山ノ中ニ有リblog

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浅田次郎「あなたに会いたい」の朗読

 浅田次郎「あなたに会いたい」の朗読をラジオで聞いた。

 奥多摩つづら岩に向かう途中のこと、川島さんがラジオを流していた。歩きながらなので全部は聞けていないし、放送局も番組名も分からなかったのだが、朗読の滑舌がよかったのでよく聞き取れた。

 自らの会社を海外展開する企業に成長させた内藤。東北の地で開催されたシンポジウムでの講演後、大学進学以来1度も帰らなかった故郷の農村を訪ねる。レンタカーを運転し、カーナビのおすすめルートに従っていくと、車は見覚えのある場所へ入っていく…。

 内藤には苦い記憶があった。故郷とともに無残に捨て去った女性がいたのだ。内藤の耳に、長年封印していた女性の声がよみがえる…。

NHK ラジオ文芸館

 ただ内容が、内藤は若い頃その女を貪るように抱いただの、山奥のラブホテルがどうのと、朝っぱらから聞く内容と思えない。何か深夜ドラマみたいな内容ですね、と話しながら歩いた。物語は終わりにかけてホラーの要素を増し、世にも奇妙な物語みたいな結末であった。

 朝からNHKがこんな放送をしていることに驚きだし、ホームページを調べてみたらアンコール放送みたいだし、人気があるみたいだ。浅田次郎って読んだことないけど、こんな小説書いているのか。

  1. 2016/10/23(日) 23:37:01|
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島崎藤村「破戒」

 島崎藤村「破戒」を読んだ。

 新田次郎「聖職の碑」を読んだあとで、長野県つながり。出だしが「木曽路はすべて山の中である」と勘違いしていて、飯山から話が始まったのが肩透かしであった。「木曽路は…」は同じ島崎藤村の「夜明け前」だそうだ。

 有名な小説なので内容はごく簡単にまとめる。時は明治、穢多の生まれである主人公、瀬川丑松は長野県飯山の小学校で教鞭をとっていた。父からは出生をただ「隠せ」と戒められたが、穢多の生まれである思想家・猪子連太郎の考えに惹かれるようになる。ふとしたきっかけで丑松が卑しい生まれであるという噂が流れ、彼は教壇でその生まれについて告白する、という物語。

 センセーショナルな小説であったのだろう。末尾の評論文を読むと、全国水平社の批判により一時絶版あるいは改訂版にしたり、初版の「穢多」を訂正本では「部落民」に言い換えたりしたそうだ。評論の指摘通り物語は結末に至って確かに問題が解決していない。

『破戒』の弱点は何だろうか。それは『破戒』が部落民の問題をとりあげ、人間が同じ人間から差別されるわけはないというところから、問題を考えようとしながら、どうして人間は互いに対等なのかという理由を根拠づけることができないのである。

野間 宏,「破戒」について,『破戒』巻末P.345

 小説は逃避に近い結末となっている。もっともテキサスへの移住は妙にリベラルな長野県民らしい気もする。

 現代においても差別の問題は残っている。橋下大阪市長が部落出身であると週刊誌が報じた際、橋下市長は生まれによって差別する報道機関の取材は受けないと主張したことは記憶に新しい。

 一方で、テロリストが警察官や入国審査官になったりしないよう就職の際に素性を調べるということはあるのかもしれないし、家によっては結婚の際相手の家柄を調べることは今でもあるだろう。それらは職務上仕方ないことだったり、その家の思想だろうから表立って批判しなければ、問題にはならないように感じる。

 私自身も仕事柄、人権問題の研修を受けることがあるが、部落差別についてはいまいちイメージが湧かない。具体例があまり示されないというのが大きな理由だが、具体的な地名を示せば差別を引き起こすということなのだろうか。他の人にも同じ疑問があるのか、最近の人権問題の研修では単に部落差別だけでなく、男女差別、障害者差別、外国人差別など幅広い差別をとりあげているように感じる。

 私自身も生まれがどうだかはよくわかっていない。貴い生まれではなさそうだが、部落民なのかというとよく分からない。問われたこともないし、仮にそうだとしても私自身気にならない。私だって下水のマンホールの中に入る仕事をしたこともあるし、そういう意味では下賎な人間かもしれない。私は職業に貴賎なしと考えていて、私にできないことを行う人は誰だって尊敬している。

 人の出身を聞くときは市町村を聞くまででその先の住所を聞いてもどうせ分からない。近年は運転免許証にも本籍地を載せないし、住民票も本籍地を掲載するかどうか選べる。どうしても気になるなら本籍を移せばいい。

 私が単に無知だからか生まれによる差別の問題はあんまり問題として認識できていない。ひょっとしたら知らずに人を傷つけているのかもしれないが、研修で習った程度には気をつけようと思う。

  1. 2015/06/05(金) 00:45:42|
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夢野久作「ドグラ・マグラ」

 夢野久作「ドグラ・マグラ」を読んだ。

 かれこれ本を読まなくなって1年が経ったが、先週、内地に行くときに読破した。結局1年6カ月かかった計算になる。これほど長い時間をかけて1冊の本を読んだのは人生でも初めてだ。聖書でも1年で一応読み切った。

 さて、表題の本だが、表紙には上下巻とも呆けた顔の女性がポーズをとっており、陰部に「角川文庫」のロゴが入るという官能小説に似たデザインとなっている。電車の中で読むにはちょっと躊躇する表紙である。

「ドグラ・マグラ」は、昭和10年1月、1500枚の書き下ろし作品として、松柏館書店から自費出版された。

<日本一幻魔怪奇の本格探偵小説><日本探偵小説界の最高峰><幻怪、妖麗、グロテスク、エロテイシズムの極>とうたった宣伝文句は、読書界の大きな話題を呼んだが、常人の頭では考えられぬ、余りに奇抜な内容のため、毀誉褒貶が相半ばし、今日にいたるも変わらない。

<これを書くために行きてきた>と著者自ら語り、十余年の歳月をかけた推敲によって完成された内容は、狂人の書いた推理小説という、異常な状況設定の中に、著者の思想、知識を集大成する。これを読むものは、一度は精神に異常をきたすと伝えられる、一大奇書。

夢野久作「ドグラ・マグラ」上巻裏表紙

 読んだときの面白さを損なわないように説明すると以下のようになるだろうか。

 話は九州帝国大学の精神病棟で「私」が起きるところから始まる。「私」は一切の記憶がなく、若林教授が記憶を取り戻させようと学生の姿をさせたり、若い女性を見て何か思い出さないか問うたりするものの何も思い出せない。若林教授から亡くなったと聞いた正木教授から断片的な経緯を聞くが、正木教授はそのうちすべて分かるだろうとのらりくらりと核心に触れないように話を進め、「私」は何者なのか分からない。

 小説のタイトル「ドグラ・マグラ」については若林教授が劇中で説明している。

「ハイ。それは、やはり精神病者の心理状況の不可思議さを表現した珍奇な、面白い製作の一つです。当科の主任の正木先生が亡くなられますと間もなく、やはりこの付属病室に収容されております一人の若い大学生の患者が、一気呵成に書き上げて、私の手元に提出したものですが……」。

(中略)

 つまりその青年が、正木先生と私とのために、この病室に幽閉められて、想像もおよばない恐ろしい精神科学の実験を受けている苦しみを詳細に描写したものにすぎないのですが」

夢野久作「ドグラ・マグラ」上巻pp.88-90

 器の話ばかりで感想がうまく書けないが、自分が何者なのか、何をしてきたのか、ということがいかにあやふやだということを提起している小説と感じた。世界五分前仮説やスワンプマンに代表されるような、一般に常識とされることが疑ってみると不確かであり、何が現実で夢かが分からない。

 驚きはこの小説を昭和10年に書き上げたということである。当時最新だったであろうフロイト、ユングといった無意識の概念を使いつつ小説全体を怪しいものに仕上げている。

 何とも表現しがたい小説であるが、若林教授の指摘する切支丹伴天連の使う原魔術のことを言った長崎地方の方言だそうで、…(中略)…強いて訳しますれば、今の幻魔術もしくは『堂廻目眩(どうめぐりめぐらみ)』『戸惑面喰(とまどいめんくらい)』という字を当てておなじように『ドグラ・マグラ』と読ませてもよろしい…という通りだと思う。


ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)
(1976/10)
夢野 久作

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  1. 2014/06/19(木) 01:12:43|
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「海暗」の家系図

 最近、竹芝行きの船の中で、有吉佐和子「海暗」を読んでいる。

 御蔵島を舞台にした小説であり、昭和38年の米軍射爆場内定を受けて島が大騒ぎになる。その中で御蔵島から出たことのないオオヨン婆が古いけれども芯の通った考えで、補償金に揺れる島民を諭す。人から借りたのだが、この本、絶版らしい。

 オオヨン婆は御蔵島が一番住みよい場所だと信じていて、東京の都会っぷりを知っている人とのやり取りが面白い。例えばひ孫の時子を嫁に呼びに行く、孫のお民に島の特産品を渡そうとするシーン。

「お民、これ持ってけや。時子と喰え。」

「なんだ、こりゃあ」

「シオガラにアシタバに、里芋だ。カツオドリの塩漬けも二羽分入れてあるぞ」

 お民は笑い出した。

「そんなもん、持って行ったら笑われるぞ、オオヨン婆。俺は、いらねえ。時子も喰うもんか」

「なして」

「俺はこれから東京へ行くだぞ、オオヨン婆。東京にはなんぼでも旨え喰いもんがあるのに、なして里芋まで持って行かねばなんねえだ。戦争中とは違うだぞ。戦争は十八年も前に終わってよ、東京にはく喰いもんが山とあるだんきゃ」

「しゃらくせえことを云うな。東京にアシタバがあるか、カツオドリがあるか。御蔵の里芋はお前、日本一旨えというだぞ。これをシオガラで煮て時子に喰わしてやれ」

「時子は東京の有名なホテルにいるだぞ。口が奢っているだから、シオガラなんぞを旨えと思うものか」

有吉佐和子「海暗」(新潮文庫,1987)P.58

 実直なオオヨン婆のようすが微笑ましい。射爆場、とは穏やかでない深刻な悩みなのだが、オオヨン婆の話しを聞いていると単純明快、不思議と納得する。そのカタルシスもよい。

 ところで、この小説、オオヨン婆の親類がたくさん出てきて誰がどういう関係だか分からないので家系図をつくってみた。

umikura-family-tree.png

↑有吉佐和子「海暗」の家系図

 長男、次男などの順番はあやしいが、だいたい合っていると思う。


海暗(うみくら) (新潮文庫 あ 5-7)海暗(うみくら) (新潮文庫 あ 5-7)
(1972/10)
有吉 佐和子

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  1. 2012/11/27(火) 00:01:57|
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立松和平「光の雨」

 立松和平「光の雨」を読んだ。

 この著者は岳人の百霊峰巡礼という連載で知ったが、作家ということを知っていただけでどのような作品があるのかも知らなかった。あるとき「光の雨」という連合赤軍事件を題材にした作品があるということを知り、読んでみた。

 2030年。玉井潔は、60年前の〈あの事件〉のために死刑判決を受けた後、釈放された過去を持つ。死期を悟った彼は、事件の事実を伝え遺すべく、若いカップル相手に、自分達が夢見た「革命」とその破局の、長い長い物語を語り始めた。(後略)

立松和平「光の雨」(新潮文庫,2001)裏表紙

 という、少々変わった枠組みの小説。連合赤軍事件を元にしたフィクションである。

 ストーリーの主眼は、革命を目的にした赤軍のメンバーはなぜ総括という名のリンチを行い、同志を殺してきたのかという思考のプロセスにある。そのため、あさま山荘事件はあっさり書かれている。

 私は以前、以下のように書いており、その疑問にまさに答えている小説であると思う。

 事件の異常性は、思想に大きな偏りはあるものの身体は健全な青年たちがなぜ同志をリンチにかけていったのか、という点にある。思想を純化するとはいえ、死んでしまっては達成できる革命も達成できなくなってしまう。リンチの繰り返しでひとりになってしまっては、革命を起こすのは無理である。外部から閉鎖された集団生活が彼らを異常にしたのだろうと思うが、その過程はどのようなものであったのだろう。

山ノ中ニ有リblog 山本直樹「レッド」

 たとえばメンバーへの総括の端緒となった高田ゆみへの追求は、お化粧が理由であった。上杉和枝は以下のように批判する。

「あなた、街で普通の生活をしている時と、意識がまったく変わってないんじゃないの。銃を持つ時も、金の鎖のネックレスをしているし。お化粧の道具をいつも持って歩いているんでしょう。山の中でそんなことが必要なの。そんなお嬢さんみたいなことで、殲滅戦を戦い抜くことができるのかしら」

立松和平「光の雨」(新潮文庫,2001)P.346

「革命戦士としてのあるべき姿があるでしょう。革命戦士は魂の底まで純粋に革命戦士でなければいけないのよ。革命戦士をめざしているあなたが、革命戦士への決意表明中にお化粧をしたり、軍事訓練中に金のネックレスをしていたりすることが、命を捧げて革命戦争を闘おうとしている同志の目障りだということに気づかないの。革命の拠点にスキーをするような服を着てきたりするあなたの、革命戦士だと自分でいうその意識を問いたいのよ。いくらなんでも、ここまでいえばわかるでしょう」

立松和平「光の雨」(新潮文庫,2001)P.349-350

 これに対して高田ゆみはこう答える。

「わからない。というより、そんなことで批判されるのが理解できない」

立松和平「光の雨」(新潮文庫,2001)P.350

 私は高田ゆみの意見と同じである。風紀を正す、ということなら「以降気をつけるように」で話は終わるが、精神論まで掲げられると理解できない。もはや宗教と変わりない。

 それを倉重鉄太郎は何だかよくわからない理論で正当化する。

「程度の差こそあれ、我々には個別に生きてきた過程があるから、我々の内には反革命的な要素が大なり小なり存在するものだ。それを見つめ、うちなる反革命を殲滅させるために、革命共闘の方法に学ぼうではないか。それはすなわち、自己批判と、自己批判に至るまでの相互批判である。(中略)自己批判をしきれないのなら、援助の一形態である相互批判をし、総括をしきって、革命戦士となるんだ。(後略)」

(中略)

 こうして、高田ゆみは総括をしなければ山を降りられない、つまり革命戦士として完成しなければ死なねばならないということになったのだが、具体的に何をどうしたらよいのかわからない。誰もよくわからないうちに未だ形をなさない論理が走りだしたのだ。

立松和平「光の雨」(新潮文庫,2001)P.352-353

 あまりに考えが理想化して現実から乖離しているように感じる。しかし、それが実践へと移されることになり、正座や殴打、縄で縛り付ける、食事を与えない、雪の戸外に放置するといった形でエスカレートしていった。そして結果として14人もの命が失われた。

 彼らの考え方は、まったく対極にある戦時中の精神論と相似ている。「ぜいたくは敵だ」「進め一億火の玉だ」といった精神面からの国民の統一や、気合いや根性といった気持ちで事態が打開できるという考え方と同じである。しかもそれが過度に内向きに働くとメンバーに不満はたまるし、いずれその体制の転覆を謀る人間も現れるだろう。ストーリーの最後にカンパ集めの目的で山を降りた主導者2人は、その実、報復からの逃亡が目的であったとの解釈はもっともだと思う。

 結局、革命は達成されず、あさま山荘事件においても彼らが期待した各地からの武装蜂起は起こらず、もっぱらテロリストとして国民の目にさらされたのは周知のとおりだ。

 正直、「光の雨」を読んでもリンチの理由は納得できない。しかし、その時代を生きてきた人間にとってはこれで理由になるのだろう。その時代を生きた人にしか書けない作品だと思うが、私にとってはもはや肌で感じることのできない歴史の教科書に載っている事件と大差ない。

 以下、関連記事。


光の雨 (新潮文庫)光の雨 (新潮文庫)
(2001/08)
立松 和平

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  1. 2012/05/26(土) 22:05:41|
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小林泰三「玩具修理者・酔歩する男」

 小林泰三「玩具修理者・酔歩する男」を読んだ。

 「玩具修理者」は第2回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞した著者の第一作。文庫本で37ページと短いが、人の体をも解体し組み立てる玩具修理者、生物と無生物の境界の議論など、ホラー小説に哲学的な要素が加わり恐怖を深めている。

 「酔歩する男」はタイムリープをテーマとした小説。ホラーの要素はないが、登場人物は過去に失った恋人を助けるためにタイムリープを成功させる。そのプロセスが独創的である。タイムマシンを必要としないのだ。必要なのは粒子線癌治療装置である。

 以下、ネタバレ。

全文を読む
  1. 2012/03/10(土) 02:08:27|
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横溝正史「八つ墓村」

 横溝正史「八つ墓村」を読んだ。

 ときどきミステリーを読みたくなることがあるのだが、横溝正史は読んだことがなかった。そこで私が名前の聞いたことのある「八つ墓村」を読んで見ることにした。私が予備知識として知っていたのは、津山三十人殺しをモチーフにしていること、金田一少年の事件簿の「飛騨からくり屋敷殺人事件」が「八つ墓村」に似ているといわゆる謎本に載っていたこと。

 トリックによる意外性というよりは、伝奇的な要素の強い小説で、次々と殺されていく田治見家の人々、そのたびに殺人犯と疑われる主人公、主人公の出生の秘密、戦国時代の落ち武者の黄金のありかなど、読者をひきつける要素が次々と現れてくる。解説入れて文庫本で500ページと長い小説だが、いずれの要素もうまく生かした面白い小説だと思う。

 惜しいのは真犯人の動機が弱いところだろうか。あと、金田一耕助の出番があまりない。


八つ墓村 (角川文庫―金田一耕助ファイル)八つ墓村 (角川文庫―金田一耕助ファイル)
(1971/04)
横溝 正史

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  1. 2011/11/20(日) 01:04:22|
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間宮海峡の発見 - 吉村昭「間宮林蔵」

 吉村昭「間宮林蔵」を読んだ。

 間宮林蔵というと私は江戸時代の人で、大陸と樺太の間に海峡があることを確認し、その海峡がのちに間宮海峡と名付けられたということしか知らなかった。

 そもそも樺太が島か半島かなどということは、舟をこいで海岸線をぐるりと一周すればいい話で、大して難しい話ではないと思っていた。しかも大陸と樺太の間では山丹人という人間が行き来しているというので、彼らが地続きに渡っているのか、舟で海を渡っているのかを確認すればそれで済む話だと思っていた。

 しかし、間宮海峡の探検はそう簡単ではないようだ。

 初めにいどんだのは、フランス人ドウ・ラ・ペルーズであった。

 かれは、1787年(天明7年)、探検船に乗って黄海から日本海に入り、北上して樺太南部沖合に達した。さらに船を北へ進め、左側に東韃靼(沿海州)大陸を望み、右手に樺太を見る位置にまで進んだ。そのあいだ、 水深をはかっていたが海は浅くなる一方であった。かれは、樺太が島であるなら船の進行方向である北からも潮流が流れてくるはずなのに、その気配もないので、定説通り樺太は東韃靼大陸と地つづきの半島であると判断した。

吉村昭「間宮林蔵」(講談社文庫,2004)P.116, 117

 つまり、海峡が浅く船の通行ができなかったため、樺太が半島なのか島なのか判断できなかったということだ。

 その後、イギリス人ブロートン、ロシア人クルーゼンシュテルンも同様の理由で船が通行できず、樺太が半島と断じている。

 では、間宮林蔵はいかにして樺太が島であることを確認したか。間宮は海峡が最も狭くなっているノテトで酋長コーニに相談し、以下の回答を得ている。

 この村から北へ進むにつれて海は波が荒く潮の流れも急になるので、林蔵たちが乗ってきたアイヌの船では砕けてしまう。東韃靼大陸の山丹人たちは、コルデッケ人がつくった山丹舟で航海するが、その舟でなければ海を進むことは不可能だという。

吉村昭「間宮林蔵」(講談社文庫,2004)P.173

 そして間宮はコーニから山丹舟を借り、樺太の北端ナニオーまで到達し、樺太が島であることを確かめた。

 さらに間宮はコーニについて海を渡り、清国領東韃靼へ到達している。幕府の役人が海外へ渡ることは鎖国政策をとっていた江戸幕府にとって重罪であるが、国防の観点からそれは許され、見聞した情報が重宝がられた。

 ひるがえってGoogle Mapで航空写真を見ると、間宮海峡の最も狭いところは樺太側が湿地帯のようで、多数の湖がある。川は蛇行し、高低差はほとんどないようだ。おそらく陸上は沼沢地で進めず、海は浅く荒れていて渡れないという自然条件なのだろう。


大きな地図で見る

 いま、現代の道具を持って間宮林蔵と同じ行程をたどるとしても相当な困難があるだろう。

 まさに探検家の名にふさわしいはたらきだと思う。


間宮林蔵 (講談社文庫)間宮林蔵 (講談社文庫)
(1987/01/08)
吉村 昭

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  1. 2011/04/24(日) 00:00:30|
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丹那トンネルの工事が地震を誘発したという説 - 吉村昭「闇を裂く道」

 丹那トンネル掘削時の落盤事故 - 吉村昭「闇を裂く道」の続き。

 関東大震災から7年後、1930年(昭和5年)に静岡県の丹那盆地の断層を中心に発生した北伊豆地震は、丹那トンネル工事にも被害を及ぼした。

 三島口で行方不明者が5人、うち2名は後に生還したものの、3名は生き埋めになり死亡した。

 また、排水用の導坑の切端がちょうど断層の面にあたっており、切端が2.44m水平に動いていることが分かった。小説の中では荒い肌をしているはずの切端の岩壁が、鋭利な刃物ででも切ったように平坦で、しかも光沢をおびている、と表現している。断層鏡面といい、非常に珍しい現象のようだ。

 意外なところから影響を及ぼしたのが、東京帝国大学今村明恒教授の発言である。

 その日の午後2時、今村は、東京帝国大学地震学教室で記者会見をおこない、記者団の質問に答えて、地震の発生原因は地塊運動であるが、丹那トンネルが重大な関係をもっている、と述べ、記者たちを驚かせた。

(中略)

 丹那盆地の地下水が丹那トンネルにしぼり取られて地層が変調し、盆地を中心に地層が低下したのでV字型の断層ができ、それが地震を起こす要因になったとも考えられる、と述べた。

吉村昭「闇を裂く道」(文春文庫,1990)P.331, 332

 この発言が丹那盆地に住む被害者たちの憤りを買った。その後、丹那トンネルの工事を監督する鉄道省が、地盤沈下が原因ならば切端のズレが鉛直方向であるはずなのにズレが水平方向である点などを反論し、工事が原因でないことを示してことは収束した。

 現代では、トンネル工事が地震を起こす原因とは考えられていない。ましてやトンネルが全て崩壊したとしてもマグニチュード7.3もの規模の地震が起きるとは考えにくい。

 科学は日進月歩であるから、今と昔で常識が異なるいい例だと思う。

 また、このとき中央気象台の国富技師は不思議な発表をしている。

「…実地調査の途中、鉄道省の某技師と落ち合っての話では、丹那トンネルは、いままで東口(熱海口)から一万六千尺(4,848m)程掘ってあったものが、一万一千尺のところで岩壁が出来てふさがり、先の五千尺(1,515m)の穴がどこかへ見えなくなり、正面に岩壁が突っ立って工事困難を来しているということである」

吉村昭「闇を裂く道」(文春文庫,1990)P.333

 これを受けて東京日日新聞には丹那トンネル、切断し行方不明の疑、重大な中央気象台の発表P.334)と見出しをつけたそうだ。

 掘ったトンネルがどこかへ消えてしまうとはSF小説の好きそうな話だが、そんな話が新聞の見出しに載ってしまうとは面白いと感じてしまう。


闇を裂く道 (文春文庫)闇を裂く道 (文春文庫)
(1990/07)
吉村 昭

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  1. 2011/04/19(火) 22:48:58|
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丹那トンネル掘削時の落盤事故 - 吉村昭「闇を裂く道」

 チリの鉱山の落盤事故で閉じ込められた33人が、事故後に掘られた立坑から救出されたのは記憶に新しい。

 90年前にも日本で似たような事件があったようだ。

 吉村昭「闇を裂く道」を読んでいる。

 ときは大正、1910年。鉄道院は御殿場周りの東海道本線(現・御殿場線)が機関車を使った峠越えで輸送のボトルネックとなっていたことから、東海道本線の熱海・三島を結ぶ丹那トンネルの掘削を計画した。完成すれば全長7,804mと当時日本最長の笹子トンネル4,656mを大きく越えるトンネルであった。熱海口、三島口両方から掘削を進めたが、熱海口で導坑を1,363m掘ったところ、坑口から317mのあたりで落盤事故があった。

 当時、坑内で作業を行っていたのは、崩壊した317m付近のレンガ積みの準備作業をしていた者14名、排水溝の掃除をしていた者2名、崩壊箇所から100m先で導坑を掘り広げていた者14名、坑内見回りの者3名の計33名である。このうち、レンガ積みの準備作業と排水口の掃除の16名は死亡、崩壊箇所より奥にいた17名は8日後に奇跡的に救出される。

 チリの鉱山と違い、彼らの場合は一切の食料、通信、照明のやりとりがなかった。食料はもっておらず、電話もなく、送風管を使った鉄管信号も管が潰れて使えなかった。照明も持っていたカンテラ5つしかなく5日目には燃料切れとなり、完全な闇となる。ただ、水だけが岩盤から流れだしており、のどの渇きをいやすことはできた。

 坑内見回りを行っていた請負の鉄道工業会社の門屋の遺言書がつらい。彼は何とか助かったものの、遺言を残すほど覚悟していた。

遺言ノコト

一、身ハ坑夫号令(現場主任)トシテ、此ノ変死ニ遭フモ、責任上一点ノ苦シミヲ感ゼズ静カニ死ニ就クナリ。

(中略)

一、予ハ責任上喜ンデ死ノ途ニ入ル。

四月二日午後五時

心気ノアル内ニ誌シ置ク

丹那山隧道東口(熱海口)十七哩六十五鎖五十節ノ処ニテ

桂事務所 門屋盛一

 昔の人間らしい、組織のために死ねるという旨だが、果たして死を目前にしてわめき散らさず落ち着いた感情でいられるだろうか。これが戦前の人には残っていた武士道なのだろうか。松濤明にしろ、藤村操にしろ、昔の人はよく名文を残して死んでいくものだ。

 私にはそれだけの死の覚悟はないな。

 吉村昭の小説でトンネルというと「高熱隧道」が有名だが、この「闇を裂く道」も吉村昭らしい、綿密な調査に基づくたんたんとした筆致で緊迫感を表現している。まだ半分ほどしか読んでいないが、この後も楽しみだ。


闇を裂く道 (文春文庫)闇を裂く道 (文春文庫)
(1990/07)
吉村 昭

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 関連:丹那トンネルの工事が地震を誘発したという説 - 吉村昭「闇を裂く道」

  1. 2011/04/05(火) 23:59:25|
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