島ノ中ニ有リblog

島の生活とか、登山とか、Macとか、日記とか

お年玉付き年賀はがき3等が当たった

 お年玉付き年賀はがきの3等に当たった。

 3等は下4桁が一致しないといけないので10,000分の1の確率だ。

 今年もらったお年玉付き年賀はがきは6枚しかないので、かなり幸運である。たぶん生涯でも100枚ほどしかもらっていないので、毎年100枚200枚ももらっている人には申し訳ない。私の両親も切手しか当たったことがないと言っていた。

 で、3等は1,500円から2,000円程度(私の推定による)の食品なのだが、食品といってもよく分からないので母に選んでもらった結果、紅茶セットとなった。

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↑3等商品の包み

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↑TWININGSの紅茶

 紅茶の貴賎など分からないが、当たったことはうれしいし、高い紅茶だと思うので味わって飲みたい。

  1. 2010/03/31(水) 00:59:07|
  2. 日記
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霜の降りた花冷えの朝

 ここのところ寒い。

 今朝は霜と氷を見かけた。

 この間咲いていた菜の花も頭を垂れて寒そうにしていた。

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↑道端の凹地に霜が降りていた

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↑道端には氷も張っていた

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↑頭を垂れた菜の花

 暑さ寒さも彼岸までというが、もう少し三寒四温が続きそうだ。

  1. 2010/03/31(水) 00:34:32|
  2. 通勤途上にある畑
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サクラが咲いた

 東京でもサクラが咲き始めた。今日は荒川遊園でサクラを見かけた。

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↑荒川遊園のサクラ

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↑雨でがくから落ちた桜の花

 しかし昼過ぎに強い雨が降ったからか、花ががくから落ちていた。はじめはつつじも白い花が最多のかと思ったら桜の花であった。

 なんだか不思議な天気である。

  1. 2010/03/30(火) 00:47:11|
  2. 東京
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奥鬼怒・黒岩清水の場所

 2009年夏 - 尾瀬・尾瀬沼~物見山日地出版の登山地図の関連。

 2009年夏 - 尾瀬・尾瀬沼~物見山の文章中で私は以下のように書いた。

 黒岩清水は、ヤマケイYAMAPシリーズ尾瀬燧ガ岳至仏山によれば黒岩分岐から下りきったところにあるらしいが、私の持っている日地出版の地図ではさらに2043m峰を越えた先にある。この場所は一般には小松湿原分岐と呼ばれているようだ。このときは日地出版の地図しか持っておらず、2043m峰を越えた先に黒岩清水(=小松湿原分岐)の水場があると思っていたのでそこまで行くつもりだ。日地出版の地図によれば1時間の行程だ。まわりは夜の帳がおりうっすらしか見えない。

2009年夏 - 尾瀬・尾瀬沼~物見山 1日目

 要は黒岩清水がどこなのか分からなかったのだが、今日図書館に行ってきたのでいくつか資料を比較してみた。

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↑日地出版の登山地図「登山・ハイキング9尾瀬と銀山湖|会津駒」昭和48(1973)年6月版

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↑「アルペンガイド4 尾瀬」(山と渓谷社,1996)P.58

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↑花畑日尚「ヤマケイYAMAPシリーズ3 尾瀬燧ヶ岳至仏山」(山と渓谷社,2004)P.9

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↑「日本山岳地図集成第1集 北海道⇒中部山岳(北部)編」(学習研究社,1980)P.107

 これらを見ると日地出版の登山地図だけ黒岩清水の場所が違う。たぶん、日地出版の地図だけ間違っているのだろう。

 それにしてもこのあたりは尾瀬をはじめとして湿原が多い。道のよく分からなかった小松湿原とやらにも行ってみたいものだ。

  1. 2010/03/29(月) 01:50:11|
  2. 登山
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人は1日で何か国旅行できるの?

 日本テレビ「世界の果てまでイッテQ!春の珍獣祭りSP2010」という番組を見ていたら「人は1日で何か国旅行できるの?」INヨーロッパという企画をやっていた。

 番組ではベッキーが空路、陸路でデンマーク、スイス、リヒテンシュタイン、ドイツ、オーストリア、チェコ、スロバキア、ハンガリーの8カ国を24時間で回ることに成功していた。ひとつの国をものの1時間足らずで観光、食事、おみやげと3つの課題をこなしていくようすはドタバタ劇を見るようでおもしろかった。ドタバタとはいえ番組なのでリヒテンシュタインでのパラグライダーやオーストリアでのモーツァルトの通った店など見せ物もちゃんと用意されており、かなり用意周到に組まれていた。

 いくつか番組の中で日本人が生涯訪れる外国の国数は6.5カ国と述べていた。

 意外に多いという感想だ。私はいくつかというとニュージーランド、ドイツ、オランダ、スウェーデンの4カ国。空港から出ていない国を入れてもオーストラリアとデンマークを足して6カ国。日本人が生涯訪れる外国の国数に満たない。

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↑2006年ドイツ・ベルリン、ブランデンブルク門にて

 もう少し海外に行ってみようか。

  1. 2010/03/28(日) 23:25:11|
  2. 日記
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いすみ市長者町から九十九里町真亀まで歩いてきた

 勝浦市勝浦からいすみ市岬町長者まで歩いてきたの続きで長者町から九十九里町真亀まで歩いてきた。

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↑太東崎灯台

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↑九十九里浜

 いよいよ九十九里浜だ。

2010年春 - 千葉県・いすみ市岬町長者~九十九里町真亀
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2010/10taitousaki/
  1. 2010/03/27(土) 23:21:07|
  2. 千葉
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「なぜ山に登るのか」を問うことは無意味である - 丸山圭三郎「言葉と無意識」(3)

 ソシュールのアナグラム論がチンプンカンプン - 丸山圭三郎「言葉と無意識」(1)私の死生観 - 丸山圭三郎「言葉と無意識」(2)の関連。

 「本を読んで何になる」という問いもよく耳にする。「本を読まないで何になる」とやり返す人もいる。しかしこの問いと答えのいずれもが含んでいる「何のために?」が、本を読む喜びをはじめから奪ってしまっているのではなかったか。どんな行為にも<目的>を立てねば気がすまない表層のロゴスは、すべての行為を<手段>におとしめてしまい、いかなる現象にも<意味>を探そうとする表層のロゴスは、人びとをまじめにさせ息づまらせる。まじめな人間は事物の背後のありもしない宝探しに血道をあげて、文化という美しい虚構フィクションを楽しむことを知らない。

丸山圭三郎「言葉と無意識」(講談社現代新書,1987)P. 231

 これは「なぜ山に登るのか」の問いにも通ずるものがある。

 「趣味は登山です」というとお世辞かどうか分からないが「いい趣味を持っているね」と答えられることが多い。一方で「いっしょに登りますか」と誘うとあまり芳しくない返事が多い。

 山に登る目的はいろいろあろう。登頂の達成感、景色のよさ、花や草木の美しさなど各人いろんな答えが返ってくるだろう。しかし私には明確な登山の目的がない。沖縄里ワン[1/8]でもごちゃごちゃと論じているが、結局のところ、私は山に登りたくて山に登っている。そして私は登っていて楽しい。それで十分ではないかと。あまりそれに固執することは登山の楽しみをそぐことにならないかと。

 高校を卒業するときの化学の宿題で「人間と自然との関係と科学のあり方について」というような題で原稿用紙1, 2枚程度の論文を書かされた。そのとき私は「人間と自然との関係」に「登山者と山」を据え、趣味である登山の目的が分からないと述べた。そのあと農業や林業など第一次産業に携わる人は仕事と趣味の区別がはっきりしていないのではないか、そしてそれは自然との関わり方としてより自然ではないかというようなことを述べた。仕事と趣味を分別することは人間の行動として本当は好ましくないことではないかと考えたのである。仏教でも分別は物質への固執につながるから行うべきではないと教えている。

 実に単純だし、いまさらと感じる点はあるが、西洋合理主義の限界はこの辺にあるのかもしれない。

言葉と無意識 (講談社現代新書)言葉と無意識 (講談社現代新書)
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丸山 圭三郎

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  1. 2010/03/26(金) 00:36:46|
  2. 宗教・哲学・心理学
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私の死生観 - 丸山圭三郎「言葉と無意識」(2)

 ソシュールのアナグラム論がチンプンカンプン - 丸山圭三郎「言葉と無意識」(1)の関連。

 丸山圭三郎「言葉と無意識」を読んでいたら死生観に関する記述が、私がこどもの頃から考えている死生観と似ていた。

 赤子は母の胎内から出たとき<連続>から<非連続>のコスモスへと投げ出され、もう一つの死を迎えるまで<連続>への回帰(羊水回帰)の願望を抱き続ける。

丸山圭三郎「言葉と無意識」(講談社現代新書,1987)P. 211

 私がこどもの頃、死んだらどうなるのか、どこへ行くのか不思議に思っていた。

 一方で私は「ものごとはすべて平衡であるべき」という変な哲学を持っていた。例えば自転車のペダルはふつう自転車が前に進む方向にこぐが、私は前に回した回数と同じ回数だけ後ろ向きにも回さないといけないような気がしていた。それは順方向に回す回数と逆方向に回す回数が等しければ、ペダルの軸の摩耗や軸の傾きなどが偏ることなく長く使えそうだし、何よりバランスが取れることに安心感や美しさを感じていた。いわばシンメトリーを美しく感じる感覚と同じである。

 自分で作った「平衡教」信者であった私は「死もまた平衡であるべき」という考えに基づき、人生は時間的に対称であると考えた。寿命の半分を折り返し点とし、その前後は同様であると考えたのである。すると死亡は誕生と対称になる。死んだらどうなるか、という質問には、生まれる前と同じという答えになる。

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 私はこの死生観をさらに発展させて、放物線モデルを考えた(図参照)。生と死を分けるある一線があり、人の命は放物線を描くようにこの線を越えて誕生し、再びこの線を越えて死亡するというモデルである。いわば海面上を飛ぶトビウオのようなモデルである。まったく何の根拠もないのだが、このモデルを思いついたときは何だかすごいことを発見したのではないかと思い込んでいた。

 もっともそれは私を納得させるだけで、他の人には他の死生観があろうし、私のこの記述が全く分からないという人もいるだろう。なのでこれは私のローカルな哲学である。

 また、しまなみ海道を歩いたとき、ゴール近くの今治で用水路に葉っぱが浮かびながら流れていくようすをみたことがある。その日は日差しが強く、葉っぱの影が浅い水路の底に写っていた。

 私は考えた。葉っぱは流れながらやがて水に沈むだろう。そして水路の底に沈むのだろう。そのとき葉っぱは影と一致する。葉っぱが生きている私、影を死と考えれば、葉っぱがその影と一致したとき、私は死ぬのだろう、そして流れている間も常に影は私のそばについてまわっているのだ。

 人間もいつ事故や病気で急死するか分からない。そう考えると私と死の関係は、そのままこの葉っぱとその影の関係に置き換えられると考えた。人の死とはそういうものかもしれない。まことにメメント・モリということばの通りである。

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丸山 圭三郎

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  1. 2010/03/25(木) 23:12:40|
  2. 書評 - 哲学
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上野の松坂屋へ行った

 今日、職場の退職者への記念品を買いに上野の松坂屋へ行った。

 ふだんデパートには入らないが、今回ハンカチを記念品にしようと決め職場近くのデパートを探した結果、上野の松坂屋になった。

 松坂屋に入るのは初めてだったが、きれいで売り場もよく整っているようだった。店員さんも贈り物の包みについて包装紙の色や渡す相手の名札をつけるかどうかなど細かく注文を聞いてくれて丁寧に感じられた。

 あまりデパートには行かないし、これからも行かないと思うが、デパートはああいった気配りの行き届いたサービスで売っているのだろうな。


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  1. 2010/03/24(水) 23:16:06|
  2. 東京
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バス停までの道の菜の花が咲いた

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↑一面に咲く菜の花

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↑一面に咲く菜の花

 

 先週歩いた千葉県・勝浦市勝浦~いすみ市岬町長者でも、自転車で走った花見川沿いにも菜の花が咲いていたが、ここ数日でバス停までの道の菜の花も満開になった。

 去年は同様の記事、草地の菜の花が群落になったを3月25日に書いている。毎年春が巡ってくる。

  1. 2010/03/23(火) 23:41:55|
  2. 通勤途上にある畑
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八海山へ行ってきた

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↑アラチ沢右稜と生金尾根の間の名もなき尾根でヤブと壁のため引き返す

 越後の八海山に行ってきた。

 予定はアラチ沢右稜だったが、ヤブが多く隣の生金尾根との間の名もなき尾根を登ろうとするが、ヤブと壁のため引き返した。その後、八海山スキー場から八海山へと転進しようとするものの雪とガスのため遥拝堂避難小屋に泊まって帰った。

 天候が悪かったのと雪が少なかったのは仕方ないが、なんとなく消化不良である。

2010年春 - 越後・八海山
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2010/10hakkaisan/
  1. 2010/03/22(月) 17:34:04|
  2. 登ってきた
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ソシュールのアナグラム論がチンプンカンプン - 丸山圭三郎「言葉と無意識」(1)

 丸山圭三郎「言葉と無意識」を読んでいる。

 ソシュールのアナグラム論を主軸に無意識的な主体や阿羅耶識など言語と無意識に関わる論を著者なりの解釈を含めながら解説している。

 残念ながらそのソシュールのアナグラム論がチンプンカンプンである。

 カルタゴを征服してローマのスペイン支配を確立し、大アフリカヌスの称号を得たスキーピオの墓碑銘である一句である。

 Taurasia Cīsauna Samnio cēpit.

 (タウラシア・キーサウナがサムニオム〔中部イタリアの一国〕から奪った。)

 ソシュールはこの詩句について「これはアナグラマティックな詩であって、スキーピオScīpioの名を完全に含んでいる(cī + pĭ + ĭŏの音節において。さらにSamnio cēpitのSがあり、これを出発点としてScīpĭoの語ほとんど全体が現れるグループが続く……)。」と書いてある。

丸山圭三郎「言葉と無意識」(講談社現代新書,1987)P. 100-101

 …どこにScīpioの文字が隠れているのか分からない。失礼ながらMMRの謎解きと差が見いだせない。

 それはともかくとして非人称的空間の話は興味深い。

 Ich denke.(我思う)ではなくEs denkt.(それが思う)という非人称的言語空間に生きたニーチェは、晩年の1889年1月にブルクハルトとコージマ宛に次のような手紙を書いている。

(中略)

 「我がいとしの王女、アリアドネへ。(……)私はインドではブッダでしたし、ギリシアではディオニュソスでした。アレクサンダーとシーザーは私の化身です。(……)最後にはヴォルテールとナポレオンでもありました。ひょっとしたらリヒャルト・ワーグナーであったのかも知れません。(……)私は十字架にかかったことがあります。」

丸山圭三郎「言葉と無意識」(講談社現代新書,1987)P. 133-134

 これを単にほら吹き男爵のことばと同じと捉えるのは容易である。これを読んで私が思い出したのは同じ講談社現代新書の鷲田清一「じぶん・この不思議な存在」である。この本では「すべての人は私の過去あるいは未来の姿である」という説を立てていた。考え方は違うかもしれないが「他人=私」という構図は同じである。

 またスピノザの汎神論も同様である。これは自我について述べたものではないが、神があらゆるものに化現しているという考え方である。例えばキリスト教徒は教会でキリストの肉としてのパンを、キリストの血としての赤ワインを飲む。これは神(の子)がパンやワインという形をとって信者と接触をはかっているとも捉えられる。

 インド哲学にも梵我一如という言葉もあるし、非合理においては「他人=私」という構図はむしろ主流派なのかもしれない。とはいえ論理によって理解できないものは私には理解できないが。

言葉と無意識 (講談社現代新書)言葉と無意識 (講談社現代新書)
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丸山 圭三郎

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  1. 2010/03/19(金) 00:10:19|
  2. 書評 - 哲学
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100円のニッケル水素蓄電池

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↑勝田台のセリアで買ってきた100円のニッケル水素蓄電池

 /.Jeneloop lite 登場という記事を読んでいたら100円ショップのセリアでもニッケル水素蓄電池を販売しているというコメント(エボルタe対策でしょ?)があった。

 山で使うヘッドランプの電池が単三であり、PENTAX K-Xで使っているeneloopを併用しているが、100円ならばヘッドランプ専用に電池を買おうと思い、勝田台のセリアで買ってきた。昨年は何度もヘッドランプをなくしていることもあり、高価な蓄電池はあまり使いたくなかったが100円ならばなくしてもさほど惜しくない。

 充電池が100円とは正直信じられなかったが、確かに売っていた。

 とりあえず充電してみたら電池があたたかくなった。まだ使ってないけど大丈夫かな。

  1. 2010/03/18(木) 00:33:13|
  2. 科学全般
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蔵前「博多ラーメン長浜や」

 職場の近くにラーメン屋ができたので行ってみた。

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↑博多ラーメン長浜やの外観

 3月15日開店。開店2日目とあって夕方でもけっこう人はいた。江戸通りに面していて浅草線蔵前駅の出入口にも近いので目立つからだろう。

 開店記念かなんか分からないけど、ラーメン500円+チャーハン500円=1,000円のところ、セットで650円とのことなのでセットを頼む。

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↑博多ラーメン

 ラーメンはふつうの博多ラーメン。可もなく不可もなく。細麺。スープは少し薄め。紅しょうが、辛子高菜、ごまは入れ放題。替え玉は100円。良くも悪くも500円だな、というくらい。

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↑チャーハン

 チャーハンは湿っぽくいまいちだった。ラーメンに150円足して食べるならまあ、というくらい。

 特別うまいわけではないが、安いので客は入るのではないかと思う。


大きな地図で見る

↑このレンタカー屋さんの左隣のそば屋がラーメン屋になった。でももうレンタカー屋さんもコインパーキングになってしまった。

  1. 2010/03/17(水) 00:52:50|
  2. ラーメン
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利き手でない手でお箸を持つ

 職場に肘を折ってしまった人がいて、その人と少し話をした。左利きで左腕を折ってしまったので、利き腕でない右手でお箸を使っていた。

 私は右利きだが、私も凍傷で右手を痛めたときは包帯で巻いていた。そのときは利き腕でない左手でお箸を使っていたので、いまでもある程度左手で箸を使うことができる。

 ただ私は左手でお茶碗や丼でごはんをかきこむのと麺類をすするのが苦手である。前者は狭い茶碗の中でお箸をうまく自分の口に持ってくるのができず、後者はいったん口にくわえた麺類のうち中空にぶら下がっている部分をお箸でつかむのが苦手である。

 なお、麺類をすするのは口の力だけですすっているわけではない。その吸い込み効果は口のごく近くでしか通用しない。むしろお箸でつかんで口に運ぶ作業を繰り返すのが麺類をすするのに最も必要な作業である。私は凍傷になってそれに気づいた。友人のドイツ人がラーメンを食べるとき口で噛み切りながら食べていたが、あれは必ずしも「麺をすすること」に嫌悪を示しただけではなく、単にお箸では口に麺を運びにくいという不満があったからだと今更想像する。

 話がずれた。

 その話を彼にしたら、「いや、かきこむのは問題なくできますよ。麺類も昼は右手でカップラーメン食べてるし」とあっさりした答えだった。

 あれ、左利きの人は文字書くときは右利きとか矯正されたりするから、両利きの要素が強いのか?と思ったら意外な答えが返ってきた。

 「ナイフとフォークが苦手なんですよ」

 これは私にとっては意外だった。私はこどものときはお箸だけでナイフとフォークを触る機会が少なかったからか、右手と左手どちらがナイフかフォークかよくわからず、結果どちらでも使えるようになってしまった。

 こどものときは「利き手に持った道具で口に運ぶ」のが生理的に自然に感じられ、右手にフォーク、左手にナイフを持っていた。今ははじめに置かれているナイフとフォークの位置で判断しているが、間違った置かれ方をしてもたぶん気づかない。

 なので利き手を逆にしてナイフとフォークがうまく使えないのは意外であった。

 利き手を逆にしたときの得手不得手は個人差があるようだ。

  1. 2010/03/16(火) 00:24:30|
  2. 健康
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ドミナント・ネガティブ現象 - 福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」

 人の体と雲はミクロ的な構造が似ている - 福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」の続き。

 こんな式をつくってみた。

 上の式は間違っている。数学の規則に従うなら。

 しかし生物分子の欠落に関する限り、これが成り立つようだ。ドミナント・ネガティブ現象というそうで、上の式はそれを読んで私が作成した。

 タンパク質分子の部分的な欠落や局所的な改変のほうが、分子全体の欠落よりも、優位に害作用ドミナント・ネガティブを与える。

福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書,2007)P.266

 細かい話は本を読んでいただくとして、上の式は以下のような解釈だ。

  1. ある機能を果たすタンパク質は、それ全体が欠落すると他のタンパク質が代替してその機能を果たすことがある。
  2. ある機能を果たすタンパク質は、その一部が欠落すると他のタンパク質が代替することはなくその機能は発現しない。

 第1項は「ある機能を果たすタンパク質」、第2項は「欠落するタンパク質の割合」、第3項は「その機能が発現するか否か」というわけで厳密には等式ではないが、伝えたいところはわかると思う。

 生物の構造とはかくも複雑なものか。

  1. 2010/03/15(月) 00:59:09|
  2. 書評 - 科学・技術
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花見川沿いに菜の花が咲いた

 今日、自転車で花見川沿いに走っていたら菜の花を見かけた。春来りぬ。

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↑対岸の菜の花。

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↑菜の花アップ。

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↑桜も咲いていた。

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↑釣り糸を垂れる太公望もちらほら。

 去年は似たような記事を4月5日に書いている。今年は去年よりも少し早いのかな。それとも菜の花が咲いている期間が長いのかな。

  1. 2010/03/14(日) 20:24:05|
  2. 千葉
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勝浦市勝浦からいすみ市岬町長者まで歩いてきた

 勝浦市勝浦からいすみ市岬町長者まで歩いてきた。

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↑御宿の月の砂漠の像

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↑強風で砂が運ばれていく。それもまた風紋のよう。日在浦にて。

 房総を歩くのは3ヶ月ぶりくらいだからか、足の裏が痛い。

2010年冬 - 千葉県・勝浦市勝浦~いすみ市岬町長者
http://nakayamayu.web.fc2.com/record/2010/10isumi/
  1. 2010/03/13(土) 22:42:20|
  2. 千葉
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ゴキブリが嫌われる理由は何か理性的に考えてみた

 日本に住んでいる人ならば北海道を除いてほとんどのひとがゴキブリを見たことがあると思う。私もときどき家で見かける。以前ひとり暮らししていたときは部屋が狭い分、寝る前にゴキブリを見てしまうと落ち着いて眠れずしばらく格闘した思い出がある。

 何にせよ、ゴキブリを好む人は少ないと思う。

 ゴキブリが嫌われる理由は何か。

 生理的に受け付けないというのは簡単だが、それは異文化コミュニケーションのアプローチとしては単なる拒絶でしかないし、ゴキブリにも失礼である。我ら人類よりずっと早くこの地上に現れた先駆者としてはもう少し敬意を払ってもいいだろう。

 そこでゴキブリが嫌われる理由を私なりに理性的に考えてみた。

虫だから
私はカナブンとかトンボとかバッタとかクモとかは気にならないので理由にならない。
飛ぶから
上にあげたカナブン、トンボなどは飛ぶがだからといって嫌いではない。
高速で徘徊するから
急に現れて高速で徘徊する物体があれば、ゴキブリでなくとも驚く。でも車の陰からネコが飛び出してきても驚きこそすれ嫌いにはならない。
ゴミの中にいるから
ゴミの中に虫がいたらその虫は嫌うだろう。しかし意外なことに私はゴミ袋の中でゴキブリを見たことはない。先入観だろうか。
黒光りするから
カブトムシとかクワガタとかも黒光りするが、別に嫌いではない。
油っこいから
油っこいのは触りたくない。でも触らなくてよいのであれば好きでも嫌いでもないと思う。

 というわけで意外にゴキブリを嫌う理由は決め手に欠ける。

 単なる先入観なのだろうか。

  1. 2010/03/12(金) 01:09:57|
  2. 日記
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SHOP99と99イチバは異なる店である

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 SHOP9999イチバ(現・みんなのイチバ)が違う店だといまさら知った。

 どちらも似たような業態、店構えだったので気付かなかった。

 きっかけは職場の近くの99イチバがみんなのイチバへ看板を変えたこと。何が変わったのか分からなかったが、店の看板が変わったのでおやと思い調べてみた。するとWikipediaにSHOP99と99イチバと2つの項目があり、気がついた。

 どちらも都内に店舗を展開しているし、ライバル同士だったのか。これから品揃えなど気をつけて見てみよう。

  1. 2010/03/11(木) 00:44:34|
  2. 東京
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飲酒運転で捕まる夢

 おととい家のふとんの中で見た夢。

 スキーの帰りに高速バスに乗ったからか、私は夢の中でも高速バスに乗っていた。そしてビールを飲んでいた。

 高速道路ではない一般道沿いの空き地でバスは停車し、私はバスを下車した。どうやらその空き地で飲み会を開くようだ。そうこうするうちに飲み会の残りのメンバーが1台の乗用車でやってきて車から下りたが、誰がやってきたのかは覚えていない。バスの傍らでそれを見ていたら私の立っていた横にあったトタンの壁のようなものが倒れてきた。そこでその壁が倒れないように支えていると警察がやってきた。警察は私の酒臭さと現場に残っていた乗用車で、私が飲酒運転をしていたと判断したが、私は倒れてくる壁を支えるのに精一杯だった。

 という何とも言えない窮地に立たされた夢であったが、私は誓って飲酒運転をしたことはない。そもそもシラフでも自動車の運転が苦手だし嫌いなのに、酒を飲んで車を運転するはずがない。

 その点では何だか嫌な夢であった。

  1. 2010/03/10(水) 00:12:18|
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勝田川拡幅工事馬橋上流

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↑勝田川の拡幅工事

 3月5日に夜勤明けで帰るとき、バスが20分待ちだったので歩いて帰った。

 帰る途中、勝田川を馬橋で渡るのだが、馬橋の下流側だけでなく上流側も流路の拡幅工事を行っていた。

 てっきり工事は花見川(新川)への流路付け替えだけだと思っていたので驚いた。どこまで上流側さかのぼって工事するのだろう。

  1. 2010/03/09(火) 00:59:59|
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志賀高原にスキーに行ってきた

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↑東館山スキー場にて東館山ゴンドラを背景に

 志賀高原にスキーに行ってきた。

 昨年秋に草津・長笹川ガラン谷へ行って以来、志賀高原の地形とスキー場の配置が気になっていたので行ってみた。

 志賀高原のスキー場は横手山、サンバレー、東館山、焼額山など多くのスキー場の集合体であり、リフト券などは共通である。今回は横手山、渋峠、焼額山、高天ガ原、東館山、寺子屋、発哺ブナ平、ジャイアントスキー場を巡った。1泊2日なので広く浅く巡ったつもりだが、それでも奥志賀高原、一ノ瀬、西館山、サンバレーなどは回れなかった。

 初日は雨で雪はベチョベチョで悪かったが、2日目は雪が積もり、快適な滑走が楽しめた。

 少々不満が残るのは、レンタルスキーの保険が強制加入(1日500円、ホテルハイツ志賀高原の場合)だったのと、リフト券のICチップをセンサーに読ませるとき姿勢を崩さないといけないのと、志賀高原ロープウェイが人をギュウギュウに詰め込まないと発車しない点である。他はオリンピックを開催したところだけあって満足だった。

  1. 2010/03/08(月) 00:38:44|
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船橋ラーメン横丁「匠屋」

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↑元祖梅塩らーめん700円

 今日、夜勤明けで船橋でラーメンを食べて帰ってきた。場所はJR船橋駅高架下の船橋ラーメン横丁匠屋。船橋ラーメン横丁は船橋ラーメン横丁「六角家船橋店」以来10日ぶりである。

 ほかにもラーメン屋が並んでいるが、前回来たときこの匠屋が一番混んでいたので、平日のチャンスを狙って匠屋に入った。一番人気らしい元祖梅塩らーめん700円を頼む。「あんばい」かと思ったら「塩梅」だった。

 鳥と魚介のだしらしい塩味で細麺が合う。梅干を崩しながら食べると酸味があってこれまたおいしい。こないだ混んでいたのもうなづけた。

 ただ店内が狭く、荷物を置くスペースもないのはよくないかな。

  1. 2010/03/05(金) 19:16:44|
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あらかわ遊園前で見かけた遮熱性舗装

 遮熱性舗装とは聞いたことがあったが、実際に見たことがなかった。

 遮熱性舗装とは道路のアルベドを高めて貯熱量を減らす手法である。偶然あらかわ遊園の前で見かけたので写真を撮ってきた。

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↑左端に写っている停止線から奥側が遮熱性舗装。灰色で可視波長でもアルベドが高いのがわかる。

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↑遮熱性舗装を示す看板。

 なんとなく普通の舗装の上にペイントしただけのように見えるけど、排水性とか経済性とかどうなんでしょうか。

  1. 2010/03/04(木) 00:52:46|
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人の体と雲はミクロ的な構造が似ている - 福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」

 遺伝子の発見 - 福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」のつづき。

 人を構成するタンパク質や分子などの要素は数カ月の間にすべて入れ替わっているという話。

 私たちは水や食料を摂取すると、その一部を吸収し、体の細胞の一部と置き換えていると考えているが、その置換対象が身体全体だそうだ。

 シェーンハイマーはネズミを重窒素で標識されたアミノ酸で3日間飼育し、その重窒素の収支を調べた。

 与えられた重窒素のうちなんと半分以上の56.5%が体を構成するタンパク質の中に取り込まれていた。しかも、その取り込み場所を探ると、身体のありとあらゆる部位に分散されていたのである。

福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書,2007)P.48

 脳や神経ですら1年前の私の細胞とは異なるということになる。

 そこで私の内面に起こってくる疑問は「私とは何か」ということである。「自分とは何か?」でも触れたが、私は高校のときそう問われて「自分の体」を「私」と定義した

 しかし現在の私の身体は1年前の私の身体と異なる、というのである。では私の感じる現在の私と1年前の私が同一であるという意識はどこから生まれてくるのだろうか。その考える主体や持っている記憶が同一であることはどのように説明がつくのだろうか。心身二元論の問題に陥ってしまう。

 一方で私が思うのは、その生物の姿は雲と似ているという直感である。

 一見すると雲はそれ自体が周囲と異なるひとつの空気塊に見えるが、実際には周囲とも大して異ならないし、ひとつの空気塊でもない。雲は単に水蒸気量が飽和した空気塊である。しかし雲のすぐ隣の透明な空気がカラカラに乾いているわけでもなく、相対湿度は連続的である。雲の部分だけがほかよりわずかに水蒸気量が多いだけである。また雲は周囲の空気と流入、流入をたえず繰り返している。結果、雲を構成する水蒸気は常に交替している。

 それは上で述べている生物を構成する要素は常に交替しているという話と同じではないか。

 マクロ的な視点から雲を雲と定義しているのであれば、私を規定するものもまた構成要素ではなく、マクロ的な視点から語られるべきなのかもしれない。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
(2007/05/18)
福岡 伸一

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  1. 2010/03/03(水) 00:30:16|
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NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」第138回「出動せよ 雲上のレスキュー隊」

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↑夏の長次郎谷出合(2009年夏 - 北アルプス・剱岳

 NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」第138回「出動せよ 雲上のレスキュー隊」を見た。

 番組では富山県の山岳警備隊分隊長を取り上げており、遭難者の救助が主な映像であった。谷(映像を見るとたぶん平蔵谷)に滑落した登山者を、天候とヘリの接近可能性を見極めながら、一度剱沢に下ろし剱沢小屋手前でヘリにピックアップされるシーンは見ている方にも力が入った。他にも剱沢小屋から一服剱まで30分で走ったり、スタジオ内で遭難者を模した茂木健一郎を背負って壁を下りたりなど、超人的な運動を見せてもらった。

 驚くことに30歳から山岳警備隊に配属され、それから山を始めてこれほどまでの実力を身につけたという。本人は謙虚にしていたが、人一倍の熱意を持って練習したのだろうし、それだけ山が好きなのだと思う。

 山田さんが印象に残っていることのひとつに、駆け出しの頃、遭難の際に山小屋の人たちが自然と集まってきて救助活動に手を貸してくれた。それを見て「すごいですね」と答えると山小屋の人は「そんなもの、当たり前やちゃ」と答えたという。

 私自身は幸い、山で警察のお世話になったことはない。しかし年末の剱岳では馬場島での登山届の受付や早月小屋での各パーティーの行動把握、トイレの除雪など、登山者の遭難防止に徹底して気を配っていた。その行動に感謝と敬意の念はたえない。その行動の根底には「困っている人を助ける」というごく基本的な道徳が備わっているからなのかもしれない。

 本当にご苦労さまである。

  1. 2010/03/02(火) 23:29:46|
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遺伝子の発見 - 福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」

 福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」を読んでいる。

 単に「生物と無生物のあいだ」を説明しようとするだけでなく、遺伝子の発見から遺伝子の構造解析の過程、そして著者の主張する動的平衡を説明している。途中で関連する情景、例えばロックフェラー大学のあるニューヨークのようす、遺伝子のらせん構造発見に関するドラマなど、ノンフィクションの要素も含めながらなので専門的なわりに読みやすい。

 本書で触れられている遺伝子の発見の過程は私も知らなかった。

 肺炎は肺炎双球菌という菌が引き起こすが、肺炎双球菌には強い病原性を持つS型と病原性を持たないR型に分けられる。

 病原性のあるS型の菌を加熱によって殺す。これを実験動物に注射しても肺炎は起こらない。当然である。また、病原性のないR型の菌をそのまま実験動物にに注射しても肺炎は起こらない。これまた当然である。しかし、死んでいるS型菌と生きているR型菌を混ぜて実験動物に注射すると、なんと肺炎が起こり、動物の体内からは、生きているS型菌が発見されたのだ。

福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書,2007)P.44-45

 エイブリーはR型菌をS型菌に変化させる物質を究明しようとした。それが遺伝子である。

 肺炎双球菌の一タイプであるS型菌(病原型)からDNAを抽出し、これをR型菌(非病原型)と一緒に混ぜ合わせる。DNAのごく一部はR型菌の菌体内部に取り込まれる。すると、R型菌は、S型菌に変化し、肺炎を引きおこすようになったのだ。つまり、DNAという物質は確かに生命の形質を転換する働きがある。

福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書,2007)P.48

 既存の科学で説明できない事象を、まったく異なった考え方で説明するブレイクスルーは読んでいて面白い。火星の逆行を説明する地動説やエーテルの存在を否定する特殊相対性理論などがそうである。多くの人が挑戦し、核心に迫るもののなかなか最後のピースが埋まらず、最後に既成概念をひっくり返す新しい概念が打ち立てられるのは精神的カタルシスがある。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
(2007/05/18)
福岡 伸一

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  1. 2010/03/02(火) 00:10:00|
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私はスキーに何回行っているか

 私はスキーに何回行っているか。

 舞子スキー場に行ったとき、問われて分からず、適当に10回くらいと答えたが、よく分からない。数えてみることにした。

場所 回数
1995 スキーイングイン津田沼 1
1996 高原千葉村 2
ザウス
2000 木島平スキー場 2
苗場スキー場
2002 上越国際スキー場[東工大WV] 2
白馬八方尾根スキー場[東工大WV]
2008 妙高杉ノ原スキー場 2
富良野スキー場
2009 苗場スキー場 3
みやぎ蔵王すみかわスノーパーク
かぐらスキー場
2010 表万座スキー場と万座温泉スキー場 3
舞子スキー場
志賀高原スキー場(今週末予定)
15

 スキーイングイン津田沼とザウスは室内スキー場なので、これらを含むかどうかは議論の分かれるところであろうが、この2つを含めると舞子スキー場の時点では14回目ということになる。

 私自身は10回前後だと思っていたので、意外に多い。

  1. 2010/03/01(月) 23:32:54|
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