのか分からないのではないか。そもそも「留浦」が読めない。また、字が異なるが南秋川の「事貫」も変わった地名で「小留浦」との関連が気になる。

 と、ここまで書いて思ったが、上の3つは奥多摩湖ができる際、集落が解散してそれぞれ奥多摩湖周辺に散ったのかもしれない。

  1. 2010/10/03(日) 21:33:04|
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PENTAX Optio W60で撮った写真が10,000枚を越えた

 2010年秋 - 上越・谷川岳西黒尾根の写真をMacBookに取り込むときに気がついた。

 SDHCカードの写真を格納するフォルダが2つに分かれていた。今回の山行で日にちをまたぐことはなかったし、日付を変えることもなかったし、電池を抜き差しすることもなかった。ファイルの整理をするのが面倒だなと思ってよく調べてみると、どうやらこのカメラで写真を10,000枚撮ったために新しいフォルダが作られたらしい。

101002pentax1.png

↑今まであった「100PENTX」と別に「101PENTX」フォルダができていた

101002pentax2.png

↑「100PENTX」フォルダの最後のファイル名は「IMG9999.JPG」

101002pentax3.png

↑「100PENTX」フォルダの最初のファイル名は「IMG0001.JPG」

 このカメラを買ったのは2年前のこと。完全防水ということもあって山で酷使してきた。しかし、最近レンズに付いた水がなかなか拭えずぼやけた画像しか撮れないことがあった。ドライな山ではいいが、沢登りでは不便である。

10nishiguro_24.jpg

2010年秋 - 上越・谷川岳西黒尾根の写真。レンズの左側が濡れてピンぼけしている。

 PENTAX Optio W60の説明書には以下のように書いてある。

 このカメラは、防水性能を高めるために、レンズ正面に保護ガラスを配置しています。保護ガラスが汚れていたり、水滴が付いていると、撮影した画像に影響を与えますので、保護ガラスは常にきれいな状態を保つようにしてください。

PENTAX デジタルカメラ Optio W60 使用説明書 P.5

 一方、件のカメラのレンズを見てみると何だか汚い。

101002optiow60.jpg

↑カメラのレンズには傷のようなものがついている。おそらく保護ガラスが部分的に剥がれているのだろう。

 もう減価償却したと思うし、そろそろ次のコンパクトカメラを買ってもいいかもしれない。

  1. 2010/10/03(日) 00:02:58|
  2. カメラ
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谷川岳西黒尾根を登ってきた

 谷川岳西黒尾根を登ってきた。

 1ヶ月ぶりの山だったが、足ならしにちょうどよかった。

 谷川岳はよく登っているが、数えてみたら8回目であった。

10nishiguro_08.jpg

↑色づき始めたガマズミ

10nishiguro_19.jpg

↑ラクダの背あたりでリンドウをたくさん見かけた

10nishiguro_42.jpg

↑混雑する谷川岳トマの耳

10nishiguro_53.jpg

↑ラクダの背で西黒尾根を振り返る

 帰り、上牧風和の湯から水上ICへ向かうとき、50mくらいおきに警察官が立っていてものものしかった。調べたらどうやら皇太子さまが来ていたようだ。

 群馬県を訪問中の皇太子さまは3日午前、県立森林公園「21世紀の森」(川場村、沼田市)で開催された全国育樹祭の式典に出席された。

育樹祭「森林保護の輪、未来へ」 皇太子さまがあいさつ - 47NEWS(よんななニュース)
2010年秋 - 上越・谷川岳西黒尾根
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2010/10nishiguro/
  1. 2010/10/02(土) 20:58:37|
  2. 登ってきた
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おいらん淵 - 奥多摩民話の会編「おくたまの昔話」第二集

 将門と七ツ石 - 奥多摩民話の会編「おくたまの昔話」第一集のつづき。

 第二集では私の知っている話が2つあった。1つは「おつねの泣き坂」である。「おつねの泣き坂」はそのまま地名として残っており、三頭山の北、ヌカザス尾根のヌカザス山と入小沢ノ峰の間にある滑りやすい急坂をさす。奥多摩町川野(深山橋と峰谷橋の間)から上野原市西原(西原峠下)までおつねが通ったことからその名がついている。

 もう1つはおいらん淵である。

08tabagawa_57.jpg

↑おいらん淵


大きな地図で見る

 おいらん淵は丹波川が一之瀬川と柳沢川に分かれる箇所にある深い淵のこと。武田家の黒川金山の閉山に伴い金山のありかを知る遊女の口封じのため、柳沢川の上に宴席を設け、宴会の最中に支えのツタを切って遊女たちを殺した逸話が残っている。

08tabagawa_65.jpg

↑おいらん淵の上の青梅街道にある看板

 そのせいかおいらん淵でGoogle検索するとやたら心霊スポットとしての紹介が目立つ。

 私は沢登りのルートとして丹波川本流を遡行したときにおいらん淵まで行ったが、幸い呪われたりすることはなかった。

 おいらん淵のあたりは人家がない。黒川金山は黒川谷を遡ったところにあり、かつては大菩薩側からも丹波側からもアプローチできたと考えられる。山しかない塩山側はともかく、丹波側は現在、丹波より上流に集落がない。その割に黒川山には大久保尾根、寺屋敷尾根、二番小屋尾根、滝沢尾根と名前のついた尾根が多い。特に「寺屋敷」「二番小屋」などは人が住んでいたことをうかがわせる名前である。

 話がまとまらないが、武田家の金山、黒川千軒、おいらん淵と歴史が感じられる場所は魅力的であり、近年の廃墟ブームにも通ずるものがあると思う。なお、黒川千軒の探検は下記に詳しい。


 101011追記:平野勝「多摩川をいく」にはおいらん淵の話を否定する地元の人が紹介されていた。

 だが、落合(山梨県塩山市)の曽根良一さん(60歳)は、「おいらん淵なんて、よそもんが勝手につけた名前。地元では昔っから銚子滝と言っている。二段になって落ちる滝の上のほうを徳利、下を盃に見立てたもんだ。遊女の恨みがこもるなんて言われているが、ここで死んだ者は一人もいないよ」と話す。

平野勝「多摩川をいく」(東京新聞出版局,2001)P.32

 一方では、丹波の上流、奥秋に「おいらん堂」というおいらんを埋葬して建てた小屋があるそうだ(同書、P.48)。どの辺までが本当かわからないね。


多摩川をいく多摩川をいく
(2001/05)
平野 勝

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  1. 2010/10/01(金) 00:00:17|
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