山ノ中ニ有リblog

登山とか、Macとか、日記とか

千葉市の新川勝田川の支流まとめ

 100912:千葉市下水道局「千葉市の河川」に基づき現在での呼称を追加。Google Mapの地図も修正。


より大きな地図で 新川勝田川の支流 を表示

 宮野木水のみちの源流は宮野木小学校の裏で「大正・昭和 東京周辺1万分1地形図集成 =京葉・京浜・多摩地区=」を図書館から借りてきたついでに、昔の地形図を見ながら勝田川の支流をまとめてみた。分水嶺のある水路・勝田川宇那谷排水路の範囲を拡大したと思えばよい。

 勝田川は印旛沼と東京湾を結ぶ印旛放水路の支流である。印旛放水路は大和田排水機場という水門があり、それより印旛沼側を新川、東京湾側を花見川と呼んでいる。勝田川はもともと新川の支流であったが、1966年に大和田排水機場ができてからは花見川に流れている。ただ勝田川は花見川の支流と言うにはまだ歴史が浅くてなじまないし、地形からいっても印旛沼方向に流れるのが自然だと私は思うので、新川勝田川と呼ぶ。

 公には以下のとおり。

 勝田川はその源を千葉市小深町地先に発し、北西市境を流下し、横戸町地先で印旛放水路に合流する流域面積20.24km2の河川です。

千葉市下水道局「千葉市の河川」(2003) P.19
勝田川
概要
昭和4年地形図における勝田川の呼称は下流側だけであり、花見川につながるところから宇那谷町の小深川・宇那谷川合流点までを勝田川と呼ぶ。ここでは小深川・宇那谷川と区別するため、この範囲を狭義の勝田川と定義する。
支流
勝田川の支流のうち大きなものは宇那谷谷、宇那谷川、小深川の3つの支流がある。
流域のようす
全線が開渠で、田んぼに囲まれている。
宇那谷谷(現・千種排水路)
概要
千葉市花見川区犢橋町の花見川消防署付近を源流とし、八千代市勝田の勝田集落付近で勝田川に合流する。
支流
支流として三角原清水井戸支流(仮称)がある。
流域のようす
下流部のこてはし台調整池までが開渠であり、それより上流は暗渠である。中流部でこてはし台の団地を通過するため、団地内では痕跡をほとんど見つけられない。それより上流も谷地形が緩く川の跡は明瞭でない。なお、こてはし台調整池はビオトープで国土交通大臣賞受賞を受賞している。
宇那谷川(現・宇那谷1号排水路)
概要
千葉市稲毛区長沼町の長沼交差点付近を源流とし、宇那谷町み春野団地で小深川と合流し勝田川となる。
支流
支流として宇那谷川宇那谷監的支流(仮称)、宇那谷川八号林支流(仮称)、宇那谷川八号林支流飲馬場支流(仮称)がある。
流域のようす
小深川合流点付近は工業団地に隣接し暗渠だが、その上流、長沼池までは田んぼの中の開渠となる。途中、宇那谷集落で宇那谷監的支流(仮称)、長沼池で八号林支流(仮称)を分ける。長沼池から上流は長沼原の住宅地、グラウンド、工業地帯を抜け長沼交差点付近に端を発するようだ。「千葉市の河川」によれば、現在では宇那谷調整池より下流を宇那谷1号排水路、上流を長沼排水路と呼ぶようだ。
小深川(現・宇那谷2号排水路)
概要
千葉市若葉区若松町の陸上自衛隊下志津駐屯地付近を源流とし、宇那谷町み春野団地で宇那谷川と合流し勝田川となる。「千葉市の河川」には勝田川はその源を千葉市小深町地先に発し、とあるので勝田川の本流である。
支流
支流として小深川上志津監的支流(仮称)佐倉市富士見丘谷地(斎藤氏命名?)、小深川四号林支流(仮称)、宇那谷川大日町支流(仮称)大日町谷地(斎藤氏命名?)、小深川飲馬場支流(仮称)がある。
流域のようす
鹿放五差路付近までは田んぼないし畑が多い。途中で東関東自動車道をくぐる。鹿放五差路付近からは住宅地の中を流れ、スーパーマーケット乃ぐちや山王店から上流が暗渠となる。暗渠のまま住宅地を抜け、陸上自衛隊下志津駐屯地付近でたどれなくなる。

 なお、千葉市が四街道市を食べているような形をしているのは西側を宇那谷川、東側を小深川が流れているためで、その低地が千葉市、挟まれた台地が四街道市となっている。たぶん水利権とかの問題なのだろう。千葉県はこのような谷地と台地で行政区を分けている例が多い。

 そもそも私が自転車で自宅周辺の川を探索するようになったのも、このような行政区境を不思議に思い、どうなっているのか自分の目で確かめてみようと思ったからでもある。


大きな地図で見る 千葉市(左)が四街道市(右)を食べるような形になっている

参考

  1. 2010/07/31(土) 21:35:23|
  2. 地図・県境・都市河川
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ACR WEBのページランキングのURLを記事タイトルに置換 その2

 前にACR WEBのページランキングのURLを記事タイトルに置換したが、それ以降500エントリほど追加したにもかかわらず、その更新を怠ってきた。ランキングにも何だかよく分からないURLばかり並ぶようになってしまったので、更新することにした。

 とはいえ、自分で言うのも何だが、前述の方法では面倒である。改めてうまい方法を探してみたら、以下のサイトが見つかった。

ACR WEBページランキングの置換設定を楽する - hatena chips
http://hatenachips.blog34.fc2.com/blog-entry-60.html

 前にも試した気がするが、うまくいかなかった気がする。今回もう一度試してみたら成功した。

100731ACRWEB-ranking1.png

↑defaultテンプレートを書き換え、http://nakayamayu.blog107.fc2.com/index.php?style2=default_ACRWEB&allにアクセスすると、テキストボックス内に目的のテキストを得た。

100731ACRWEB-ranking2.png

↑URLからタイトルへの変換を行ったあと

 URLよりエントリのタイトルのほうが見やすいですね。

  1. 2010/07/31(土) 13:17:56|
  2. blog/webpage
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

mi 2.1.10をインストールした

100730mi1.png

↑miについて

 使っていたテキストエディタmi 2.1.8bが起動しなくなったので、miの最新版2.1.10をダウンロードした。

100730mi2.png

↑インストールはドラッグアンドドロップと簡単

100730mi3.png

↑見た目としては検索窓がついたり、ソート欄がついたりした

100730mi4.png

↑ソート欄があって、文章を書くスペースが狭いと感じる場合は、表示メニューから「情報ペインカラム表示切替」を選択すれば、表示/非表示ができる。

  1. 2010/07/31(土) 00:02:50|
  2. コンピュータ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

デカルトによる神の存在証明2 - 野田又夫「デカルト」(5)

 以下のエントリの関連。

 デカルトは神の存在証明を3つの方法で行っている。

  1. 不完全なわれに「完全」の観念があるから
  2. 「われ」の存在は独立でなく依存的で、結局神につくられたものだから(p.118
  3. 神は完全であるがゆえに存在するから(p.120

 1番目は先のエントリ「デカルトによる神の存在証明1 - 野田又夫「デカルト」(4)」を見てもらうとして、3番目の「存在論的証明」p.120)は論理的にマズいと思ったので紹介する。

 それは、神が最も完全なものすなわち最も実在的なものであるから、その定義により、言いかえればその本質により、当然現実に存在する、というのである。神の持つ完全性(実在性)の中には、単に「観念として存在する」ことのみならず、「現実に存在する」ことも含まれていて、もし神が現存しなければ、神の本質に矛盾することになる、という。

野田又夫「デカルト」(岩波新書,1996)P. 120

 つまり、の定義を「実在する」と規定するから、実在するということだろうか。それってトートロジーになっていて「実在するものは実在する」という、いわば「AA」という、ごく当たり前のことしか言っていない気がする。

 衒学的にいえば、インド哲学では「AA」と考える哲学者もいた。例えばナーガールジュナのいう「空仮中の三諦」がある。すべては空であり、それを悟ったとき、すべては仮となるが、実際には非有非無の中であるという考えである(たぶん)。

 しかし上の記述はそういうものごとの非論理性を述べたものではなく、あくまで神を存在論的に証明するという論理的手続きにもとづいた記述だと思う。となると、論理が破綻しているように思うのだが、どうだろうか。

参考

  1. 2010/07/30(金) 23:31:34|
  2. 書評 - 哲学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

背丈ほどに伸びたトウモロコシ

 畑に植えられたトウモロコシの続き。

100729toumorokoshi1.jpg

↑畑全体

100729toumorokoshi2.jpg

↑私の背丈ほどに伸びたトウモロコシ

 私の背丈が175cmくらいだが、もう同じかそれ以上にトウモロコシの背丈が伸びている。でもまだ実は見えない。

  1. 2010/07/29(木) 21:34:34|
  2. 通勤途上にある畑
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

Twitterを騙ったジャンクメールが届いた

 最近、携帯電話にこんなジャンクメールが届いた。

TWITTEERで初めよう!ここから始まる出会い特集♪

掲示板やメッセージ機能など多彩なコンテンツで貴方の出会いをしっかりサポート!!
希望の出会いを掲示板にのせ、最高のパートナーを見つけよう♪

http://a9k4hsjqgi.biz/m1/

今最も注目されているコミュニティ♪
使い方も安心・簡単で誰でもご利用になれます!!

http://a9k4hsjqgi.biz/m1/
↑↑↑↑↑↑↑↑
もちろん男女とも完全無料!!

 たぶん、Twitterと勘違いしてくれることを狙ってTWITTEERって書いているのだと思う。

 でもTwitterやっている人はスペルの違いでにせものだと気づくだろうし、知らない人はそもそもTwitterが何なのかよく分からないので手を出しにくいと思う。

 私はTwitterの使い方どころか見方すらよく分からないので、使ったことはない。上みたいなジャンクメールに手を出す気も起きない。

 もう「完全無料」っていう言葉がジャンクメールとか、いかがわしいサイトとかでしか見ない死語だよね。

  1. 2010/07/29(木) 00:21:08|
  2. コンピュータ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

訳あり品は本当に訳あり品か疑問である

 AMラジオを聞いているとラジオでの商品の販売を行っていることがある。明太子、われせんべい、ローヤルゼリー、ひげ剃りなどなど。

 ラジオだと音だけでサイズも色も分からないのだが、それでも買う人がいるからラジオで宣伝しているのだろう。買い物に慎重な私からすれば驚くべき話である。

 ところで最近、高級品の製造過程で生じた「味は同じだけど訳あって安い品」というのがよく売られている気がする。上記の明太子、われせんべいが相当する。

 昔はそんな商品あまりなかった気がするのだが、最近は収率が悪いのだろうか。それとも製品の検査基準が高くなっているのだろうか。なんとなく「この商品は安くてお買い得ですよ」と売らせるための常套文句になっているような気がしなくもない。ただの商品に「訳あり品」と書けば消費者が買うようになるという戦略ではないだろうかと邪推する。閉店セールを何度も行い、客を集めるのと同じである。

 もっとも物欲のない私には関係のないことだ。

  1. 2010/07/27(火) 00:38:28|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

エアコンが強制的に付けられた

100726conditioner.jpg

↑付けられたエアコン

 ここのところ、連日最高気温が30℃を越え、日本各地で35℃以上の猛暑日を記録している。

 それを危惧してか、私の部屋に強制的にエアコンが付けられてしまった。

 でも、世田谷での2年間のひとり暮らしでも夏冬通じてエアコンは1回も使わなかったので、たぶん使わないと思う。

 とはいえ、昨今の猛暑の傾向からすると、あと10年くらいで最高気温がさらに3℃くらい上がるかもしれないし、そうなったらエアコンつけないなんて言ってらんないかもしれないから、あるにこしたことはないか。

  1. 2010/07/27(火) 00:01:22|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

奥秩父ブドウ沢でのヘリ墜落事故

 奥秩父滝川ブドウ沢で救助中のヘリが墜落、救助にあたっていた7人のうち5人が亡くなったそうだ。

 私はブドウ沢は行ったことがない。しかし、滝川水晶谷は行ったことがある。ブドウ沢の出合はつるつるの岩のトラバースで残置してあるロープにつかまりながら右岸をトラバースする。少々難しいところだ。

06suishou_083.jpg

↑滝川ブドウ沢出合付近。滝の横をロープを伝って登る。

06suishou_084.jpg

↑滝川ブドウ沢出合付近。滝川本流は右へ続くが、奥に見える左からの流れがブドウ沢。

06suishou_085.jpg

↑滝川ブドウ沢出合。ブドウ沢は2mほどの滝をかけて滝川に落ちている。

 滝川のブドウ沢出合であれば、おそらく釣橋小屋まで戻り、山道を出会いの丘まで戻るのが早い。戻らずに尾根に上がって救助を求めたのは、おそらく事故が起きたのがブドウ沢に入ってからだったのだろう。

 ブドウ沢で事故が起きたとなると、車道からは遠いので下から歩いていくよりは、ヘリからホイストで負傷者を吊り上げるのが手っ取り早いだろう。救助方法にヘリを使うのは正しいと思う。

 NHKニュースでは当日の現場付近では大気が不安定となり、レーダー画像で近くで雨が観測されていたと報じていた。しかし、大気が不安定で予期しない突風が吹くことがわかったとして、どのように事故を予防できたのだろう。素人には想像もつかない。責を問われるとしても誰に落ち度があるのだろう。

 それは国交省の事故調で明らかになると思うが、難しい問題だと思う。


大きな地図で見る

関連。

  1. 2010/07/26(月) 00:11:00|
  2. 登山
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

宮野木水のみちの源流は宮野木小学校の裏

 先に結論:宮野木水のみちの源流は宮野木小学校の裏

 宮野木水のみち(旧・草野都市下水路宮野木支線)宮野木水のみち源頭・千葉市花見川・稲毛土木事務所付近の谷のつづき。

 前回までのあらすじ:宮野木水のみちという都市下水路の源流は宮野木JCT近くの千葉市花見川・稲毛土木事務所あたりじゃないでしょうか。

miyanogi25000_1.png

↑いままでに分かっていた宮野木水のみちの源流

 上図がいままでに私が実地調査で分かっていた宮野木水のみちの源流である。地形図上の青い線でたどれる流れと、私が探索した水色の線の流れがある。

 と思っていたら、宮野木水のみち(旧・草野都市下水路宮野木支線)に「らいちこっく」なる人からもっと上流があるのではないかというコメントが書き込まれた。

お世話になります。 
以前宮野木町・小学校に通っていたものです。 
いぜんよりこの源流はどこなのか気になっていました。 

私の予想では、 
いまの宮野木小学校の裏(千葉北高校の間)はプラウドの住宅デベロッパーによって、埋め立てられてしまいましたが、 
昔は深い谷津で水田が広がっていました。 
そこが源流ではないかと考えています。

 私も宮野木に住んでいたことがあるけど、それは幼稚園に上がる前(3歳まで、1984年ごろ)だし、そのときの記憶というとタワラヤでアイスクリーム食って喜んだ記憶ぐらいしかない。

 現地を見てももう流れらしきものもない。

 そうなると源流探索マニアとしては、古い地図をあたるしかない。

 で調べてみた。

 このあたりに相当する古い地図を図書館で探してきた。

miyanogiS4.png

↑古い地図でたどる宮野木水のみちの源流

 図書館で借りてきたのは「大正・昭和 東京周辺1万分1地形図集成 =京葉・京浜・多摩地区=」(柏書房,1984)である。ちなみにA1くらいあってデカくて重い。

 このうちの「検見川」(昭和3年測図)、「六方野原」(昭和4年修正測図)から作成した。これによるとたくさん谷地が刻まれているが、もっとも長いものをたどると青い線で示された流れになろう。ちなみに南北に刻まれているのは千葉と習志野を結んでいた軍用鉄道。

 で、地形図と古い地図を重ねてみた。

miyanogi-kasane.png

↑地形図と古い地図を重ねた図

 軍用鉄道が広尾十字路から千葉市花見川・稲毛土木事務所前の道、及び京葉道路に転用されていると仮定した。また花見川区・稲毛区境の道は線形がほぼ変わらないため、今も昔も同じ道路と仮定し、重ねた。

 何だかよく分からないという人のために、Mouseoverで切り替わる図を作成した。

miyanogi25000_2.png

↑マウスを重ねると古い地図。マウスを重ねないと現在の地形図。

 これによると、源流は千葉市花見川・稲毛土木事務所から今でも残る溜め池を通り、右へ右へ円を描くように伸び、宮野木小学校に達している。その先は長沼KHハイツのあたりが谷としては終点のようだ。

 確かに宮野木小学校は道路から低いところにある。そう考えてみると地形図にも谷地の両岸の崖下に道が見える。これも谷地によくある特徴だ(例えば勝田川下横戸集落付近)。

 というわけで結論は「宮野木水のみちの源流は宮野木小学校の裏」である。

 しかし、究極的には源流って古い地図持って探さないと見つけるのは不可能な気がする。現地見るだけでは流れが途切れるととたんに難しくなる。私には無理。誰かハンディな千葉の古地図を出してくれないだろうか。


大正・昭和東京周辺1万分1地形図集成―京葉・京浜・多摩地区 (1984年)大正・昭和東京周辺1万分1地形図集成―京葉・京浜・多摩地区 (1984年)
(1984/04)
不明

商品詳細を見る

 101113:現場探索しました。→宮野木水のみちの源頭・宮野木小学校付近探索

  1. 2010/07/25(日) 22:58:15|
  2. 地図・県境・都市河川
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「存在する」の自分なりの定義

 私が宗教・哲学に興味を持った理由いかに生きるか - 野田又夫「デカルト」(2)で、「存在とは何か」とか「そのうち私の思索もブログに書こうと思う」と書いたわりに、「存在する」の自分なりの定義を書いていなかったので、このへんで書いておこう。ちょうど、私が大学1年のときに書いた手書きのメモがあるので書き写してみよう。

2000 12/4 存在のこと

「存在」とは何か。何だかよく分からないが「ただそこにある」ならばそれは存在するのか?始めから考えてみる。ここから「存在」とはこの議題となっているものでまだはっきりとは分からないもの、「いる、ある」とは漠然とした意味とする。

 もし仮に「彼には大きな存在感があった」という言葉があったとしよう。この言葉は「彼の大きな存在感が感じられた」と同義である。「感じる」のは誰か。「感じる」のはそれを述べた人だ。それを述べた人の視点から「存在が感じられた」のだ。もしかすると場に居合わせた他の人はそうは思っていないかもしれない。そう考えると「存在を感じる」とは甚だ主観によるものと考えざるを得ない。

 「存在を否定する」という言葉がある。これはある観測者が何かの存在を見つけられなかったとき断定する言葉である。即ち「何か」の証拠、特徴を見いだせなかったということである。良く考えてみるとこれはその存在如何に関わらない。「ある観測者」がそう言ったのであって観測者の手落ちかもしれない。その方法では見つけられないのかもしれない。「存在する」とは観測者によって「する」とも「しない」ともなりうるのだ。結論づけて言うと「存在する」とは「観測されること」であり、それは観測者の主観によるもので他の観測者なら観測できるかどうかは別なのだ。

 ここで17世紀のどこかの哲学者は存在とは知覚されることであるといったらしいことを知ったことを述べる。これはまさに的を射た表現だと思うし、正解に辿りついたと確信した。

(後略)

 この「17世紀のどこかの哲学者」とはバークリーのようだ。バークリーは18世紀の哲学者だが、「存在することは知覚されることである」という言葉を残している。

 要は知覚されるものしか存在しないのである。この文章のあとでブラックホールの例があるが、ブラックホールは光すら吸い込むため、ブラックホールから発せられる光は知覚できない。したがってブラックホールは存在しない。しかしブラックホールの近くに観測できるガスがあれば、そのガスがブラックホールに吸い込まれるようすを見てブラックホールの存在を観測することができる。観測できれば存在する。

cat-existence.png

 ただし記憶にあってたった今はないもの、例えばいまあげた自転車や太陽は存在するかというと、これは世界五分前仮説もからんでくるので、これは考えないことにする。

 私が知っている人は存在するが、私の知らない人は存在しない。この考えを他の人たちにも適用すると下の図のようになる。

existence.png

 このあと私の思索は「生きるとは」に移り、生きるとは存在すること、多くの人に知覚されることと考えたが、いまはそう考えていない。思索の流れから当初はそのように考えたのだが、その後、生きるとは自分で自分を知覚できればそれで生きていると言えると考えたからだ。

  1. 2010/07/25(日) 00:36:53|
  2. 宗教・哲学・心理学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

デカルトによる神の存在証明 - 野田又夫「デカルト」(4)

 以下のエントリの関連。

 以前、なだいなだ「権威と権力」の書評で神はいるかいないか、ではなく、要るか要らないかである - なだいなだ「権威と権力」(2)と書いたら、一般法則論者という方に、

 神の存在証明の正しい仕方をしりません、なだ氏もあなたもね。

神はいるかいないか、ではなく、要るか要らないかである - なだいなだ「権威と権力」(2) コメント欄

 と痛烈に批判されてしまった。

 残念ながら一般法則論者氏の言うことは私の足りないオツムでは理解できなかったのだが、そもそも私は神はいてもいなくてもよい神はいるかいないか、ではなく、要るか要らないかである - なだいなだ「権威と権力」(2))というスタンスなので、あんまり真面目に理解しようとも思わなかった。

 で、表題のデカルトの意見。

 さてそういう神がただ考えられるというのでなく現実に存在するということはどうしていえるのか。デカルトが神の存在の証明として示したものは『方法序説』の中にも3つあります。…

野田又夫「デカルト」(岩波新書,1996)P. 94

 とはじまっているが、長いので私なりに要約してみた。

  1. 私は無知である。
  2. したがって私は不完全である。
  3. しかし不完全な私は、なぜ自らが不完全であるとわかるのか。
  4. 私には完全性の観念があるからである。
  5. 観念は以下の3つに大別できる。
    1. 感覚を介して外から与えられた観念、たとえば太陽の観念
    2. 我々が作り出した観念、たとえば獅子の頭と羊の胴をもつ怪獣の観念
    3. 我々の精神に生まれつきそなわっている観念、「存在」とか「心理」とか
  6. 感覚は常に正しいとは限らない、例えば夢の中でのできごとなど。したがって神の完全性に反する。
  7. 我々が作り出した観念は想像をやめたとたん、有限となり、神の無限性に反する。
  8. したがって、われわれの中にある神の観念は、3番目の生得の観念である。
  9. ではその神の観念は不完全な私にどのようにして与えられたのか。
  10. それは私の外に完全なもの、すなわち神が存在するためである。
野田又夫「デカルト」(岩波新書,1996)P. 116-118より中山が要約

 4から9まではすっ飛ばせるような気がしなくもないが、デカルトの主張としては観念の論は必要なようだ。

 神はいてもいなくてもよい論者としては、「不完全な存在であっても、完全の概念を持っていてもよい」と思う。例えば真善美といった観念は人間が追い求めてなお得られないものであるが、その観念におけるよいか悪いかの判定は究極的には個別的な判断に委ねられる思う。

 つまり普遍的な完全性などない。例えばゴッホの絵にウン億円の値がついたとして万人が「この絵はウン億円の価値があるね」と認めるかというと、そうとは限らないと思う。

 完全性の観念は各個人の目標であって、目標であれば「人類初の月面着陸」なんてことと同じである。目標は観念の2番目の「我々が作り出した観念」である。完全でなくとも完全性の観念を持ったってよいではないか。

 と思うけど、神学者に聞けば、神は君の考えているようなものではない、もっと完全で我々も想像のつかないようなものだから完全なのだ、と返事がくるのだろう。たぶん。


デカルト (岩波新書 青版 602)デカルト (岩波新書 青版 602)
(1966/07)
野田 又夫

商品詳細を見る
  1. 2010/07/25(日) 00:32:48|
  2. 書評 - 哲学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

神の自由意志は数学や論理学の法則に従うか - 野田又夫「デカルト」(3)

 以下のエントリの関連。

 かつて「神の自由意志は数学や論理学の法則に従うか」という神学上の議論があったようだ。

 数学的真理が神の自由意志から独立であって、その心理は髪にとってもどうにもならぬ必然性をもつと考えるなら,神の自由意志は数学や論理学の法則によりしばられることになるが、これはギリシャの神々が運命の支配下にあったように、キリスト教の神もまた必然性の支配をうける、と考えることになり、不都合である、というのであります。

野田又夫「デカルト」(岩波新書,1996)P. 94

 つまり背理法で示すと以下のようになる。

  1. 神は完全である。
  2. 「神の自由意志は数学や論理学の法則に従う」と仮定する。
  3. 2は1に反する。
  4. したがって、神の自由意志は数学や論理学の法則に従わず、法則を自由にすることができた。
  5. つまり、神は1+1=2とすることも、1+1=3とすることもできた。

 というロジックである。

 科学者のスタンスとしてこの世の現象に隠れた法則を明らかにする、という目的があると思うのだが、神様に「熱力学第二法則無視して永久機関を考えたんだけど、人間がらくしそうだからやめたわ」とか言われたら、科学者としてはがっかりな気がする。

 神学者というのは、人間の定義した神について議論するなんて面白いことをやると思う。

 ちなみにこの考えはオッカムの神学などに近いそうだ。

 これは、14世紀のオッカムの神学、宗教改革者の神学につながり、デカルトの同時代ではジャンセニウス派に親しい考えであります。

野田又夫「デカルト」(岩波新書,1996)P. 94

デカルト (岩波新書 青版 602)デカルト (岩波新書 青版 602)
(1966/07)
野田 又夫

商品詳細を見る
  1. 2010/07/24(土) 23:32:44|
  2. 書評 - 哲学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

13時間半寝た

 13時間半寝てしまった。

 昨日家に帰るときからすでに眠く、電車の中で右隣りに座った人にだいぶ迷惑をかけてしまった。

 晩飯食い終わって、まだ眠いので風呂も入らず20時頃に就寝。暑いけど、眠気が勝った。

 そのまま朝までぐっすり。

 朝8時半頃に起きるが、寝起きの悪さについて他の追随を許さない私はもうひと眠り。起きたら9時半。結局13時間半寝てしまった。

 もっとも私にとって睡眠は快楽の1つなので、後悔はない。社会人としてはアレだが。

 人生最長の睡眠時間は本仁田山に登ったあとの18時間

 見た夢は何人かと林間学校みたいな施設で何かを探して各部屋を開けていく夢。なぜか建物内にコンビニが3軒あった気がする。誰とだったか、何を探していたのかは覚えていない。

  1. 2010/07/24(土) 13:56:47|
  2. 健康
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

京成線日暮里駅の電光掲示板に経由欄があった

 2010年7月17日ダイヤ改正以降の都営浅草線路線図京成電鉄の2010年7月17日ダイヤ改正の準備の関連。

 7月17日のダイヤ改正以来、はじめて日暮里駅で京成線に乗車した。

 成田空港まで既存の京成本線と新規の成田スカイアクセス線と複数の経路がとれるため、電光掲示板には「経由」という欄が追加されていた。

100722nippori1.jpg

↑京成日暮里駅の列車電光掲示板。左端の経由欄に「京成本線」、行き先欄に「船橋経由」の文字が見える。

100722nippori2.jpg

↑英語の表示。京成本線は「Keisei Main Line」らしい。

 うーん、路線図と同じで分かりにくい。

  1. 2010/07/23(金) 00:13:45|
  2. 鉄道
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

大岡山「ラーメン凌駕」

100722ryouga.jpg

↑凌駕のつけ麺かつお750円

 大岡山「四川屋台」のあと、飲み会やって、そのまま部室で一晩過ごしてしまった。11時まで寝て、朝飯兼昼飯としてまたラーメンを食べに行った。

 行ったのは大岡山の凌駕。そういえばなぜか四川屋台にもポスターが貼ってあった。同じラーメン店で競合するけど志はいっしょということだろうか。

 食べたのはつけ麺かつお750円。極太麺でゆで上がるのに10分くらいかかった。「かつお」の名の通り、かなり強いかつお節の味がする。スープはしょっぱめでつけ麺を食べながらスープを少しずつすくって飲むとうまい。

 店内は狭く、店を出る11時半ごろには10席弱が満席となっていた。

  1. 2010/07/23(金) 00:06:31|
  2. ラーメン
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

大岡山「四川屋台」

100721shisen.jpg

↑四川屋台の汁なし坦々麺490円

 昨日、スウェーデンの留学から帰ってきた後輩の帰国祝いに大学の部室まで行った。

 久しぶりに大岡山まで来たので、大学の校門の前にあり東工大生なら知らぬものはいない四川に坦々麺を食べに入った。その後で飲み会があるので、軽そうな汁なし坦々麺を頼む。490円と値段も手頃だ。私が在学していたときはこんなメニューはなかった気がする。

 安いから量も少ないかと思ったらそこそこの量があった。汁のある普通の坦々麺ほどの辛味はないが、なかなかおいしい。暑い夏は食べやすいと思う。

  1. 2010/07/22(木) 23:57:11|
  2. ラーメン
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

夕暮れが美しかった

100720sunset1.jpg

↑勝田台駅で見た夕焼け

100720sunset2.jpg

↑バス停近くの墓地で見た夕焼け

 今日は夕焼けがきれいだった。

 夕焼けの日を遮る雲があったようで、墓地の観音様に後光がさしたようだった。

 枕草子によれば「夏は夜」だが、夕焼けが美しい季節でもあるとおもう。

  1. 2010/07/21(水) 00:02:56|
  2. 千葉
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

シレイ沢の砂金のようなもの

 一之瀬川流域の金山竜喰谷・将監峠の金山の関連。

10shirei_028.jpg

↑シレイ沢で見た砂金のように見えるもの

 南ア・野呂川シレイ沢でも砂金のようなものを見かけた。

 でも市川さんの話だと雲母かもしれないとのこと。剥離した雲母が金色に見えることがあるそうだ。でも石英のあるところに金があることもあり、鳳凰三山は石英を含む花崗岩でできているので金があってもおかしくない。

 金かもしれないし、金でないかもしれないくらいが、ちょうどわくわくしていいのかもしれない。

  1. 2010/07/20(火) 20:41:23|
  2. 登山
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

南ア・野呂川シレイ沢に登ってきた

10shirei_197.jpg

↑観音岳山頂にて地蔵ヶ岳を背景に私

 南アルプスのシレイ沢に登ってきた。

 滝の多い沢で、滝しかないという印象だ。ただどの滝も直登できるか明瞭な巻き道があるのでザイルは出さずにすんだ。水量も多く楽しかった。

 帰りは鳳凰三山の稜線に出た後、地蔵ヶ岳を往復、薬師岳を経て苺平から大ナジカ峠へ下り、そこで幕営。翌日、千頭星山から甘利山に下山した。下りで両足の親指の爪がはがれかけてしまい、歩いているときは大丈夫だったが、今痛い。

10shirei_095.jpg

↑シレイ沢30m白い滝。右からの巻きにてこずる。

10shirei_147.jpg

↑2260m付近に幕営

2010年夏 - 南ア・野呂川白井沢
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2010/10shirei/
  1. 2010/07/19(月) 20:25:23|
  2. 登ってきた
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

いかに生きるか - 野田又夫「デカルト」(2)

 デカルトとバラ十字会 - 野田又夫「デカルト」(1)の関連。

 いかに生きるかを考えた哲学者は多い。

 もっとも有名なのはカントの「なんじの意志の格率がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」であろう。

 デカルトもまた道徳を模索したが、その過程で「仮の道徳」を決めている。「仮の」というのは以下の説明による。

 学問的認識にもとづいた決定的な道徳にいたろうとするとき、そういう理論的吟味をしている間でも、自分はやはり生きなければならず、よく生きようと努めなければならない。そこで決定的道徳にいたらぬ暫定的道徳、仮りの道徳方針を定める必要があるという。

野田又夫「デカルト」(岩波新書,1996)P. 80

 で、具体的な格率は以下の3つで構成される。

第一の格率
自国の法律と習慣に従い、幼時から教えこまれた宗教をもち、自分の属する社会の人々の最も中庸を得た意見に従うこと
第二の格率
「私の行動において、できるかぎりしっかりした、またきっぱりした態度をとること」であり、「いかに疑わしい意見にでも、いったんそれをとると決心した場合は、それがきわめて確実なものである場合と同様に、変らぬ態度でそれに従いつづけること」
第三の格率
つねに運命によりもむしろ自己にうちかつことにつとめ、世界の秩序よりはむしろ自分の欲望を変えようとつとめること

 私も「存在するとはどういうことか」の次に「生きるとは何か」「よく生きるには」と考えたことがあるが、「存在するとはどういうことか」に比べて大して思索しなかった。

 「生きるとは何か」は自分で自分を観測して生きていると認識することだと思うし、「よく生きるには」自分の価値観に従い、自分がよいと思う生き方をするのがよいと考えたからだ。よい・悪いの判断は他人にどう言われようと本人にしかできないと思うので、「よく生きる」といっても個別的だし、個別的に判断すると享楽的に生きるのがよいということになる。たとえストイックに生きるとしても、本人がストイックが生活がよいと判断して、ストイックに生活しているならば、それは広義のエピキュリアンである。私はそれで結論を得たので、私の哲学はそこで止まった。

 要は他人にどう言われようと、自分がよく生きたと思えるなら、それでよしということ。

 考えてみると他人に対して図太く接するようになってきたのはそのころかもしれない。

  1. 2010/07/16(金) 00:00:33|
  2. 書評 - 哲学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

畑に植えられたトウモロコシ

 牧草地に何かが植えられていたのつづき。

 ぐんぐん植えられた植物が伸びてきた。どうやらトウモロコシのたぐいのようだ。

 まだ背丈は50cmほどだが、これから人の丈より高くなるのだろう。

100708toumorokoshi1.jpg

↑牧草地に植わっているトウモロコシ

100708toumorokoshi2.jpg

↑トウモロコシの牧草地全景

  1. 2010/07/15(木) 00:36:00|
  2. 通勤途上にある畑
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

大倉バス停近くの散在する墓地

 丹沢・勘七ノ沢登ってきたの下山口にあたる大倉バス停の近くで墓地を見かけた。

100710cemetery.jpg

↑大倉バス停近くの散在する墓地(赤丸)

 ここはどうやら各家の墓地を集落ごとに集合させた集団墓地ではなく、各家ごとに墓地を設けているようだ。

 うちの墓地は父方は松本の寺の敷地の中に集合して在る。母方は高岡の寺の管理のもと田んぼの中の墓地に集落で集合して在る。私が毎朝バス停まで歩く通勤路にある墓地も集落単位で集合して在る。地方に行ったとき、その土地の集団墓地を見るとその地方に住んでいる一族の名前がわかったりして面白い。例えば桧枝岐なら星さんか平野さんが多い。直感的には墓地は集合している場合は多い気がする。

 一方でこの大倉のように墓を散在させてあるのは、死を穢れたものとして嫌うのではなく、家を見守ってくれるご先祖様として家の近くに置いたのだろうか。にしても家の敷地から離れて畑にぽつんと立っているから、それは穢れを遠ざけようとしているのか。

 墓の民俗学は興味深い。

  1. 2010/07/14(水) 00:24:41|
  2. 宗教・哲学・心理学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

船橋ラーメン横丁「青葉」

 今日、帰りに船橋ラーメン横丁へ寄り、わりに人の入っていた「中華そば青葉」に入った。

 青葉というと会社の車でときどき御徒町駅の青葉の隣の道を通るのだが、御徒町駅のも船橋のも入ったことはなかった。

100713aoba.jpg

↑中華そば650円

 基本の中華そばを頼んだ。スープはとんこつで後味に魚介の味が残る。麺は丸くてつるつるした麺で、わりばしでなく尿素樹脂のはしということもあって滑りやすい。

 おいしいけれども、基本の中華そばが650円で、このトッピングというのは少し高いかな、と思った。

  1. 2010/07/13(火) 19:41:46|
  2. ラーメン
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ブックファースト新宿店ポイントカード

 書評ではないのだけれど、本と関係のある話なので、書評カテゴリに入れる。あと沢登りの本2冊の紹介の関連。

100710book1st.jpg

↑ブックファースト新宿店ポイントカードのご案内とポイントカード

 丹沢・勘七ノ沢登ってきた帰り、新宿西口のブックファースト新宿店に寄って地形図を買ってきた。そのとき、無料で作成できるポイントカードがあると聞いて作成した。

 要点は以下のとおり。

 書籍はなかなか安く買うことができないので1%還元でも利用価値はありそうだ。

  1. 2010/07/12(月) 00:17:29|
  2. 書評 - その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

沢登りの本2冊の紹介

 沢登りの本2冊の紹介。立ち読みだけど。

 丹沢・勘七ノ沢登ってきた帰り、新宿西口のブックファースト新宿店に寄って地形図を買ってきた。そのついでに登山コーナーを見て沢登りの新刊を2冊見つけたのでパラパラみてきた。余談だけどブックファースト新宿店って登山コーナーがマンガの隣にあるのね。めずらしい。

 2000年以降に発行された東京周辺の沢登りのガイドブックというと私は以下の3冊くらいしかしらない。

 特に3冊目以降は2010年現在までめっきり発行されていないのではないかと思う。そんな中で久しぶりに沢登りガイドの新刊を見つけパラパラと読んでみた。

宗像兵一編著「東京起点 沢登りルート120」(山と渓谷社)

 丹沢、奥多摩など東京周辺100箇所と少し遠出する東北など20箇所を紹介している。真新しいコースがあったかどうかはよく覚えていない。

 白山書房の東京周辺の沢と関東周辺の沢があれば、紹介されている大体の沢はおさえられているのではないかと思う。

 ごめん、立ち読みだからよく分からない。インプレスのサイトに紹介している沢の目次でもあればいいのに。それにしても山と渓谷社はインプレスの子会社になったんだなあ。

丹沢ネットワーク編「ウォーターウォーキング」(白山書房)

 こちらの本は「沢登り」の枠から外れる、意外とありそうでなかった新ジャンルの本。

 編集している丹沢ネットワークのサイトによればウォータウォーキングの概念は以下のとおりである。

ウォータウォーキング(WW)の概念
WWは沢登りではありません。
「水流を歩き、水と遊ぶ」ことがWWの基本です。
沢登りの醍醐味は滝を直登することにあり、
WWの楽しみは水遊びにあります。
丹沢の表尾根を登ることが出来る体力とバランスがあれば、
WWは楽しめます。

(後略)

 沢登り、というと滝を登っているような写真ばかりで、沢登りしたことがない人が挑戦するにはハードルが高いと思う。例えばこないだの丹沢・勘七ノ沢登ってきたときの写真。

10kanshichi_47.jpg

↑丹沢・勘七ノ沢F5を登る私

 たいがいのひとはこのような写真を見て「落ちたらどうするの」とか「こわくないの」とかそういう感想を述べる。私も沢登りをはじめる前は同じ感想を持っていたし、ひとりで沢登りに挑戦しようとは思わなかった。

 一方で北アルプスなどの縦走は、私も高校で受け入れられたようにさほど技術的なハードルは高くなく、誰でも登れる。

 その点、この本で紹介しているウォータウォーキングは登山道のある登山と沢登りの中間に位置する新しい分野の登り方と言えるかもしれない。

 白山書房のサイトには本に掲載されているコースの目次が載せられている。私が歩いたことがあるのは以下の3箇所。

08kurasawa_010.jpg

日原川倉沢谷本谷の写真

 どれも穏やかな流れで技術的に困難な滝はほとんどない。

 なかなか面白い分野の本だと思う。

  1. 2010/07/12(月) 00:15:24|
  2. 書評 - 山岳
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

京成大和田駅近くの駐車場に横たわる三毛猫

 丹沢・勘七ノ沢登ってきたの帰り、京成大和田駅近くの駐車場で横たわる三毛猫を見かけた。

100710cat1.jpg

↑駐車場に横たわる三毛猫

100710cat2.jpg

↑カメラを向けるといぶかしげにこちらをにらんできた

 ただでさえ暑そうな毛皮を着ているのに、熱そうなアスファルトの上に寝っ転がると、もっと暑いと思うのだが、まったく逃げなかった。

  1. 2010/07/11(日) 16:16:08|
  2. 千葉
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

丹沢・勘七ノ沢登ってきた

10kanshichi_47.jpg

↑勘七ノ沢F5を登る私

 丹沢・勘七ノ沢に登ってきた。

 勘七ノ沢は9年ぶり2回目で、前回は怖かった思い出があるが、今回は実力もついたのか楽しんで登れた。なぜか人がひとりもいなかったのが気になった。

2010年夏 - 丹沢・四十八瀬川勘七ノ沢
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2010/10kanshichi/
  1. 2010/07/10(土) 23:03:07|
  2. 登ってきた
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

2010年京成電鉄の7月17日ダイヤ改正の準備

 7月17日ダイヤ改正以降の都営浅草線路線図の関連。

 京成電鉄でも7月17日ダイヤ改正に向けた動きが出てきた。

100708keisei_02.jpg

↑7月17日ダイヤ改正のためすでに路線図が差し替えられている

100708keisei_03.jpg

↑上写真のアップ。成田スカイアクセス線が載っている

100708keisei_01.jpg

↑駅ナンバリングの追加された駅看板

 駅ナンバリングは京成線各駅で「駅ナンバリング」を導入いたします[PDF, 112KB]によれば、 成田スカイアクセス開業日となる平成22年7月17日(土)から、京成線各駅を対象に「駅ナンバリング」を導入いたしますということだ。

 東京の地下鉄でも導入されているし、ナンバリングがあったほうが分かりやすいだろう。

 でも私が学生のとき、ドイツ人留学生のGさんはドイツには国鉄しかないため、JRと私鉄の違いが分からなかった。そう考えるとKS(京成電鉄)とかHS(北総鉄道)とかA(都営浅草線)とか書かれても分かりにくいかもしれない。

 私だって以下のように駅ナンバリングが並んでいたら、数字の順序もよくわからないし、途中で頭文字も変わるし混乱すると思う。

KS42成田空港
KS41空港第2ビル
KS43成田湯川
HS14印旛日本医大
HS13印西牧の原
HS12千葉ニュータウン中央
  1. 2010/07/09(金) 00:36:23|
  2. 鉄道
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

2010年7月17日ダイヤ改正以降の都営浅草線路線図

 新型スカイライナーAE系が試運転していたの関連。

 京成電鉄が7月17日のダイヤ改正に向けていろいろと準備しているが、相互直通運転を行っている都営浅草線の浅草橋駅で早くもダイヤ改正後の路線図が飾ってあった。

100707asakusabashi1.jpg

↑浅草橋駅の路線図

100707asakusabashi2.jpg

↑浅草橋駅の路線図(京成線部分を拡大)

 描いた人の努力は認めるが、いろんな色の線が入り乱れていてすごくわかりにくい。

 なお、ダイヤ改正以前の路線図は以下のとおり。

100707ningyouchou1.jpg

↑人形町駅の路線図

100707ningyouchou2.jpg

↑人形町駅の路線図(京成線部分を拡大)

 もともと分かりやすかったかというと何とも言えないが、どんどん分かりにくくなっているのは確かだ。ただでさえ東京西部に住んでいる人が「浅草線はいろんな行き先があってよく分からん」といっているのにお上りさんや外国人が見たら発狂するのではないだろうか。

  1. 2010/07/09(金) 00:32:03|
  2. 鉄道
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

都営地下鉄・東京メトロ統合に向けた都の動き

 下記のエントリの関連。

 最近、都を中心として東京の地下鉄統合に向けた以下のような動きがみられる。

平成22年6月29日
東京都による「地下鉄一元化の推進」に関する国への提案要求
平成22年6月29日
東京地下鉄株主総会で株主の東京都から猪瀬副知事が東京の地下鉄一元化への協議の場を提案
平成22年7月6日
都の地下鉄一元化 前原国交相が協議受け入れ、ただし慎重姿勢

 歴史的経緯から言えば、東京の地下鉄は、帝都高速度交通営団が建設するものとされていたが、1957年6月の都市交通審議会において、地下鉄建設を営団だけでなく、複数の事業主体で進めるべきであるとした都営地下鉄 - Wikipedia)ことから都営と営団の2事業者が東京の地下鉄を作り運営していくことになった。

 そこにどんな政治的圧力が働いたかわからない。しかし東京の地下鉄網が完成した今となっては2つの事業者があることは利用者にとっては不便でしかない。いち利用者としては統合してもらいたいものだ。

 ただ前原国土交通大臣は統合に慎重らしいし、簡単に決着はつかなさそうだ。

 それにしても東京地下鉄株主総会のようすがいろいろとシュールだ。

 2人しかいない株主のために、ホテルの広い会議室だけでなくそのフロア全体を借り切っている。株主側は随行員各1名を含めて4人だけだが、その正面には経営陣が20人くらい座っていた。

東京の地下鉄一元化への協議の場を提案 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

とか、

 猪瀬 「お客様の不便は駅員に伝わっているはずだ。それが役員に上がってこないというのはどういうことか。社員がどういう意識なのかが問題だ。私のところには、そうした意見や声が入ってきているのに、トップに伝わっていない。民営化はお客さん第一であるべきなのに、東京メトロの民営化はお客様の声がトップに届かない。そういう民営化は見直すべきだ。こうした事案がほかにないか総点検し、その結果を公表していただきたい」(強調は中山による)

東京の地下鉄一元化への協議の場を提案 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

とか。後者は「私のところ」=「都営地下鉄」(≠「東京メトロ」)なのでややこしいが、株主って強い。

  1. 2010/07/08(木) 00:25:41|
  2. 鉄道
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

デカルトとバラ十字会 - 野田又夫「デカルト」

 野田又夫「デカルト」を読んでいる。

 デカルトというと「我思う故に我あり」の言葉で有名だが、方法的懐疑をソクラテス以上に突き詰めたかのデカルトが神秘主義的団体に近づいていたそうだ。

 デカルトの時代はまだ多くの神秘主義的団体を生んだ時代であったことが注目されます。ことにドイツは、前の16世紀の宗教戦争の後、またこの17世紀に、他の国々が近世国家としての統一を進めつつあるときにふたたび宗教戦争の渦中に入ったのであって、人心は怪異にひかれ予言を求めていました。そうして生れた神秘主義的団体つまり新興宗教の一つに、バラ十字会というものがあり、一種の霊知によって世界を新たにすることを標榜した秘密結社でありました。デカルトは興味をもち会員をつきとめ会の教えを知ろうとつとめたが果さなかったと友人に言っている。しかし相当立ち入った交渉があったらしい。かれがウルムで交わった一数学者はその会員であったと言います。しかも近頃の調べでは、デカルトの夢の中に出て来る象徴が大部分バラ十字会に関係あるものだということであります。

野田又夫「デカルト」(岩波新書,1996)P. 29-30

 意外と思う反面、17世紀前半だと文化人はみなそのような神秘主義的団体に関わっていたのかもしれないと思った。

 ソースとしてフィクションの小説を持ち出すのは気が引けるが、「ダ・ヴィンチ・コード」には以下かの記述がある。

 ラングドンは早口で説明している。「シオン修道会の会員には、歴史に名を残す文化人も含まれている。たとえばボッティチェルリ、サー・アイザック・ニュートン、ヴィクトル・ユゴー」その声にはいまや学問への熱情があふれている。「そして、レオナルド・ダ・ヴィンチ」

ダン・ブラウン著、越前敏弥訳「ダ・ヴィンチ・コード」(角川文庫,2006)P. 209

 またフリーメイソンであったモーツァルトにレクイエムの作曲を依頼した謎の男の話なんかを考えると、中世ヨーロッパの人は神秘主義的団体に関わるのが当たり前だったのかもしれない。


デカルト (岩波新書 青版 602)デカルト (岩波新書 青版 602)
(1966/07)
野田 又夫

商品詳細を見る
  1. 2010/07/07(水) 00:29:20|
  2. 書評 - 哲学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

新型スカイライナーAE系が試運転していた

 千葉県・銚子市銚子~香取市小見川を歩いてきたの関連。

 小見川からの帰り、成田で京成に乗り換えたら試運転中の新型スカイライナーを見かけた。

10omigawa_69.jpg

↑新型スカイライナーAE系の先頭部分

10omigawa_67.jpg

↑「試運転」のLED表示

 京成成田駅は成田スカイアクセスに含まれない。新型スカイライナーが京成成田駅を走っているとしたら宗吾参道の車両基地へ向かうか、モーニング・イブニングライナーの運転である。「回送」でなく「試運転」だったのでモーニングライナーの試運転を行っていたのだろうと思う。モーニング・イブニングライナーは新AE系を使うそうなので。

(8)モーニングライナーおよびイブニングライナーは、新型スカイライナー車両(AE形)を 使用し運行いたします。

成田スカイアクセス開業!!7月17日(土)京成線ダイヤ改正 [PDF, 380KB]
  1. 2010/07/06(火) 00:03:06|
  2. 鉄道
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

Automatorのライブラリに自動レベル補正はない

 2010年夏 - 千葉県・銚子市銚子~香取市小見川を書いていたときのこと。

 この日くもりだったので、写真がみんな露出アンダーになっていた。写真を撮るときに補正すればよかったのだが、Mac上で露出補正すればいいやと思ってそのままバシャバシャ撮っていた。

10omigawa_58.jpg

↑写真が全体的に暗い

 そうしたら写真みんながことごとく露出アンダーで撮れていた。で、補正しようと思ったら私にはプレビューかGimpくらいしかないわけで、プレビューが一番簡単に自動補正できるのでプレビューで補正を行った。

100706preview.png

↑Mac OS X 付属のプレビューには自動レベル補正機能がある

 にしても数が多いとめんどうである。Automatorのライブラリに自動補正がないか探してみたがない。

100704automator.png

↑Automatorのライブラリに自動補正はない

 Googleで検索してみるとPixelmatorというソフトにAutomatorアクションが同梱されているようだ。

 Pixelmatorは有料で、act2で5,980円(ダウンロード価格)。とはいえ、そんなに使わないのに買うのも何だしなあと思っている。

  1. 2010/07/05(月) 00:00:31|
  2. コンピュータ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

藤村操という人 - 時実利彦「人間であること」(5)

 以下のエントリの関連。

 26章「生へ執着すること」で、藤村操という人が出てきた。

 明治36年5月23日、「悠々タル哉天壌。遼々たる哉古今。五尺の小躯を以て此の大をはからむとす。…」の名高い「巌頭の感」を大樹の幹に書き残し、「人生不可解」と叫んで、華厳の滝へ身を投げた18歳の藤村操をはじめとし、病気で生きる可能性がみつからず、破産で生きる意欲を喪失し、失恋で生きる喜びを見失い、破廉恥行為で生きる資格を捨てるなど、その理由や動機はいろいろあろう。

時実利彦「人間であること」(岩波新書,1984)P.163

 誰だかしらないが、18で名を残すということはなんかスゴイ人なのだろう、と思って調べてみた。

 藤村 操(ふじむら みさお、1886年7月 - 1903年5月22日)は北海道出身の旧制一高の学生。華厳の滝で投身自殺した。自殺現場に残した遺書「巌頭之感」によって当時のマスコミ・知識人に波紋を広げた。

藤村操 - Wikipedia

 どうやらエリートコースの一高生が自殺したことで多くの人に衝撃を与えた人のようだ。

 昔の若い人というと、三島由紀夫や太宰治など哲学的な悩みや不安に苛まれ若くして死ぬ人が多いような気がする。自死でなくても60年安保の樺美智子だとか、連合赤軍だとか、やり方はともかくとして社会や国を憂えて行動を起こすエネルギーの大きな人たちが多い気がする。

 一方で私を含めて最近の若者は大して国を憂えてもおらず、明治維新や革命のような国の大幅な刷新を求めて行動している人はいない。少なくとも私が報道で知る範囲には知らない。

 それはある意味社会が成熟して、生活の最低限の要求が満たされてきたこと、あるいは満たされていないとしても暴動が起きない程度に社会保障制度が用意されてきたのかもしれない。

  1. 2010/07/04(日) 20:18:30|
  2. 宗教・哲学・心理学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

千葉県茨城県境・銚子市銚子~香取市小見川を歩いてきた

10omigawa_45.jpg

↑利根川河口堰。

10omigawa_36.jpg

↑大利根サイクリングロード。右側が河川敷。

10omigawa_41.jpg

↑飛んでいるサギを見かけた。

 千葉県・銚子市銚子~香取市小見川を歩いてきた。上の写真は利根川沿いの道。堤防の上にあって眺めはよいが、眺めは歩いても変わらない。利根川沿いに歩くとなるとずっとこんな風景だろうか。いささか退屈である。

 でもこの川が湯檜曽川本谷ガラン谷松木沢につながっていると思うと、大きなものを見ているような気になる。

  1. 2010/07/03(土) 22:59:04|
  2. 地図・県境・都市河川
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

神保町「ひまわり亭」

 前に神保町のさかいやスポーツにプラスチックブーツの修理に預けたが、その修理ができあがったと連絡を受けたので神保町に取りに行った。そのときは「めんめん・かめぞう」という名前のラーメン屋に入ったのだが、今日はその向かいの「ひまわり亭」というラーメン屋に入った。

100702himawaritei1.jpg

↑ひまわり亭の外観

100702himawaritei2.jpg

↑しょうゆラーメン500円

 しょうゆラーメンも塩ラーメンもつけめんも500円という破格の安さで、値段相応かと思ったらそれなりにおいしかった。

 店は主人ひとりでまかなっており、全部で10席ほど。でもそんなに狭くない。

 私はしょうゆラーメンを頼んだが、スープはとんこつベースで濁っていてなんとなくメンマの味がした。スープ麺は細麺。おいしかった。

 このあたりは学生も多いので安さで他店に対抗しているのだろう。ただ量は少なめで小腹が空いたときに食べるのにはよいのだが、たくさん食べたいときにはあまり向かないと思う。


大きな地図で見る
  1. 2010/07/02(金) 23:11:26|
  2. ラーメン
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

夢をみる理由 - 時実利彦「人間であること」(4)

 以下のエントリの関連。

 いったい、パラ睡眠はなぜおこるのか。人間や動物で、パラ睡眠をおこさないようにすると(段無実験)、ひっきりなしにおころうとし、それを長くつづけていると、動物では、食欲や性欲が高まり、怒りやすくなる。人間でも神経質になって不安がったり、記憶や注意の集中が悪くなったり、食欲が高まるという。また、幻覚をおこしやすくなるといわれている。

 このような実験結果から、パラ睡眠は健康に生きるためには必要かくべからざるものとみなされているが、夢をみる理由については、意見がまちまちである。願望の達成、昼間の行為のリハーサル、危険防止のための周期的覚醒、オーソ睡眠中の神経細胞の乱れを矯正する過程、昼間体験したことを記銘する過程、昼間に受けとめた不用な情報を棄却する過程……。

時実利彦「人間であること」(岩波新書,1984)P.195-196

*パラ睡眠=REM睡眠、夢をみている時の睡眠、オーソ睡眠=non-REM睡眠、夢を見ていない時の睡眠

 私も夢を書き留めていて、なんでそんな夢をみるのか私自身判別がつかないのだが、直近の夢(ビルが倒れる夢)で見た中では「昼間の行為のリハーサル」だろうか。翌日行う打ち合わせを夢のなかで気にしていたので、そのことを考えていたら夢のなかでも打ち合わせしようと考えていたのかもしれない。しかし、ビルが風で倒れることは、私はまったく願望していないし、昼間体験したことでもない。

 夢をみることは実に不思議だし、面白いと思う。

  1. 2010/07/02(金) 00:06:31|
  2. 書評 - 心理学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ビルが倒れる夢

 昨晩は酒を飲み過ぎて夜中に3回も吐いてしまった。そんな中、夢と現の間で見た、でも夢。

 夢のなかでは翌朝になっており、私は会社に出勤していた。夢のなかでも二日酔いははっきり残っており、頭痛と吐き気がしていた。

 その日、私は午前中に外での打ち合わせがあり、あまりに気持ち悪いので打ち合わせをしたあと、午後は休みをもらって家に帰ろうと思っていた。ふだんは職場で作業着を着ているが、家に帰るので私はスーツのままだった。そして気持ち悪いから壁に向かってもたれかかっていた。そうしたら職場の人から「あれ、帰るの?」と聞かれ、帰りにくくなってしまった。

 その後、打ち合わせのことは忘れてしまって、職場で仕事をしていたのだが、外の風が強くなってきた。夢のなかの職場は現実の職場と異なって、どうやらビルの高層階で窓の面積が大きく、床から天井まで窓であった。広い窓から外を見ると外は夜になっていて、他のビルが風で揺れているように見えた。

 暗い中、100mほど離れた細長い高層ビルがゆらゆら揺れていたかと思うと、なんとこちらに倒れてきた。ビルの根元からポッキリ折れてゆっくりと倒れてきた。倒れたビルはこのビルにぶつかることはなく、50mほど先に横たわっていた。そのようすにみんなで驚きながら見ていたが、こんどは私のいるビルまでガタンと傾き始めた。傾きは途中で収まったが、床がピサの斜塔のように傾いている。これは危ないと思い、自分の鞄を持って階下へ降り始めた。

 1階下ったところで、健康診断を待つ列があった。彼らはビルの揺れなど気にならないらしく、平然と待っていた。その中に私の知っている人(夢のなかでは知っている人だが、現実には知らない人)から「非常事態だからと言って逃げ出すのはいけないんだ」と私を諭した。私がその言葉にとまどっているうちに目が覚めた。

 そしてまたトイレに吐きに行った。

 夢と現実がごっちゃになっていたからか、気持ち悪くて落ち着いて眠れなかったからか、ビルが倒れるという嫌な夢だからか、今回の夢はいつもの夢に比べてはっきりと残っていた。

 子供のとき、夢のなかで起きたら布団が燃えていたという衝撃的な夢を見たことがあるが、それも鮮明に覚えている。災害の夢ははっきり覚えているものなのだろうか。

  1. 2010/07/02(金) 00:02:15|
  2. | トラックバック:0
  3. | コメント:0

賭け事はなぜいけないのか

 ここのところ相撲界が揺れている。

 力士が野球賭博をしていたためだそうだ。

 しかし、このニュースを聞いても私は何が問題なのか分からなかった。いくつか野球賭博がいけないと考える理由を考えてみた。

  1. 賭け事がいけないのか、ならば競馬、競艇、競輪、宝くじなどの公営ギャンブルもいけないということになる。
  2. 暴力団にお金が回るのがいけないのか、ならば野球賭博を競馬などと同じ公営ギャンブルにすればよい。totoだってそうではないか。財政難の自治体にも税収が入ってよいではないか。
  3. 力士が賭け事をしてはいけないのか。いや力士も力士である前に日本国民であるから、日本国民に許されていることは行っても構わないだろう。
  4. 賭博があると、人々が賭博に熱中して仕事せず、経済成長しないからいけないのだろうか。それならばいっそのことすべてのギャンブルを禁止すべきではないか。
  5. 野球賭博はタバコのように健康に悪いのだろうか。しかし競馬などの合法なギャンブルでは「あなたの健康を害する恐れがあります」という文句を見たことがない。むしろ宝くじなんかはテレビコマーシャルや列車の吊り広告で「億万長者が何人も」とかよく見るくらいだ。野球賭博だけが健康に悪いとも考えられない。

 本質的に野球賭博がいけない理由がよくわからない。

 と思ってGoogleで探してみるとすぐ答えがヒットした。

 一獲千金を狙う勝負事に熱中し過ぎると、国民の健全な労働意欲が損なわれ家庭が崩壊するだけでなく、国の経済そのものが停滞する恐れがあるため、犯罪として禁止しています。罰則は単純賭博罪は「50万円以下の罰金または科料」、常習賭博罪は「3年以下の懲役」。賭博を主催した胴元は賭博場開張等図利罪で「3月以上5年以下の懲役」に処せられます。

質問なるほドリ:大相撲・野球賭博 自分のお金賭けてなぜ罪に?=回答・川辺康広 - 毎日jp(毎日新聞)

 続きがあって、宝くじや競馬は特別法で例外的に認められているらしい。

 どれかというと私が考えた4番が、労働しないからという点で近いようだ。アヘンが禁止されているのと同じか。でも

と考えると、どちらも境目がよくわからないなあ。常習性が弱いから?ギャンブルもタバコもやらないから分からん。

  1. 2010/07/01(木) 00:36:44|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0