島ノ中ニ有リblog

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絵本「ちいさいおうち」のあらすじ

 2005年ごろ読んでいた本で言及している絵本「ちいさいおうち」を実家で見つけたのであらすじを紹介する。

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↑絵本「ちいさいおうち」表紙

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↑本を開いたところ。海外作家にも関わらず「おはなしとえ ばーじにあ・ばーとん」とひらがなしか使われていないところに小さい子供向けとわかる。

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↑「むかしむかし、ずっと いなかの しずかな ところに、ちいさい おうちが ありました」から始まる物語。

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↑穏やかなところに建っていたちいさいおうちだが、読み進むにつれ都市化の波が押し寄せてくる。

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↑やがて周囲にビルが建ち、

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↑高層ビルに囲まれ、目の前を高架線や路面電車が走るようになる。

「まちに すむのは きらいだ」と、ちいさい おうちは おもいました。

 そして、よるに なると いなかの けしきを ゆめに みました。いなかでは、しろい ひなぎくや りんごの 木が、お月さまの ひかりの なかで おどって いました。

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↑ちいさいおうちに住んでいた子孫がこのおうちを見つけ、曳家で移設を試みる。

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↑新たな田舎を見つけてちいさいおうちはそこに移設される。

 ちいさい おうちは もう 二どと まちへ いきたいとは おもいませんでした。

 ちいさい おうちの うえで ほしが きらきら またたきます。みかづきも でました。

 いまは はるです…… いなかは たいへん しずかでした……

 という節で終わる。

 「きかんしゃやえもん」や「おさるのじょーじ」など他にも絵本はあったのに、この本が印象に残っているのは私が土木工学を専攻したことと関係が深い。というよりこの本を読んだから土木工学を学ぼうと思ったと言っても過言ではない。

 子供の頃この本の前半を読みながら大きな建物が建ち、太い道路ができ、鉄道が敷かれることはいいことだと思っていた。大きなものに憧れ、鉄道や車に興味を持つのは男の子には自然な考えだと思う。しかし終盤にいたり、ちいさいおうちがさびしがる様子をみて何とも言えない気持ちになった。高度な土地利用を追い求め便利さを追求することは果たして良いことなのか。ひいては合理化を推し進めることは正義なのか、モダニズムへの疑義が提示されていた。当時そんな難しいことは考えていないけれども都市化した中にたたずむちいさいおうちが幸せと感じられないのは確かであった。Civil Engineeringを土木工学と訳しているが、市民の幸せとは何なのか、土木工学者に投げかけるものは大きいと思う。

 手元にある本は岩波書店の昭和29年第1刷発行、昭和48年第19刷発行。原題は「The Little House」、著者はVirginia Lee Burton。原著がいつ発行かわからないが、20世紀前半の高度化する都市を見ながらこの絵本を書いたのだろうか。都市計画をテーマにした絵本なんてなかなかないだろうが、21世紀のいまも十分に訴えかけるテーマの本だと思う。

  1. 2015/01/11(日) 23:22:07|
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吉村昭「三陸海岸大津波」

 吉村昭「三陸海岸大津波」を読んだ。

 明治29年、昭和8年、そして昭和35年。青森・岩手・宮城の三県にわたる三陸沿岸は三たび大津波に教われ、人々に悲劇をもたらした。大津波はどのようにやってきたか、生死を分けたのは何だったのか——前兆、被害、救援のようすを体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の書。この歴史から学ぶものは多い。

吉村昭「三陸海岸大津波」裏表紙
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↑名取市閖上湊神社の丘の上からの眺め。

 東日本大震災後、いくつかのメディアで取り上げていた気がするが、なかなか古本屋に並ばなかった。吉村昭の著書はいくつか読んでいるが、この本は知らなかった。著者は各地の古老の話や残る文献を集めてこの本を作り上げている。そこには数々の証言が生々しく記述されている。

 山から下の方を見ると一面に火が燃えて、その火の中から片方の手を挙げて、

「助けろ——、助けろ——」

 と叫んで居るのが見えました。そのかわいそうな事といったら何とも言われない程でした。どこの人達も涙をこぼさない人はありませんでした。そうして居るうちに、夜は段々明けて参りました。

吉村昭「三陸海岸大津波」P.138

 言い伝えを信じたがために亡くなった人もいるようだ。

 しかし、三陸沿岸の住民には、一つの言い伝えがあった。それは、冬期と晴天の日には津波の来襲がないということであった。その折も多くの老人達が、

「天候は晴れだし、冬だから津波はこない」

 と、断言し、それを信じたほとんどの人は再び眠りの中に落ち込んでいった。

吉村昭「三陸海岸大津波」P.89

 阪神・淡路大震災以前も「関西には大地震はやってこない」という安全神話が信じられていた。実際には阪神・淡路大震災は大きな被害をもたらした。また、この本にはこないだ訪れた仙台市荒浜や名取市閖上などは載っていないが、リアス式海岸でないためこれまで大きな被害はあまりなかったのだろう。あれだけの被害は想定していなかったと思う。天災は忘れたころにやってくる、という寺田寅彦のことばを思い出す。

 また、地震予知とも思われる記述もいくつかある。井戸水の減少、大豊漁、発光現象など。現在のところ、数日〜数時間スケールでの地震の予知には成功例がないが、このような記録が十分に蓄積すれば一定の法則性が認められるかもしれない。一方で新田次郎「虹の人」のように地震の前に発生する虹は統計的に否定された例もある。いずれにしろ、有意となるだけの例の数が必要である。

 吉村昭らしい丹念に現地を調べ、淡々と事実を述べるという筆致がいかされていると思う。津波が恐ろしいことはみんな知っている。その土地の古老が自身の経験を土地の人間に伝えていることも想像に難くない。しかし、それを一つ一つていねいに聞いて回り、まとめあげるのは容易ではない。吉村昭だからこそできた著述だと思う。


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  1. 2014/06/27(金) 23:22:58|
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国土地理院の三宅島の火山地図

 「活火山 活断層 赤色立体地図でみる 日本の凸凹」の関連。

 三宅島は2,000年に噴火したこともあり、上記の書籍以外にもインターネット上には火山に関する資料がヒットする。特に国土地理院が公開している火山の地図は充実している。他の火山で公開されている火山基本図、火山土地条件図に限らず、三宅島噴火地形図(1:5000)、1:25,000災害現況図が公開されており、特に三宅島噴火地形図(1:5000)は5m間隔の等高線で表現されており、登山者が見慣れている25,000分の1地形図よりも詳細な地形が読み取れる。

 見事な火口の地形が描かれているので、地形図が好きな人は飽きないだろう。

  1. 2012/10/18(木) 00:11:08|
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活火山 活断層 赤色立体地図でみる 日本の凸凹

 「高校生、三宅島の火山地形を探る」で参考文献に載っていた「活火山 活断層 赤色立体地図でみる 日本の凸凹」を買った。

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↑三宅島のページは4ページ割かれている。あちこちに火口があるのがわかる。

 真ん中の2000年カルデラをはじめ、大路池、新澪池、甑穴、高校のある八重間爆裂火口などがくっきり見える。また、金曽沢や三池浜がカールであるとか、鉄砲沢・夕景沢の溶岩流の流れなど、知らなかった地形が見えてくる。

 欲を言えば解像度が2倍くらい高いと、雨裂の筋がよく見えてよい。眺めていて飽きない地図である。


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  1. 2012/10/17(水) 00:28:28|
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単線トンネル2本か複線トンネル1本か - 持田豊「青函トンネルから英仏海峡トンネルへ 地質・気質・文化の壁をこえて」

 持田豊「青函トンネルから英仏海峡トンネルへ 地質・気質・文化の壁をこえて」(中公新書,1994)を読んだ。

 青函トンネルのルートの選定、海底地質採取や音波探査、在来線を通すか新幹線を通すかによるトンネルの勾配の決定、単線トンネル2本か複線トンネル1本か、といった計画・設計の話から、施工時の出水事故の対応や切羽より先の地質を調査する先進水平ボーリング、モーダルシフト下での鉄道トンネルの利用可能性の検討などさまざまな問題とその解決について述べてある。

 海底トンネルは都市トンネルというよりは山岳トンネルに近い気がするが、わずかながらトンネルの設計に携わったことのある身としては参考になった。

 特に「単線トンネル2本か複線トンネル1本か」という問題は一般解がないため、その検討は難しい。関門トンネルは単線2本、丹那トンネルは複線1本、清水トンネルは単線1本(のち単線2本)、ユーロトンネルは単線2本といった感じである。

  1. 複数トンネルだと掘る断面積が大きくなるので、悪い地質の多く予想される青函トンネルでは、断面の小さい単線トンネルを二本掘ったほうが技術的には容易である。
  2. 新幹線となると全国ネットワークとなるので、新幹線車両、信号などのさらなる新開発に対応できるように、現在やっている新幹線の複線トンネルに合わせておいたほうが改良のネックには鳴らない。
  3. 断面が大きいと、通風・換気や高速列車の空気抵抗はかなり小さくなる。特に長大なトンネルでは、高速であればあるほど空気抵抗の影響が大きくなる。つまり複線一本が有利。
  4. 複線一本の方が、単線二本よりも合計の掘削断面は小さいし、対策が集中できる。
持田豊「青函トンネルから英仏海峡トンネルへ 地質・気質・文化の壁をこえて」(中公新書,1994)pp. 59-60

 結局、複線一本で決着したのだが、それには多くの技術者の議論を経ていたようだ。


青函トンネルから英仏海峡トンネルへ―地質・気質・文化の壁をこえて (中公新書)青函トンネルから英仏海峡トンネルへ―地質・気質・文化の壁をこえて (中公新書)
(1994/08)
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  1. 2011/05/26(木) 00:19:24|
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大野輝之、レイコ・ハベ・エバンス「都市開発を考える―アメリカと日本」

 大野輝之、レイコ・ハベ・エバンス「都市開発を考える―アメリカと日本」を読んでいる。

 まえがきで著者らは、アメリカでの民間開発が住民を巻き込み、多岐の項目にわたって環境アセスメントを行っているのに対し、それを参考にしたと言われる日本での民間開発が単なる規制緩和であり、それがむしろ無計画な都市の高層化、ダウンタウンの衰退を招いたとしている。

 第1章ではアメリカ・サンフランシスコでのミッションベイというところでの開発を例に住民参画のようすについて述べている。

 ミッションベイの開発プロセスは、住民参加の度合いが、アメリカの都市計画市場でも、まれに見るほど徹底したものであると言われている。この住民参加の計画プロセスは、1985年9月の週末2日間を使って民間コンサルタントの事務所で催された「シャレット」と呼ばれる合同ブレイン・ストーミング手法による会合で始まった。シャレットにはコミュニティ活動家、ディベロッパー、都市計画局の計画官と民間コンサルタントなどが十数人集まり、おのおのの立場からクリエイティブなアイデアが出され、その場で開発計画のタタキ台になる案が作りだされた。

大野輝之、レイコ・ハベ・エバンス「都市開発を考える―アメリカと日本」(岩波新書,1996)P.22

 私が思うに、日本でこのような住民参加による都市計画の決定は無理ではないかと思う。日本は人口密度が高く、しかも山のきわから海っぱたまでまんべんなく人が住んでいる。例えば原子力発電所、ゴミの処分場、下水処理場といったいわゆる迷惑施設を建てようと思うとどうしても住民の近くに建てなければならない。多くの場合、それらの建物は忌避され計画は簡単に進まない。

 迷惑施設だけでなく、道路もいまだ戦後の計画を引きずっている。東京の環状八号線が完成したのは平成18年のことだし、環状二号線、別名マッカーサー道路は事業を行っているところだ。公園の子どもの声ですらうるさいとして噴水使用の差し止めが行われる世の中で合意形成が可能とはとても思えない。

 傾向としては昔に比べて市民がより声高に自らの主張を行うようになってきている気がする。


都市開発を考える―アメリカと日本 (岩波新書)都市開発を考える―アメリカと日本 (岩波新書)
(1992/02)
大野 輝之レイコ・ハベ エバンス

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  1. 2010/09/01(水) 00:02:40|
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矢野健太郎「すばらしい数学者たち」

 ピタゴラス、アルキメデス、タルタリアとカルダノ、パスカルなど有名な数学者のエピソードをメインに、それぞれの数学者の業績に触れていく、どちらかというと数学嫌いな人向けの本。あまり知られていないエピソードも織り込まれているので数学を知っている人も楽しめる。

ピタゴラスの音階
ドとソと高いドは弦の長さの比が調和数列になっていて、振動数がその逆数の等差数列になっているそうだ。でもドレミファソラシドのそれぞれの振動数は決まった数列にはならないようだ。
ユークリッド「この男にお金をおやり」
幾何学を習い始めた青年がユークリッドに「何の得があるのでしょうか」とユークリッドに問うたら、ユークリッドは「この男にお金をおやり。この男は、学問をしたら何か現実的な得をしなければならないと思っているようだから」と答えたそうだ。学問の本質は本人の探究心によるということを思い知らされる言葉。
フェルマーによる微分
フェルマーは曲線y = f(x)の極値をとる変数の値xを、ある点x0のとる値y = f(x0)と微小距離e離れた点のとる値y = f(x0+e)は等しい、ということから求めた。極値に限っているが、やり方は微分の方法と変わらない。微分はニュートンとライプニッツがそれぞれ発見したといわれているが、フェルマーも惜しかったのか。

 といった感じ。


すばらしい数学者たち 改版 (新潮文庫 や 10-3)すばらしい数学者たち 改版 (新潮文庫 や 10-3)
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矢野 健太郎

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  1. 2010/05/20(木) 22:42:57|
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ドミナント・ネガティブ現象 - 福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」

 人の体と雲はミクロ的な構造が似ている - 福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」の続き。

 こんな式をつくってみた。

 上の式は間違っている。数学の規則に従うなら。

 しかし生物分子の欠落に関する限り、これが成り立つようだ。ドミナント・ネガティブ現象というそうで、上の式はそれを読んで私が作成した。

 タンパク質分子の部分的な欠落や局所的な改変のほうが、分子全体の欠落よりも、優位に害作用ドミナント・ネガティブを与える。

福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書,2007)P.266

 細かい話は本を読んでいただくとして、上の式は以下のような解釈だ。

  1. ある機能を果たすタンパク質は、それ全体が欠落すると他のタンパク質が代替してその機能を果たすことがある。
  2. ある機能を果たすタンパク質は、その一部が欠落すると他のタンパク質が代替することはなくその機能は発現しない。

 第1項は「ある機能を果たすタンパク質」、第2項は「欠落するタンパク質の割合」、第3項は「その機能が発現するか否か」というわけで厳密には等式ではないが、伝えたいところはわかると思う。

 生物の構造とはかくも複雑なものか。

  1. 2010/03/15(月) 00:59:09|
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人の体と雲はミクロ的な構造が似ている - 福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」

 遺伝子の発見 - 福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」のつづき。

 人を構成するタンパク質や分子などの要素は数カ月の間にすべて入れ替わっているという話。

 私たちは水や食料を摂取すると、その一部を吸収し、体の細胞の一部と置き換えていると考えているが、その置換対象が身体全体だそうだ。

 シェーンハイマーはネズミを重窒素で標識されたアミノ酸で3日間飼育し、その重窒素の収支を調べた。

 与えられた重窒素のうちなんと半分以上の56.5%が体を構成するタンパク質の中に取り込まれていた。しかも、その取り込み場所を探ると、身体のありとあらゆる部位に分散されていたのである。

福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書,2007)P.48

 脳や神経ですら1年前の私の細胞とは異なるということになる。

 そこで私の内面に起こってくる疑問は「私とは何か」ということである。「自分とは何か?」でも触れたが、私は高校のときそう問われて「自分の体」を「私」と定義した

 しかし現在の私の身体は1年前の私の身体と異なる、というのである。では私の感じる現在の私と1年前の私が同一であるという意識はどこから生まれてくるのだろうか。その考える主体や持っている記憶が同一であることはどのように説明がつくのだろうか。心身二元論の問題に陥ってしまう。

 一方で私が思うのは、その生物の姿は雲と似ているという直感である。

 一見すると雲はそれ自体が周囲と異なるひとつの空気塊に見えるが、実際には周囲とも大して異ならないし、ひとつの空気塊でもない。雲は単に水蒸気量が飽和した空気塊である。しかし雲のすぐ隣の透明な空気がカラカラに乾いているわけでもなく、相対湿度は連続的である。雲の部分だけがほかよりわずかに水蒸気量が多いだけである。また雲は周囲の空気と流入、流入をたえず繰り返している。結果、雲を構成する水蒸気は常に交替している。

 それは上で述べている生物を構成する要素は常に交替しているという話と同じではないか。

 マクロ的な視点から雲を雲と定義しているのであれば、私を規定するものもまた構成要素ではなく、マクロ的な視点から語られるべきなのかもしれない。

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福岡 伸一

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  1. 2010/03/03(水) 00:30:16|
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遺伝子の発見 - 福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」

 福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」を読んでいる。

 単に「生物と無生物のあいだ」を説明しようとするだけでなく、遺伝子の発見から遺伝子の構造解析の過程、そして著者の主張する動的平衡を説明している。途中で関連する情景、例えばロックフェラー大学のあるニューヨークのようす、遺伝子のらせん構造発見に関するドラマなど、ノンフィクションの要素も含めながらなので専門的なわりに読みやすい。

 本書で触れられている遺伝子の発見の過程は私も知らなかった。

 肺炎は肺炎双球菌という菌が引き起こすが、肺炎双球菌には強い病原性を持つS型と病原性を持たないR型に分けられる。

 病原性のあるS型の菌を加熱によって殺す。これを実験動物に注射しても肺炎は起こらない。当然である。また、病原性のないR型の菌をそのまま実験動物にに注射しても肺炎は起こらない。これまた当然である。しかし、死んでいるS型菌と生きているR型菌を混ぜて実験動物に注射すると、なんと肺炎が起こり、動物の体内からは、生きているS型菌が発見されたのだ。

福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書,2007)P.44-45

 エイブリーはR型菌をS型菌に変化させる物質を究明しようとした。それが遺伝子である。

 肺炎双球菌の一タイプであるS型菌(病原型)からDNAを抽出し、これをR型菌(非病原型)と一緒に混ぜ合わせる。DNAのごく一部はR型菌の菌体内部に取り込まれる。すると、R型菌は、S型菌に変化し、肺炎を引きおこすようになったのだ。つまり、DNAという物質は確かに生命の形質を転換する働きがある。

福岡 伸一「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書,2007)P.48

 既存の科学で説明できない事象を、まったく異なった考え方で説明するブレイクスルーは読んでいて面白い。火星の逆行を説明する地動説やエーテルの存在を否定する特殊相対性理論などがそうである。多くの人が挑戦し、核心に迫るもののなかなか最後のピースが埋まらず、最後に既成概念をひっくり返す新しい概念が打ち立てられるのは精神的カタルシスがある。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
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福岡 伸一

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  1. 2010/03/02(火) 00:10:00|
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