島ノ中ニ有リblog

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松本に墓参りに行ってきた

 松本に墓参りに行ってきた。

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↑女鳥羽川沿いを歩く

 ここのところ、北アルプスによく行くわりに松本にある墓には全く参っておらず、ご先祖様に悪いと感じていた。いつでも行けるから行かないのだが、思い立った機を逃さないように一人で参ってきた。

 親に事前に教えてもらっていた墓の地図を頼りに探したら思ったほど苦労しなかった。大きな木が立っていたような気がしたが、木はないしそんな跡も見当たらない。記憶なんて曖昧なものだ。子供の頃の思い出など夢と大差ない。

 お墓の掃除をして花と線香を置いた。手を合わせながら何年ぶりだろうかと考える。前に来たのは小学生の時だろうか、だとすれば25年くらい来ていないことになる。お墓参りしなきゃ、という思いと反して、不思議とご先祖様への念は具体に湧いてこなかった。親戚づきあいが少なかったためだろうか。でも決まった手続きをすませるというのは気持ちとして落ち着いた。日本人の宗教観なんてそんなものかもしれない。

  1. 2017/01/29(日) 23:59:49|
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清里の清泉寮とアンデレクロス

 家族旅行で清里の清泉寮に泊まってきた。

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↑清泉寮本館の玄関に掲げられたアンデレクロス

 八ヶ岳の近辺に行って八ヶ岳に登らないのは初めてだ。

 清泉寮は変な名前の宿と思ったが、もともとキリスト教の訓練施設として作られたものだそうだ。建物のあちこちに掲げられる「X」は文字ではなく、アンデレクロスというそうだ。

 X型の十字架は、イエス・キリストの弟子(12使徒)の1人であった聖アンデレが、迫害に遭い、キリストと同じように十字架にかけられることになって際に、キリストと同じ十字架では恐れ多いからと、当時は罪人が処刑される際に用いられたX型の十字架に張り付けになり殉教することを望んだことに由来しています。

清泉寮とは - 山梨県 北杜市 - 清里高原70年の歴史ある総合宿泊施設 -

 イスラム教でムハンマドより後の人が恐れ多いので教壇の一番上に立たないみたいな謙遜は他でもあるんだなと感じた。清泉寮には黙祷の部屋があったり、いくらかキリスト教を感じる施設であったが、別にお祈りを強制することもなく、温泉もあって普通の宿であった。

 日月と平日にまたがって泊まったが、そこそこ宿泊者も多く、人気の宿のようであった。

  1. 2016/09/06(火) 20:01:20|
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ロボットの高度化によるユートピアは実現するか

 はたらけどはたらけど猶わが暮らし楽にならざりとは石川啄木の言葉であるが、現代では車や飛行機などの輸送機械やバックホウなどの建設機械、あるいはコンピュータの活用による計算の自動化によって昔より仕事が楽になっているはずである。しかし、工事現場や工場、事務仕事も一向に楽になっている気がしない。50年前の人からすれば電卓1つとってもうらやましいのだろうが、現代の人間はその恩恵を忘れるほどに昔と同等の業務量をこなしていると思う。

 /.Jにロボットによる労働力が人間の労働力並になったとき、人間はどうするべきかという記事があった。

 ノースカロライナ大学情報図書館学研究科のZeynep Tufekci助教授によると、「ロボット労働者は人間の労働者の雇用機会を減らし、人間の収入を圧迫する」という。

ロボットによる労働力が人間の労働力並になったとき、人間はどうするべきか

 書き込みの論調は、ロボットが労働することで労働の価値が激減するとか、金属加工の職人だってそのうちロボットの技術が追いついてくるのではないかとか、そんな感じ。ユートピアの実現を説いている書き込みはない。

 これは私は常々疑問に思っていることで、何で機械により人間は労働から解放されないのか、あるいは業務が軽減されないのか不思議に思っている。

 考えてみると、機械の組み立て工場などであれば、作業員が機械に置き換えられることで、作業員が一生遊んで暮らせるかというと、おそらく他の職を探すことになるだろう。タイプライターの仕事がパソコンに、電話交換手の仕事が交換器に置き換えられたとしても同じだろう。

 結局、労働者は日当を稼がなければメシを食べられないので、仕事が自動化されても働く必要があるということなのだろう。人々が労働しなくてもメシを食べられる制度が成立しない限り、どんなに賢いロボットが出てきても、人々は労働することになるのだろう。

 人々が労働しないユートピアを実現するためには、求める衣食住をロボットに注文するとその環境を対価なしに用意してくれるような状況が必要なのだろう。例えばトンカツが食べたいと言えばトンカツが出てきて、ジーンズを着たいと言えば求めるジーンズが出てくるような環境である。衣と食は技術革新で何とかなるかもしれない。でも住については地権者同士など人と人の対立も避けられないので結局人が出て問題の解消に努めなければならない。そのために法律があって、裁判所があって、そこには人が介在することになるような気がする。

  1. 2015/05/04(月) 22:31:23|
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天下になくてはならぬ人になるか、あってはならぬ人になれ

 TBS「林先生の痛快!生きざま大辞典」の最終回で河井継之助という人を取り上げていた。

 幕末の長岡藩の家臣で、藩士の石高平均化など次々と改革を打ち出していった人だそうだ。この人は30歳くらいまで藩に勤めることなく周遊していたとかで天才肌の人のようだ。その人の言葉として林先生が紹介していた言葉が以下である。

天下になくてはならぬ人になるか、あってはならぬ人になれ

 天才らしい言葉である。

 これは私は凡人でありたいという願望山ノ中ニ有リblog 凡人願望と非社交性維持の葛藤)を持つ私としては対極的な言葉であった。もっとも明治維新という変革期にあっては身分の違いも関係なく、本人の努力次第で革命的な行為に携わることができただろうからいかにして頭角を現すかが求められた時代なのかもしれない。

  1. 2015/04/12(日) 01:05:12|
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アニメ「サイコパス2」に出てきた全能の逆説

 アニメ「サイコパス2 #9 全能者のパラドクス」冒頭で、タイトルの全能者のパラドクスという簡潔だが面白いパラドックスに触れていた。

雑賀「全能者のパラドクスってやつだな」

雑賀「全能者は自分でも持ち上げることができない重い石を創造できるか?」

常守「パラドクス」

雑賀「そう」

雑賀「もし持ち上げることができない石をつくり出せたなら石ができた時点で全能者ではなくなってしまう」

常守「そして石がつくりだせないならその時点で全能者ではない」

雑賀「まあどちらにしても矛盾が生じてしまう」

アニメ「サイコパス2 #9 全能者のパラドクス」

 はじめに聞いたときは、ラッセルのパラドックスの変形版かなと思っていたが、よく考えたら違っていた。調べてみたら、結構有名なパラドックスらしい。Wikipediaには全能の逆説というタイトルで長い記事が書かれており、上の表現は古典的な表現だそうだ。そこにはいろんな人がこのパラドックスを論じ、また引用しているようだ。

 簡潔で覚えやすいパラドックスなので覚えておこうと思う。

  1. 2014/12/10(水) 00:09:42|
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理解の限界と許容の精神

 先鋭化する「分かり合えない相手と付き合う」問題の関連。

 人と意見がぶつかるとき、あるいはニュースである国がある国を批判するとき、感じることがある。対立とはどのようにして解消したらよいのだろうか。

 小さいものは口げんか、大きいものは戦争ととかく人は争いごとが絶えない。そんなことは今まで人類が続けてきたことであって、一市民がいちいち心配したからといって解決する問題ではない。それぞれ生まれや育ちが違い、思想も信条も違う人たちがぶつからないはずがない。相手を尊重すると言っても譲れることと譲れないことがあるだろう。

 よく言われるのは相互理解だと思う。相手の意見を聞き、自分の意見を聞いてもらい、お互いの状況を理解してもらい、協力してよりよい方向に解決を諮っていくという方法である。しかし、それだけですべての問題が解決しないのも確かである。

「理解」を1つ弱めた段階として「許容」というのはどうだろうか。相手のことは理解はできない、しかし許容しよう、という態度である。山に登る人は理解できない、しかし許容しよう、という感じである。あるいは私が前に記述しているように「寛容」と言い換えてもよい。

 いくつかの衝突は許容によって解決ができると思う。ただ、相手を許容したからといって全ての問題、例えばパレスチナ問題が解決するわけではない。万能ではないことを認める。

 仏教ではものごとへの執着を捨てるよう説いている。四苦八苦は生老病死を四苦とし、愛別離苦や求不得苦を合わせて八苦としている。ものごとに対しては「諦観」という表現で表せる。これほどになると、俗世の人には簡単ではないだろう。

 「許容」あたりが凡俗のできる心構えだと思う。

  1. 2014/10/17(金) 00:57:08|
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残業代を気にする新人を「モンスター社員」呼ばわりするとした番組でツイッターで議論があるらしい

 残業代を気にする新人を「モンスター社員」呼ばわりするとした番組でツイッターで議論があるようだ。

旅行代理店が、全社員から「夏休みシーズンの新商品」の企画を募集することになった。採用されると新人でもプロジェクトリーダーになれるというが、そこで新人の1人がこんな質問をしたという。

「企画書を作る時間って、残業代出ますか? あと僕、土日出勤NGなんですけど大丈夫ですか?」

上司は「この流れで、そこ気になるか?」と困惑。番組では「モンスター新人」の項目のひとつとして「残業代が出るか気にする」が挙げられていた。これがネットで拡散し、ツイッターでは番組に対する批判が殺到した。

「すごいな、今の世の中は。残業代気にしたらモンスター扱いだとよ」
「残業代気にすることの何が悪いのか分からん」
悪いのは会社か、新人か? 残業代を気にすると「モンスター社員」呼ばわり | 企業インサイダー | キャリコネ

 この元となった番組「内村とザワつく夜」は私も見ていて、「そんなんありえねーよ」と笑い飛ばすものが多かった。例えば遅刻しているにも関わらず喫茶店に寄ってくるとか、取引先相手に学歴を自慢するとか。ただ、この残業代を気にするというエピソードは私も笑い飛ばせなかった。私は新人よりの考え方をしているので、正論を述べているな、でも新人のときからよく言えるな、勇気あるなと感じる程度であった。それが「モンスター新人」扱いされるというのは意外であった。

 仮に土日出勤して残業代が出ずに企画書を仕上げたら、本人には不満が残るだろうし、不満が積み重なって職場で爆発するようなことがあると上司としても好ましくない。新人が残業代を気にしているのが分かるなら、上司としては企画書作成からその新人を外せばよいだろうし、他の新人との扱いが異なるというのであれば、まったく他の人を企画書作成に充てるか上司自身がやればよいと思う。

 始業前に職場に来なければならない、なんてのも同じように議論が分かれる気がする。

 私にとって当然であっても、他人にとって当然であるかどうかは分からないが、テレビ番組でこのように放送しているということは私がモンスター新人のたぐいなのだろう。

  1. 2014/05/12(月) 01:16:02|
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刑期の意味を問う問題 - 薬の使用で「1000年の刑期」を8時間半で終了?

 薬の使用で「1000年の刑期」を8時間半で終了? 哲学者の考える未来の懲罰が恐ろしすぎるという記事をみた。

 アメリカでは以前から、犯罪者の増加にともない刑務所不足が問題になっている。新たに入獄する囚人がいるからといって、刑期の長い囚人を釈放する訳にもいかず、慢性的な問題になっているのだ。

 最近、海外の哲学者がこの問題に関する驚くべき提案をして注目を集めている。 レベッカ ・ローチ博士は、薬で囚人の体感時間を引き延ばすことによって、1000年の刑期を8時間半で終わらせることが可能であると主張しているのである。たしかに理屈のうえではその考えも成り立つのだが、重い罪を課せられた囚人がもし本当に1日足らずで出所したら、一体どうなってしまうのか?

薬の使用で「1000年の刑期」を8時間半で終了? 哲学者の考える未来の懲罰が恐ろしすぎる

 これは実に興味深い。

 刑罰が更正のためと考えれば、公序良俗を守る人間になりさえすればよいので、刑期は関係ない。一方、被害者の意識としては自らが受けた苦痛と同等の刑を受けてもらわないと気が済まない。昨日までまったく反省していなかった加害者が、翌日には被害者に土下座しても、表面上更正したように見せかけているように見えてしまう。

 実をとるか感情をとるか悩ましい問題である。簡単には実現しないユートピアの話ではあるが、私には感情が優先してこの刑罰は受け入れられない。

  1. 2014/04/24(木) 21:17:35|
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凡人診断というおもしろい診断

 凡人診断というおもしろい診断をねとらぼで紹介していたのでやってみた。

 あなたの“凡人度”を算出する「凡人診断」を、秋田公立美術大学が企画・開発しました。次々と出題される2枚の写真から好きな方を直感的に選んでいくと、その選択が独自の“才能偏差値”へ換算され、あなたに“凡人としての才能”がどれだけあるか割り出してくれます。

あなたは凡人? 奇人? 写真を選択するだけで「凡人度」を算出してくれる「凡人診断」 - ねとらぼ

 出身地鑑定方言チャートみたいな感じで自分の感性に合う写真を2択で選んでいけばよい。なんとなく集団と孤みたいなテーマの対立が多かった。

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↑こんな感じの2択を20問ほど選ぶ。

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↑凡人度85%、かなりフツーの感性の持ち主。

 結果は凡人度85%とかなり高い点をとった。日々凡人を目指し研鑽を積んでいる私としてはまあまあの点数である。クリエイティブな才能がないのは自覚しているし、そんな職にも就いていないし、趣味にもしていないのでよかった。解説があるとより高みを目指して凡人道を極めることができるのだが、診断結果には特に書かれておらずそれだけが残念である。

  1. 2014/02/18(火) 00:03:32|
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「ぐち」の聞き方が分からない

 私は「ぐち」の聞き方が分からないことに気づいた。

 ネットを見ていて、【画像】愚痴の多い奴には気をつけろという記事を見つけた。そこでは「悩み」と「ぐち」の違いを分かりやすく説明していた。解決したい場合は「悩み」、ただ聞いてほしい場合は「ぐち」だそうだ。

 語意としては理解していたが、私はぐちを聞いても共感することなく、悩み扱いして解決方法を模索するので話が噛み合ない。しかし、私としては困っていることを話されるとじゃあ何とかしないといかんね、と思ってしまうので自分だったらどうするだろう、と不要なアドバイスを探してしまう。天災のようにどうしようもない場合「そうだね、大変だよね」と共感で終わることもある。しかし、ときには「それはあなたの考え方を見直すべきではないか」と主張することもあるので、私にぐちをこぼすのはその人にとって損である。

 私自身はどうかというと、ぐちをこぼすことは少ないように思う。悩みがあってもあんまり相談せず自力で解決を試みようとする傾向があるので、ことさらぐちをこぼすことは少ない。ほとんどぐちであっても話し相手に「じゃあ、私から上司に聞いてみようか」というような発言を期待しているので、それは「悩み」であろう。なんかそれはそれで精神衛生上よくない気がする。

  1. 2014/02/16(日) 00:10:00|
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